お笑いマンガ道場
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^ 1988年6月4日放送の「大変だ!」シリーズの温泉旅館編では、番頭役でゲスト出演したことがあった。
^ 後に構成作家として番組に参加。
^ 女性ゲストで最多回数。
^ 通常回では最後のゲスト。
^ コンビでの出演はなく、ピンでそれぞれ別の回に出演。
^ 1989年4月29日放送の「大変だ!」シリーズの寺院編では、和尚役でゲスト出演したことがあった。
^ 火野玉男が参加していた時期に出演。
^ 布施絵理が加入する直前の時期に出演。
^ ネプチューン結成前の堀内健原田泰造によるコンビ。
^ 石塚英彦は後述する「大変だ!」シリーズの相撲部屋編に、親方役でゲスト出演したことがあった。
^ 第1回目のゲスト。
^ 男性ゲストで最多回数出演。
^ 大沢逸美とコンビで出演。飛び入りで井森美幸も登場した。
^ 実際には前述の通り1988年から登場している。
^ これは鈴木に多く、一文字違いやダジャレで発表していた(恐怖のしりとりマンガでも同様のことをしていた)。レイがない場合メガネや蝶ネクタイなどを没収されたこともあった。
^ ヨイショしてレイをもらったあと柏村を侮辱する発言をした場合には自身のレイを没収され、他の回答者全員にレイが配られるようになる。
^ ダジャレのど自慢の時はチューブラーベルで合格の鐘(『NHKのど自慢』のアレンジバージョン)が鳴っていた。
^ ダジャレのど自慢の時はチューブラーベルで鐘がひとつだけ鳴っていた。
^ ルールとして通常はマンガ→ガム→虫歯→バーナー(この場合はバーナアと置き換える)→悪女(この場合の次は「じょ」)のように回答。まれにあんぱん→パンシロン→ロンドン→鈍感のようなしりとりをしたり、歌でしりとりをする場合もあった。
^ 解答権は挙手制で、かつ柏村から指名された時点となっている。
^ だん吉はコーナー終了後に余ったワッペンを自身のシャツによく貼っていた。
^ 中には富永と鈴木のこき下ろし方を教えてほしいとのお便りもあり、富永は鈴木を、鈴木は富永(実際に送られた写真を使ったり、お化けナマコの描き方を教えるのを目的として)をこき下ろしながらアドバイスを伝授していた。
^ 一家のペットとして、鈴木の顔をしたヘビが登場したこともあった。
^ それ以外の稀なケースとして、ゴミの山の中に住む鈴木を見た富永が鼻をつまむ作品(ダジャレマンガの寄せ鍋のお題で具の一つだった白菜にちなんだ、「はっ、臭い!」と言うダジャレ)が描かれたこともあった。
^ 鈴木の顔がワカメの「バカメ」もあった。
^ 富永だけでなく、その家族もオオサンショウウオとして描かれたこともあった。
^ 川島は「ウミボウズ」、だん吉は「顔だけが富永の豚」として富永をこき下ろすことがあった。
^ 多くは富永が鈴木によってこき下ろされる。稀にだん吉や女性レギュラー(主に川島や森山)によってこき下ろされることもある。
^ 富永がおっぱいのネタを描いた場合は、女性レギュラー(もしくはアイドル歌手を中心とした女性ゲスト)の困惑した表情がよくズームアップされていた。
^ まれに柏村からこき下ろされたネタで指名されることがある。
^ 川島もレギュラー時にだん吉をよくゴリラとして描いていた。富永からは稀に鈴木同様土管に住んでいる人や、便器として描かれたこともあった。
^ この場合以外でも稀にだん吉は富永をこき下ろすネタを描くことがあり、ネタの内容に怒った富永から追いかけられたこともあった。
^ まれにではあるが、だん吉と鈴木もダメ出しをすることがあった。
^ 富永が鈴木を自宅に居候させたり、鈴木が生活に困った富永を助けるなどといった友達思いのネタを描いたり、こき下ろされた鈴木や富永のことを柏村が「友達」とフォローすることもあった。
^ 山田まさこの時は、自身の顔の特徴的部分を過剰に強調したデフォルメ顔のハンマー、つげ香奈子の時はやはり、自身の顔の特徴的部分を過剰に強調したデフォルメ顔を先端に付けた如意棒(のちに顔の下に服と手足を付けた棒に)、星島みき子のときはキツネのハンマーだった。
^ 富永もアシスタントをネタにしてだん吉同様制裁されたことがある他、柏村もだん吉の指示によりアシスタントに制裁されたことがあった。
^ まれにではあるが、鈴木や富永も同様にこき下ろすことがあった。
^ 鈴木や富永がエバや川島をこき下ろした場合、だん吉を巻き添えにすることもある。
^ 中京広域圏では東海テレビで放送された。
^ 森山は本編のドラマパートにも出演。
^ 2人1席で札の名義は役名の「アキラファイヤー・メグッペファイヤー」。
^ 途中、放送されていなかった時期もあったほか、プロ野球中継の関係で放送されなかった週もあった。
^ 当初は木曜17:00 - 17:30の放送であったが、1984年4月1日より日曜12:30 - 13:00に移動し最終回まで放送[40]
^ 1976年10月2日放送開始。当初は土曜16:30 - 17:00に放送された(出典:産経新聞・岡山版、1976年10月2日、テレビ・ラジオ欄)。その後は自局のローカル番組との兼ね合いから10回以上オンエア時間の変更があった。最末期は土曜日の朝7時台の放送であった。
^ 日本海信販(現:エヌケーシー)をスポンサーとし「信販ファミリーアワー」というサブタイトルが付いていたため、17時59分55秒から5秒間サブタイトルの静止画を映した後、中京からのマイクロネットに切り替えていた。したがって厳密には17:59 - 18:30の番組であったが、NKTの番組表でも新聞でも18:00からの扱いとなっていた。
^ 4月25日から『忍者キャプター』を放送。
^ 1983年に34歳で死去。
^ アシスタントはピンマイクを装着していない状態で出演していた。そのため声出しの必要がある場合、だん吉がアシスタントの口元に自身のピンマイクを差し出していた。なお、りゅうのすけ参入以降は回によって3回戦のみ専属のアシスタントを設けていた。

出典^ 日本民間放送連盟(編)「制作ノートから 茶の間に新鮮な笑いを提供 / 伊藤眞」『月刊民放』第10巻第3号、日本民間放送連盟、1980年3月1日、30 - 32頁、NDLJP:3470931/16。 
^ a b “スタッフも復活!1990年をまたいで実感した「テレビの笑い」の変化とは『復活! 令和もお笑いマンガ道場』vol.1”. TV Bros. WEB. 2021年9月10日閲覧。
^ “Hulu Japan@hulu_japanのツイート”. Twitter (2021年11月8日). 2021年11月8日閲覧。
^ “伝説の人気番組「お笑いマンガ道場」アーカイブ映像10本を配信開始”. 中日スポーツ・東京中日スポーツ (2021年11月8日). 2021年11月8日閲覧。
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