おたく
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? 堺屋太一[18]

批評家の東浩紀1990年代の不況と関連付けて分析をしている。消費社会化が行くところまで行った今日、日本人が「日本的である」と思う風景は、もはやフジヤマゲイシャではないでしょう。(中略)1990年代の長い不況のなかで、残ったのはコンビニケータイぐらい。『アキラ』のような格好いいサイバーシティはやってこなかった。そういう絶望と正面から付き合ってきたのが、オタクたちだったわけです。ニセモノとサブカルチャーしかない世界でどのように誇りをもって生きていけばいいのか。オタクたちはそんな物語ばかり紡いでいる。そしてそれはいまでは日本全体の問題でもある。 ? 東浩紀、2002年[19]
2000年代 オタクのカジュアル化

2005年(平成17年)には、アキバ系アニメオタクの青年が主人公である、2ちゃんねる発の恋愛小説電車男』が映画化及びフジテレビゴールデンタイムでドラマ化され、女性層や若年層を中心にヒットしたことで、宮崎事件以降長らく続いていた、オタクへの否定的なイメージが払拭されるきっかけとなった。この頃にようやく、変質者犯罪者予備軍などといった、マイナスイメージではないオタク像が世間一般に広く認知されるようになり、マンガアニメといった二次元文化が、カジュアルな趣味として市民権を得るようになったといえる[20]。その市場規模については、2005年時点で4110億円(野村総研調べ)と推定され、有望な市場としても注目が集まった[21]

同時にオタクバッシングの波も続いており、「ゲーム脳」「フィギュア萌え族」の提唱、アニメソング「なくなってほしい」発言騒動[22]なども起きたが、更には同年の流行語大賞に「萌え」や「メイドカフェ」がノミネートされるなど、オタク文化が世間一般に広まり始めた[23][15]

一方で、それまで副次的な要素にすぎなかった「萌え」文化も、おたく文化の主要な要素とみなされるようになり、「おたく=何かに萌えている人」「おたく=秋葉原にいる人」という偏見も生まれ、「オタク=アニメ・アイドルのオタク」というイメージがより一層強まる結果となった。

この頃には日本のアニメや漫画に強く影響された外国人の存在が徐々に知られるようになり、おたく文化が外国人から注目されていることが知られるようになったため、その評価が逆輸入される形でも地位は向上した。2003年(平成15年)には、おたく文化に強く影響を受けた外国人によって英語圏最大の匿名掲示板4chan」が開設され、アニメや漫画に特化した大規模なコミュニティ英語圏にも生まれた。

2000年代後半からは動画投稿サイトにより、ゲームの「実況プレイ」や、『初音ミク』を使用したVOCALOID楽曲などが流行し、同時期の深夜アニメバブルを追い風に、2006年の『涼宮ハルヒの憂鬱』などの深夜アニメ作品がインターネットで人気を博した[20][24]

2007年(平成19年)に大学生を対象に行われた調査によると[要出典]、おたくが受容される傾向にあることが示され、オタク文化への認知が進んだ。調査では、自らがおたくであると思い当たるフシがある、親しい友人におたく的な人がいると答えたものが増加しており、おたくの内集団化が進んだとされる。

また、2007年には、麻生太郎外務大臣(当時)がサブカルチャーを利用して日本を代表する外交活動を行い、外国人漫画家に贈られる「国際漫画賞」を創設した[25]

2007年放送の『らき☆すた』では、所謂「聖地巡礼」がブームとなり、それを地元の自治体町おこしに活用するという現象も生まれた。そうした一連の流れを「萌えおこし」と称することもあり、以降、このような聖地巡礼や萌えおこしは他作品でも一般化していくことになる。

一方で大塚英志は、世間のオタク観をこう批判している。「おたく」なる語が「オタク」と片仮名に書き換えられるあたりから文部科学省経済産業省や、ナントカ財産〔ママ〕の類がちょっとでもうっかりするとすり寄ってくる時代になった。ぼくのところでさえメディアなんとか芸術祭という国がまんがやアニメを勝手に「芸術」に仕立て上げようとするばかげた賞がもう何年も前から「ノミネートしていいか」と打診の書類を送ってくるし(ゴミ箱行き)、そりゃ村上隆宮崎アニメは今や国家の誇りってことなんだろうが、しかし「オタク」が「おたく」であった時代をチャラにすることに加担はしたくない。国家や産業界公認の「オタク」と、その一方で見せしめ的な有罪判決が出ちまった「おたく」なエロまんがはやっぱり同じなんだよ、と、その始まりの時にいたぼくは断言できる。国家に公認され現代美術に持ち上げられ「おたく」が「オタク」と書き換えられて、それで何かが乗り越えられたとはさっぱりぼくは思わない。 ? 大塚『「おたく」の精神史 一九八〇年代論』著者からのコメント[26]
2010年代 大衆文化との逆転現象

2010年代以降、iPhoneAndroidが普及し、PCよりもスマートフォンインターネットに全世代が触れるようになった。テレビ、電子掲示板動画共有サイトTwitterなどのSNSなどでオタク文化が拡散したことで、マニアックな話題で交流を行うことが広く理解された。

2010年頃から、「AKB48」や「ももいろクローバーZ」などのブレイクによりアイドルブームが起こった。AKB48のヒットにより、「推し」という言葉が一般化し、女性アイドルだけではなく男性アイドルやアニメのキャラクターなど、様々なジャンルでも使用されるようになった。

オタクという呼称そのものも半ば陳腐化し、「オタ」と気軽な呼び方で使用されたほか、「鉄オタ」「特撮オタ」のようにファンやマニアと同義に使われることが増えた。

2010年代後半から、「Netflix」や「Amazonプライム・ビデオ」をはじめとした定額制動画配信サービスの台頭で、映像作品に触れる機会が多くなってきたことからオタクに憧れる若者も増えてきている。その背景として、博報堂DYメディアパートナーズの森永真弓は、世間からの「個性的でなければいけない」という外圧により、「無理して個性を作らなければいけない」と焦る若者が増えているとして、その理由を「カルチャーシーンから“メジャー”が消えてしまったから」だと分析し[27]、「属するだけで安心できていたメジャーが消えてしまった今、彼らが探しているのは、要は“拠りどころ”なんだと思います。自分が属しているだけで、楽しいと思える場所。それが、オタクという属性です。(中略)推し活動をしているオタクはすごく輝いているから、自分もああなりたいと切望する。もしそうなれて、オタクという属性を手に入れられれば、結果的に自分は“個性的”にもなれる、と捉えている。だから正確に言えば、“オタクになりたい”んじゃなくて、“拠りどころになりうる、好きなものが欲しい”だし、それは“個性的な自分でありたい”だし、一番正直に言うなら“自己紹介欄に書く要素が欲しい”なんですよね」と語っている[28]

原田曜平は、非常に多くの若者たちが、自分のことを「オタク」と自称するようになっていることを挙げ、本来であれば、サブカルチャー好きを指す言葉である「オタク」というワードが、メジャーなカルチャーにまで使われるようになってきていることに驚いたと述べている。また、話題になった作品だけをチェックしており、オタク知識は総じてそう深くない「エセオタク」が増えており、濃度の高いオタク(ガチオタ)からは「にわかオタク」と揶揄されることもある[29]

また、日本政府観光資源の一環として、国策で「クールジャパン」戦略を行うようになったのも2010年代からであり、迫害から一転し、おたく文化は政府お墨付きの“体制側”の文化になったとも言える。

オタク層は選挙の動きも左右するほどになっており、第25回参議院議員通常選挙自民党山田太郎が当選した際には、オタク票を味方につけたことが勝因と評された[30]


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