さいたま市
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湖沼: 彩湖別所沼白幡沼深作沼桜木調節池鴻沼(消滅)、見沼(消滅)

気候

さいたま市の気候は、ケッペンの気候区分に基づけば温暖湿潤気候 (Cfa) に属するが、本州太平洋側に一般的にみられるように夏季に比べて冬季の降水量が少ない。冬季の降水量の少なさと最低気温の低さは、東京都大手町)や横浜市千葉市といった近隣の沿岸部の諸都市と比べ、より顕著である。1月の平均最低気温は-1.1 であり、さいたま市より北にある群馬県前橋市 (-0.5 ℃) よりも低い。2018年1月24日には-8.6 ℃(当時は1月の史上最低)、同1月26日には観測史上最低の -9.8℃を記録した。アメダスのさいたま観測点(桜区大字宿)における平年値(1991年 - 2020年の観測結果による)は、年平均気温は15.2 ℃、年間平均降水量は1371.3 mmである。なお、観測点のさいたま地域気象観測所は、さいたま市中心部から少し離れた郊外に位置する。

さいたま市(さいたま地域気象観測所)の気候
月1月2月3月4月5月6月7月8月9月10月11月12月年
最高気温記録 °C (°F)18.7
(65.7)25.5
(77.9)26.9
(80.4)31.2
(88.2)34.2
(93.6)38.0
(100.4)39.3
(102.7)38.7
(101.7)37.4
(99.3)33.1
(91.6)26.1
(79)25.1
(77.2)39.3
(102.7)
平均最高気温 °C (°F)9.4
(48.9)10.3
(50.5)13.7
(56.7)19.2
(66.6)23.8
(74.8)26.5
(79.7)30.5
(86.9)31.8
(89.2)27.7
(81.9)21.9
(71.4)16.5
(61.7)11.7
(53.1)20.3
(68.5)
日平均気温 °C (°F)3.9
(39)4.9
(40.8)8.4
(47.1)13.7
(56.7)18.6
(65.5)22.0
(71.6)25.9
(78.6)27.0
(80.6)23.2
(73.8)17.5
(63.5)11.4
(52.5)6.2
(43.2)15.2
(59.4)
平均最低気温 °C (°F)?1.1
(30)?0.2
(31.6)3.3
(37.9)8.4
(47.1)13.9
(57)18.3
(64.9)22.2
(72)23.2
(73.8)19.5
(67.1)13.5
(56.3)6.8
(44.2)1.2
(34.2)10.8
(51.4)
最低気温記録 °C (°F)?9.8
(14.4)?8.8
(16.2)?5.0
(23)?2.0
(28.4)4.8
(40.6)11.5
(52.7)14.7
(58.5)16.3
(61.3)9.5
(49.1)3.6
(38.5)?2.4
(27.7)?6.7
(19.9)?9.8
(14.4)
降水量 mm (inch)42.4
(1.669)39.6
(1.559)88.0
(3.465)101.9
(4.012)121.4
(4.78)144.8
(5.701)148.0
(5.827)164.0
(6.457)202.8
(7.984)196.8
(7.748)70.9
(2.791)45.2
(1.78)1,371.3
(53.988)
平均降水日数 (?1.0 mm)3.84.68.79.010.011.611.88.810.810.06.74.4100.8
平均月間日照時間201.4186.4186.6187.1185.3128.4152.5181.9135.6135.1156.6181.12,018
出典:気象庁 (平均値:1991年-2020年、極値:1977年-現在)[12][13]

人口

日本において第1回国勢調査が行われた1920年大正9年)以来、現さいたま市域の人口は、ほぼ一貫して増加してきた。1920年当時の人口が約12.3万人であったのに対して、2015年国勢調査ではその10倍以上の約126.4万人にのぼり、2020年(令和2年)国勢調査さいたま市の人口は 132万4,591人と更に増えている[14]。特に日本の高度経済成長期における人口急増が著しく、1960年国勢調査では約42.0万人であった現さいたま市域の人口は、1975年国勢調査では約81.4万人となり、この15年間で2倍近くに増加した。旧4市域の合併直前と現在の人口は、浦和市が約49万人(現・約58万人)、大宮市が約46万人(現・約52万人)、与野市が約8万人(現・約10万人)、岩槻市が約11万人(現・約11万人)である。

近年では、日本全体の状況と同様、人口の高齢化による死亡数の増加がみられる。死亡数の増加により、さいたま市の人口の自然増(出生数から死亡数を差し引いた数)は急速に減少しており、2017年にはほぼ0となった。現在のさいたま市の人口の緩やかな増加は、ほとんどが社会増(転入数から転出数を差し引いた数)によるものである[15]。人口の転入超過は、20歳代・30歳代によるものが多く、2017年には、転入超過数8,234人のうち20歳代・30歳代が5,396人を占めた[16]

国立社会保障・人口問題研究所の『日本の地域別将来推計人口(令和5(2023)年推計)』[17]によれば、さいたま市の人口は2030年の136.3万人でピークを迎え、その後減少に転じると予測されている。ただし、さいたま市より神戸市京都市のほうが減少ペースが速く、さいたま市の日本国内における人口順位は、2040年には両市を上回って第8位(東京都区部を除けば第7位)になると予測されている。現さいたま市域における人口の推移(1920年 - 2010年、国勢調査による)。


さいたま市と全国の年齢別人口分布(2005年)さいたま市の年齢・男女別人口分布(2005年)
■紫色 ― さいたま市
■緑色 ― 日本全国■青色 ― 男性
■赤色 ― 女性
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現在、技術上の問題で一時的にグラフが表示されなくなっています。

さいたま市(に相当する地域)の人口の推移
総務省統計局 国勢調査より


人口が多い区は南区(19.21万人)、浦和区(16.52万人)、見沼区(16.48万人)、人口密度が高い区は、浦和区(14,644人/ km2)、南区(14,075人/ km2)、中央区(12,411人/ km2)となっている。

市内に常住する通勤通学者74万7000人の23.5%にあたる17万5000人が東京特別区部に通勤通学し(東京特別区部からさいたま市への通勤通学者は1万9000人)、政令指定都市かつ県庁所在地でありながら昼夜間人口比率が100%を下回る93.0%であるなど(いずれも2015年の国勢調査による)、さいたま市は東京都へ通勤・通学するいわゆる「埼玉都民」が多数居住する、東京のベッドタウンとしての性格が強い。その一方で、埼玉県内の他の市町村からさいたま市への通勤・通学者も16万8000人にのぼり(さいたま市から埼玉県内の他の市町村への通勤・通学者は10万人)、昼夜間人口比率も1990年の89.8%から次第に上昇をみせるなど、さいたま市は周辺の地域から通勤・通学者を集める郊外核としての性質もあわせ持つ。
地区
旧4市域の特徴

さいたま市は、人口40万人以上(2001年当時)の複数の市どうしが合併した、2020年時点において日本で唯一の例である[注釈 11]

当初に合併した浦和・大宮・与野の旧3市の市街地は地理的に連続しているが、旧岩槻市は3市の市街地とは連続しない。旧4市のうち、旧浦和市と旧大宮市は、東西方向に細長い市域と2023年時点で50万人台の人口を有すること、中央部に中山道宿場町浦和宿大宮宿)を起源とする中心市街地があり、東西に住宅地や農地が多いという土地利用構成となっていること、Jリーグに所属するプロサッカークラブがあることなどの共通点がある。
旧「浦和市」域(桜区・浦和区・南区・緑区)古くは調神社玉蔵院門前町であったが、現在の街は旧中山道の浦和宿が設けられたことに端を発する。県庁、市役所をはじめ地裁県警など、県や市の行政機関の集積とともに、県指定金融機関である埼玉りそな銀行の本店や各種政党の支部、各種メディアの支局など県都としての機能が集積し、浦和・大宮・与野の旧3市が速やかに合併協議に入ることを促した合併促進決議やさいたま市発足時の都市計画マスタープランで「行政の中心」として位置付けられている。また、明治時代旧制浦和中学(現・県立浦和高校)浦和高等女学校(現・県立浦和第一女子高校)、大正時代に旧制浦和高校(現・埼玉大学)が設置され、文教都市として知られるゆえんとなった。関東大震災以降、東京などからの移住者で人口が急増し、別所沼周辺に画家が移住したことから「鎌倉文士浦和画家」という言葉が生まれ画家の街として知られる。明治期に埼玉師範学校(現・埼玉大学)でサッカーの指導が始められると、隣接していた旧制浦和中学と共に「埼玉サッカー発祥の地」とされ、サッカーが盛んな地域として全国的に名を馳せ、1993年のJリーグ発足時には浦和レッズ[注釈 12]が浦和市をホームタウンとして活動して現在に至っている。市域で最も東京都心に近く、通勤電車の本数も多いことから、1995年には川口市を抜き県内最大の人口を擁する都市となり、2021年時点でもさいたま市を構成する旧4市で最大の人口を擁する。浦和市時代から世帯所得は全国的にみても高く、浦和駅西側の台地上(岸町常盤高砂神明別所など)は高級住宅街としても知られる。
旧「大宮市」域(西区・北区・大宮区・見沼区)かつて見沼水神をまつったとも云われる、武蔵国一宮氷川神社(大宮氷川神社)の鳥居前町であり、氷川神社一帯が日本さくら名所100選にも選ばれている大宮公園となる。約2qに及ぶ氷川参道とともに市民の憩いの場となっている。現在の街は、1591年天正19年)に浦和宿上尾宿の間にあった馬継場に宿駅が設けられたことに起源を発する。日本鉄道による路線開通時において鉄道駅の設置はなかったため、熱心な駅誘致活動により1885年明治18年)3月に駅が開設された。

1940年昭和15年)に大宮町三橋村日進村宮原村大砂土村が合併し、大宮市が誕生。埼玉県内では浦和市に次ぐ5番目の市制施行であった。戦後に市街地が拡大、合併前の人口は県内で浦和・川口に次ぐ3位に成長した。日本鉄道大宮工場(現・JR東日本大宮総合車両センター)や大宮操車場などの鉄道施設を誘致し「鉄道の町」として知られるようになった。現在の大宮駅は、6つの新幹線を含む合計16路線の旅客営業列車すべてが停車し、1日平均乗降者数約70万人のターミナル駅へ成長した。合併後の2007年平成19年)10月14日には大成町鉄道博物館が開館した。大宮駅周辺一帯には商業施設オフィス街が集積、戦後地銀の一つである武蔵野銀行の本店をはじめ、多くの企業や金融機関などの本社・支店・営業所が存在し、先述の合併促進決議などで「経済の中心」として位置付けられている。また日本初のサッカー専用スタジアムであるNACK5スタジアム大宮(大宮公園内に所在)を本拠地とし、J2リーグが発足した1999年にJリーグに加盟した大宮アルディージャ[注釈 13]が大宮市をホームタウンとして活動し現在に至っている。他のプロスポーツでは埼玉西武ライオンズ県営大宮球場(大宮公園内に所在)を準本拠地としている。北部(現・北区)には、吉野原工業団地・陸軍工廠を前身とする大宮駐屯地および大宮盆栽村が、東西部(現・西区、見沼区)には見沼田んぼ荒川低地田園が広がり、さいたま市を構成する旧4市の中で面積は最大であった。
旧「与野市」域(中央区)旧浦和市と旧大宮市の間に挟まれた位置にあり、他の3市に比べて面積が小さく、ほぼ全域にわたって市街化されている。1958年(昭和33年)に市制施行。市域の狭さや市内のほぼ全域が鉄道駅至近に位置することもあり、市全域が人口集中地区に含まれ、人口密度は合併前の旧4市の中で最も高い。また、さいたまスーパーアリーナ彩の国さいたま芸術劇場を擁するため、先述の合併促進決議などで「情報発信の中心」として位置付けられている。合併直前に整備されたさいたま新都心のうち、東北本線西側の主要な地域は旧3市の市域にまたがっていたが、政令指定都市移行時に、地域の大半を占めていた旧与野市である中央区に旧浦和市部分・旧大宮市部分を編入して「新都心」という町名を新設した。
旧「岩槻市」域(岩槻区)南北方向に細長い市域に岩槻城城下町を起源とする中心市街地があり、南北に住宅地や農地が多いという市街配置・土地利用構成となっていること、江戸時代には大部分が岩槻藩領であったこと(他の3市は主に幕府領など)、1954年(昭和29年)の市制施行前の所属郡が南埼玉郡であったこと(他の3市は北足立郡)などの歴史的経緯において、他の旧3市とは異なった特徴を有する。


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