おひさま_(テレビドラマ)
[Wikipedia|▼Menu]
本作品から、総合・BSプレミアムの1日2回の定時放送およびBSプレミアムの土曜午前の1週間まとめ再放送(90分)に加え、総合の4月10日より日曜に放送される新番組『NHKとっておきサンデー』でも23分間に編集した1週間ダイジェスト版[注 4]フロート番組扱い。「とっておきサンデー」休止日は単独番組扱い 字幕放送あり、また18時40分から18時45分にも5分ダイジェスト(これらは地上波のダイジェスト版はデジ・アナとも解説放送なし。5分版は字幕放送も行っていない)が放送される[注 5]。この2つのダイジェスト版にはあらすじを説明するナレーター江崎史恵[注 6]が担当した。

本作開始と同時に朝ドラ土曜本放送後座番組として『週刊ニュース深読み』(2011年4月9日 - 2018年3月24日。生放送)が開始。同番組では、時折『あさイチ』(2010年3月29日開始)同様に、冒頭で出演者が本作の感想を述べたり、本作とリンクさせた演出を行うことがあった。同番組では、以後もこの演出が行われることがあった。
あらすじ

東京で冴えない主婦生活を送る原口房子は、ある日気まぐれに、長野県安曇野を訪れる。運転していた車がそば畑で脱輪し助けを求め田舎を彷徨うなか、店舗「百白花」を見つけ立ち寄り、素敵な雰囲気を持つ店主の老女・陽子と出会う。房子は陽子に興味を持ち、彼女が語る半生を聞くこととなる。

1932年、10歳の陽子は、病弱な母との生活のために、東京から長野県安曇野に一家で移り住む。陽子は余命僅かな母からこれからの女性の生き方を教わり、周囲の人を照らす太陽のような存在であるべきと指南される。そして母は翌年に死去する。

女学校へ進学した陽子は、やがて生涯の友となる2人の級友と出会う。校則で禁じられている飴屋への寄り道をして語らい合ったり、家族に内緒で隣町へ映画を観に行ったり、兄の親友に恋をしたりなど、彼女たちと青春を謳歌するある日、母方の祖母と初めて出会い、亡き母が教師を目指していたことを知る。さらに、教師になることを夢見ていながら奉公に出された小学校時代の親友と再会し、勉強の内容を手紙で送り続けた陽子の支えが力になり栄進したと感謝され、陽子は教師になる決意をする。難関である師範学校の受験に合格し、師範学校卒業後、安曇野の母校の小学校に赴任する。

学校は国民学校と名を変え戦局は徐々に激しくなり、軍事色に染まった教育や、貧困・空腹・親の死などに耐える子どもたちを目の前に戸惑いながらも、陽子は明るく気丈に教鞭をとる。そんななか、顔見知りである松本の老舗そば屋の女将のすすめで、彼女の息子と見合をし紆余曲折を経て出征前日に結婚する。

兄や、生徒・同僚の大切な人たちの命を奪った戦争は終わり、平和が訪れたことに安堵する陽子であるが、教育内容がGHQの指示により一転。今まで教えてきたことが否定され屈辱を味わい、生徒たちは混乱して喧嘩も生じ、陽子は心を痛める。間もなく夫が無事に帰還するとともにようやく夫婦として生活ができるようになり、やがて長女を授かる。周囲の協力で産休を経て職場に復帰するが、校長には陽子の勤務ぶりが理解されず退職を迫られ、長女が大病を患った出来事を機に教職と母親との両立に自らの限界を覚り、離職。昼は長女を連れて食品会社の経理職に勤め、夜は学力不足のまま社会に出た嘗ての教え子たちに勉強を教える日々を送る。

婚家のそば屋が戦時中からの経営難を脱したこともあり、食品会社を退職してそば屋の若女将に専念するなか、東京から訪ねて来た教え子が、両親とおじの死後、引き取られた家で冷遇を受けていることを知り、彼女の身を引き受ける。その後、町が大火事になり、そば屋も巻き沿いを食らい焼失。義父母から無き店に捕われず好きな進路を歩むよう指示を受けた陽子と夫は、安曇野で家族の夢を叶えるべく、そば屋「百白花」を開店。家族・知人・客の希望を受け入れながら経営し、百白花は次第に「なんでも屋」に転身していく。

長女の小学校入学を経て、陽子は母の享年と同じ年を迎える。いつも通りに朝を迎えた陽子は、空に向かって「お母さん」と話しかけるのであった。
登場人物
須藤家

1932年昭和7年)9月、余命短い紘子の療養のために、東京から安曇野に一家で転居する。
須藤陽子(すどう ようこ) → 丸山陽子(まるやま ようこ)
演 - 井上真央(幼少期:八木優希、現代:若尾文子)劇中での主人公。母・紘子の生前の教えである「『女の子は太陽』、陽子の『陽』の字は『太陽』の陽」を胸に人生を歩んでいる。料理は得意であるが、裁縫が苦手である。1922年(大正11年)生まれ。10歳の時に、東京の学校から安曇野の有明山尋常小学校に転校。その後、地元の安曇野高等女学校に進学。高等女学校在学中に教師になる意思を固め、難関の受験を乗り越え松本女子師範学校に合格。1941年(昭和16年)に、世情が戦時体制に入り「有明山国民学校」と名前の変わった母校に赴任する。1943年(昭和18年)、そば屋「丸庵」の息子・和成と見合いをし、和成の再招集前日に結婚、結婚後も教師生活を続け、長女・日向子を出産した数か月後の1947年(昭和22年)まで勤務した。離職後は「長榮味噌醤油」の経理の手伝いをする傍ら、夜はかつての教え子たちに勉強を教える日々を送るが、醸造店を退職して1年後に起きた1950年(昭和25年)の松本市の大火事で丸庵も延焼したことをきっかけに、和成と共に安曇野に蕎麦店「百白花」を開店する。
須藤紘子(すどう ひろこ)
演 - 原田知世陽子ら3兄弟の母。旧姓「桐野」。元は、華族子爵の家の一人娘で、女学校への進学祝を帝国ホテルで開いたほどの家系であった。教師になることを夢見ていたが父親に反対されていた。良一と恋に落ち、両親の反対を押し切り家を出て結婚、3人の子供に恵まれる。元来おとなしくおだやかな気持ちを持つ母親である一方、陽子に対してこれからの女性の生き方を説いた上で、女性という理由で見くびられたら喧嘩を許す旨を教え聞かせるなど、芯の強い一面もある。特に陽子の名前の由来についての話は、陽子の人生観に大きく関わる事となる。元々体が弱く、心臓の持病で余命わずかと診断される。安曇野へ転居した翌年の1933年(昭和8年)10月、学校行事で陽子らが常念岳登山中、自宅の縁側で良一に抱かれ太陽を見つめながら他界する。亡き後も、陽子自身の懐妊時や、日向子の看病時などに、陽子の夢枕に現れ、支えとなる。また、良一が重体で昏睡状態の際には春樹と共に夢枕に立ち、現世へ追い返した。
須藤良一(すどう りょういち)
演 - 寺脇康文陽子ら3兄弟の父。生きることの意義、家族の幸福を何よりも重んじている。自分の子供たちに大きな誇りを持つ父親である。紘子からは「良さん」と呼ばれている。東京で飛行機の技術者をしていたが、余命わずかの紘子のために退社し、一家で安曇野へ転居。製糸工場へ転職し、工場長となる。真知子が須藤家に立てこもり一悶着して以来、真知子の父・剛三に親しみを持たれる。話し相手を求めてやって来る剛三を面倒臭がりながらも、正直に意見やアドバイスをする。1943年(昭和18年)陽子の縁談が持ち上がったころ、新型戦闘機の技術開発者としての誘いを受け名古屋の飛行機工場に赴いた。1945年(昭和20年)7月、空襲を避けるため名古屋の工場が松本に移転するに伴い、安曇野の自宅に帰宅。そのまま終戦を迎える。終戦以後の生涯は、自分が携わった飛行機で多くの若者が命を落とした事を深く悔やみ、飛行機の話をすることは一切無くなった。1946年(昭和21年)、剛三が新事業として立ち上げた紡績工場を任される。
須藤春樹(すどう はるき)
演 - 田中圭(幼少期:中川大志1919年(大正8年)生まれ。陽子の長兄。優秀で学業に秀でているだけでなく、行動も模範的な青年であった。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:124 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef