くりぃむしちゅー
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「たとえツッコミ」も知られるようになった[注 1]。有田は上田のブレイクに腐ることなくテキトーキャラでバーター出演をこなしてコンビの露出を増やすとともにピン芸人としての仕事でも認知度を上げていった[2]。そして、再度訪れたお笑いブームの波にも乗って、2004年には多数のレギュラー番組を抱える売れっ子となった。

2004年、ゴールデン・アロー賞放送賞(バラエティー部門)受賞。

2004年10月5日、改名後初の冠番組『くりぃむナントカ』(テレビ朝日)が放送開始。

2004年12月14日、上田が同郷の女性と入籍。『踊る踊る踊る!さんま御殿スペシャル』(日本テレビ)の収録中に発表された。第一子誕生は『おしゃれイズム』(日本テレビ)で藤木直人の口からフライング気味に発表された[3]

2005年7月5日、改名後初の冠ラジオ番組『くりぃむしちゅーのオールナイトニッポン』(ニッポン放送)が放送開始。

2006年7月13日、ゴールデンタイムでの初の冠番組『くりぃむしちゅーのたりらリでイキます!!』(日本テレビ)が放送開始。

2006年には『24時間テレビ 「愛は地球を救う」』(日本テレビ)のチャリティパーソナリティに初めて抜擢された。

2008年7月、先輩のネプチューンや後輩のチュートリアルと共に出演する『しゃべくり007』(日本テレビ)が放送開始。

2008年12月だけで、ピンとしての出演を含めた11本のレギュラーを合わせると27本もの番組に出演したと報道された。この年以降は自分たちがMCを務める番組が増え、他番組にゲスト出演する機会は少なくなった。

2009年9月、当時所属していたプライムからチーフマネージャー・大橋由佳が設立した芸能事務所「ナチュラルエイト」へ移籍。

2016年12月5日、有田が『しゃべくり007』にて11月29日付で一般女性との入籍を発表した。
芸風

デビュー当初はコント重視の作家志向な芸風だった。後に漫才も演じるようになり、コントと漫才を平行する。改名以降はネタ披露の場が減少。単独コントライブも行ってはいたが、ほとんどが海砂利水魚時代の持ちネタであり2003年にファンクラブ解散と同時に中止となる。以降のくりぃむしちゅーのネタは元日放送の『初詣!爆笑ヒットパレード』(フジテレビ)でしか見られないが、それも2008年を最後に行われていない。

漫才では2人で「僕たち、くりぃむしちゅー! あちちっ」と言いながら熱いものを触って耳で冷やす仕草を掴みとして用いる。かつてのツカミは有田が「○○(海砂利水魚に無関係な雑学やあるあるネタ)でおなじみ、海砂利水魚です」というものだった。

漫才やトークの場では有田の「引いたようなボケ」と上田の「たとえツッコミ」「説明ツッコミ」が特徴的。有田の繰り出すボケは少しぼんやりとしていて、それを上田がやや説明的にツッコんで笑いを獲るというパターンが多い。有田のボケは「やや足りないボケ」で、上田のツッコミは「やや過剰なツッコミ」だと言える[4]。デビュー当初はボケとツッコミが逆だった。

冠番組では企画にも参加している。

近年では2人ともコンビ仕事と並行し、それぞれがピン芸人としての活動も行っている(詳しくは上田晋也有田哲平の項目を参照)。
改名の経緯

改名に至った発端となったのは2000年、『新・ウンナンの気分は上々。』(TBSテレビ)におけるさまぁ?ず(当時バカルディ)との改名対決[5]

バカルディとは改名対決の前からライバル関係且つ犬猿の仲という設定で、お互い「もう二度と出てくるな」「一緒に出ると好感度が下がる」などと散々言い合っていた。そこで内村光良ウッチャンナンチャン)により、「それならいっそのこと勝負をつけよう、負けた方には罰を」との提案がなされ、「対決をして負けた方は改名」という対決企画が組まれる運びになった。最初はバカルディが敗北し『さまぁ?ず』に改名させられる。しかし改名後さまぁ?ずは徐々にブレイクし、期間限定改名だったはずがさまぁ?ずとして定着。再びコンビ名改名を懸けたビーチバレー対決が行われるが今度は海砂利水魚が敗北し、『くりぃむしちゅー』にこちらも期間限定で改名する運びとなった[注 2]

名前の由来は有田の好物であるクリームシチューから。当初は2人が共通で好きなものを取る選択肢も出たが、字面で一番面白かったためこれを採用した。

さまぁ?ずほど改名は徹底されず、改名後も2つのコンビ名が併用されていた。その半年後に上田がコンビ名をあまり気に入っていなかったことや、コンビ名を変える責任の重さを感じ始めて本人たちも元の名前へ戻すかどうかを迷い始める。ファンを集めた討論会が同番組で行われたものの結局結論は出ず、最終的には内村がビリヤードで落とした球の数字が偶数だったら現状維持、奇数だったら『海砂利水魚』に戻すというゲームを行い、結果14番が落ちてそのまま『くりぃむしちゅー』を名乗ることとなり現在に至っている。

なお、お笑い芸人の看板とも言うべきコンビ名を安易に変えさせてしまった内村はその責任を感じ、その後は両コンビ(特にさまぁ?ず)を自身のレギュラー番組などで積極的に起用していった。これが不遇の時期を過ごしていた両コンビに世間の目に触れる機会を与え、後のブレイクを後押しする形となった。なお、「改名でブレイクした」という世間の認識に対して本人たちは『日経エンタテインメント』(日経BP)のインタビューなどにおいて「改名前から売れ始めていた」と強調。実際、有田のキャラ変によるブレイクは2000年7月の東八郎十三回忌追悼公演『86の13』がきっかけである。上田も『虎の門』のうんちくでブレイクしたため、改名がブレイクには直接つながってはおらず、上田は「さまぁ?ずはすぐ改名してからブレイクはしてたけども、自分たちのコンビは改名してから仕事は増えず、1年程?いていた時期はあって周囲から『君らが改名したとしても二番煎じだからどうせ売れないよ』と言われてたけど、『虎の門』辺りで仕事が増え始めた」と述懐している(2021年5月、『太田上田飯尾和樹出演回より)。また、さまぁ?ずは逆に「俺たちは改名してから仕事が増えたけど、くりぃむしちゅーは改名してから仕事が増えるまで1年くらいかかったから苦労したと思う」と指摘している。

さまぁ?ずとは改名対決終了後はほどなく和解したという設定。敵対関係というのはあくまでも番組上での演出またはネタであり、2組は実際に仲が悪いわけでなく『内村プロデュース』『ミドル3』(テレビ朝日)など他の番組では仲良く絡んでいる。2005年4月10日にはTBSで両コンビをメインとした冠特番『世界最強ありえねェ?奇跡の映像バトル!!』(TBSテレビ)で共演。両コンビが改名に揺れていた2001年8月23日には、『ナインティナインのオールナイトニッポン』(ニッポン放送)にさまぁ?ずと海砂利水魚が揃ってゲスト出演し、お互いのトークで盛り上がっていた。
エピソード

2人の出会いは、番長になることに憧れていた有田が高校へ進学して体育館で隣にいた生徒に意味もなく裏拳を食らわせ、その食らった生徒が上田だったというもの。直後、有田はすぐさま上田のパシリにさせられてしまった。上田はこのエピソードを「あくまでも『説』だ」としている
[6]

以前のコンビ名である海砂利水魚は、コント山口君と竹田君によって名付けられたもので、当時伊豆にあったカレー屋さん「海砂利水魚」から。店名の由来は落語であるが、コンビ名の由来に落語は直接関係ない[7]

1991年12月デビューであるため、他の芸人(特に4月にデビューすることが多い吉本所属の芸人ら)との芸歴が曖昧である。そのため、デビューした年でいえばナインティナイン宮川大輔NSC大阪校9期生や、日村勇紀バナナマン)らと同期になるが、比較的芸歴が近いのは1992年デビューのNSC10期生(ジャリズムメッセンジャーなど)、ココリコオアシズなどである。

デビュー当時に体験した営業の中には、生物展示会でのウーパールーパーの前座があった。

元気がない2人に元気な名前をということで、最初は『島原火砕流土石流』というコンビ名を付けられていた。しかし流石にテレビには出られないため、海砂利水魚となった[8]

上田がボケで有田がツッコミを担当していた時代の漫才の映像が流れることがあるが、大抵は1992年に放送された『笑売繁盛!』(日本テレビ)のもの。ネタのツカミは上田が『ムーミン』の主題歌のパロディを歌う内容。

海砂利水魚時代、デビューして2?3か月の営業で楽屋のドアの張り紙に「海砂利水魚 先生」と書かれていた。

以前、有田は上田のピン活動を「こそピン(こっそりピン活動の略)」と称してネタにしていたが、有田もピン活動をやるようになってからは以前ほどこのフレーズを使わなくなった。

大変コンビ仲が良いコンビとしても知られる。カメラの回っていない楽屋でも2人で会話を交わしたり、コンビ結成以来互いの誕生日にプレゼント交換を行っていたりする[9]

テレビ番組での衣装はほとんどの場合スーツ。「普通の服だと華がないから」という理由で制作スタッフやスタイリストから義務付けられているらしい。単発番組や深夜番組などではスーツでない場合もある。

2人ともものまねを得意とする。上田は松田優作大木こだま・ひびき内田裕也など。有田は長州力アントニオ猪木アニマル浜口などプロレス関係の人物が多い。


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