おたく
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結局のところ、<おたく>なる語はすっかり定着してしまいました」と述べた[12]

岡田斗司夫は、おたくを「収容所に入れられた囚人」であるとしてこう語っている[13]。「おたく」という言葉がない時代は、いろんな種族がいただけでした。SFファンとかアニメファンとかマンガファン、個別の作品とか個別のジャンルのファンがいたわけです。

それを外側からひとまとめにして、ああいう奴らを「おたく」と言うんだと決めつけられてから、私たちの民族が発生した。だから、正確に言うと民族じゃなくて私たちはもともとは他者から「強制収容所に入れられた囚人」でした。あるときから、「ヘンなやつら強制収容所」が作られた。そこに収容される理由は様々でした。まずは「アニメ好き」「マンガ好き」「ゲーム好き」という人たちがぽんぽんと放り込まれた。それだけではなくて「なんか暗い」とか「なんか社会性がない」という人たちまでも、ぽんぽん放り込まれていった。この収容所の看板が「おたく」でした。 ? 『オタクはすでに死んでいる』(新潮新書, 2008年) - p.52-53

なお、竹熊健太郎と『漫画ブリッコ』元編集部の小形克宏は、当時を振り返って「おたく」という造語がシニカルながらも秀逸なネーミングであったことを認めつつ、命名者の中森明夫に対して、ある種の違和感を抱いていたことを次のように語っている。.mw-parser-output .bquote cite{font-style:normal}

竹熊 中森氏の「おたくコラム」について、担当者としてはどう考えていたんですか? そう言えば聞いた事がなかったけど。
小形 そうだなあ、「庇いきれなくてごめん」って感じだなあ。
竹熊 あれ、「差別文章」だとは思いました? 僕はきついなあ、と思ったけど、げらげら大笑いした記憶があります。
小形 そうだなあ、きつかったよねえ。でも中森氏の持ち味だからねえ。まあ、おれが感じたのは「中森くんだって、この中に書かれているおたくじゃないのかなあ」ってことかな。そして「おれもそうだなあ」ということ。そうでしょ?
竹熊 中森くんも小形くんも、僕も、大塚さんだってオタクだよね。それで、本が出て2ヶ月後のコミケでは、もうみんな「おたく」って言い合ってました。最初はオタクが自分の事を自嘲するスラングでしたよね。
小形 そうだね。でも、中森氏は一貫して「自分はオタクじゃない」って言ってる。すごい不思議だけど。大塚氏もきっと違うと思っていると思う。確かめたことないけど。
竹熊 不思議だよねえ。周囲のオタクはむしろ喜んで使ってた感じだったけどねえ。とにかく「あ、それ!」と膝を打つぴったりなネーミングだった。
小形 そうね、なんとなく意識していた程度のものに、名前が付いて以降意識せざるを得なくなった瞬間。
竹熊 なんかもやもやとあったけど、名前がついて一挙に定着した感じだよね。でもオタクが一般化したのは、やはり7年後の宮崎事件でしたね。あれでマスコミが使い出して自嘲語から差別語になった印象があります。
小形 あの時、中森氏が電話かけてきたんだよね。「大塚さんの連絡先教えて」って。「悪いけど今は知らないんだ」って答えたけど。自分から大塚氏に連携を呼びかけようとしていた。昔打ち切られたのに、偉いなあってすごく感心した。

?おたくの語源―”非”大塚英志史観の『漫画ブリッコ』再検証
宮崎勤事件

1988年から1989年にかけて発生した東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件(以下「宮ア勤事件」)において、犯人の宮崎勤が収集していた特撮アニメホラー映画ビデオテープ、漫画やアニメ雑誌などをマスコミメディアが取り上げ、「現実と虚構の区別が付かなくなり犯行に及んだ」として、センセーショナルに報じた。その際、宮崎の個室部屋が報道され、4台のビデオデッキと6000本近いVHSビデオテープが万年床を乱雑に囲んだその部屋は、犯人の異常性を示すものとして注目を浴びた。当時まだ一般に浸透していなかった“おたく”という人格類型の呼称が定着したのも、この事件によるものだった。ただ、宮崎の部屋は殺人犯特有の特殊なものというよりは、オタクの部屋にしばしばみられる傾向として、オタクたち自身にも認識されている[14]

この事件により、「おたく=変質者・犯罪者予備軍」というイメージが定着し、おたくは印象の悪い言葉として広まった。この時期、「おたく」という言葉はNHKでは放送禁止用語とされ、使用できない言葉であった[5]。現在でもこの影響は残っており、おたくを性犯罪と結びつける報道がなされることがある[15]
自称おたく評論家「宅八郎」

宮崎勤事件によって「おたく」に注目が集まる中、無署名で活動していたフリーライターが1990年に『週刊SPA!』上で、おたく評論家宅八郎」としてデビュー。翌年の1991年にワンレングスの長髪に銀縁眼鏡マジックハンドアイドルフィギュア、手提げ紙袋を持つという姿でテレビ番組に出演し、強烈なインパクトを残した。いわゆるオタク史の中の位置づけとして、宅八郎は宮崎勤事件と並んで「オタクの間違ったイメージを広めた」存在として語られることが多い。宅八郎と長年交流のあった大泉実成は、宅について、「彼にはオタクのプラス面をアピールしたいという思いがあった。ただ、その擁護の仕方がめちゃくちゃで、誤爆のようなところがあった」と振り返っている。宅のメディアでの風貌は作られたものであり、オタクに見える服を着て、おたくを演じていた。大泉は、「オタクと呼ばれていた当事者たちからは、演じていることはバレバレ。迷惑でもあっただろう」「オタクの歴史を語るうえでは、あだ花のような存在でしょう」と語る一方で、宅の著書『イカす!おたく天国』について、「負のイメージが強かったオタクを、特定の分野に特化した優秀な存在として社会に伝えた。その意味はあると思う」と評している[16]
イメージの好転

1990年代前半には、依然として「おたく=変質者・犯罪者予備軍・社会不適応者」とみなす論調があり、1991年にはコミケ幕張メッセ追放事件が起きた。

一方で1990年代後半からは、海外で日本の漫画やアニメ、ゲーム等が流通していることが徐々に知られるようになり、1995年から放送された『新世紀エヴァンゲリオン』が、社会現象と評されるほどのヒットとなって多くのメディアで取り上げられたことや、一般向け作品ではあるが1997年のスタジオジブリ作品で宮崎駿監督の『もののけ姫』が、当時のアニメ映画としては異例の興行収入193億円のメガヒットを記録するなど、アニメや漫画などが公平に報道・評価されることも増えつつあった。

そのような流れもあり、1996年にはNHKBS2で、漫画を紹介・解説する『BSマンガ夜話』が放送を開始するなど、漫画やアニメといったサブカルチャーが、小説実写映画等といったメインカルチャーと同じ土俵で語られることも徐々に増え始めた。

また、『AKIRA』(1986年)や『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』(1995年)といったアニメや漫画が海外のクリエイターにも大きな影響を与え、更にはその二作品にも影響を受けた、1999年公開のハリウッド映画マトリックス』が、世界的に大ヒットを記録した事などがきっかけで、日本でも「ジャパニメーション(Japanimation)」が逆輸入的な形で評価され始めた。

岡田斗司夫は、1980年代後半から1990年代までのオタクを取り巻く状況について、こう語っている。(オタクに対する誤解をなんとかするためには)2つ方法がある。1つは魅力そのものを伝えてオタクというのは実は面白くて「こうだ」っていう方法。もう一つは、お前らは知らないだろうけど、海外では俺達ちょっとしたもんだぜっていうこの二面作戦でオタクって実は大したことあるよという底上げ作戦を展開したんですね。それはその後、海外でのオタク評価は本当に上がってきたりですね、「エヴァンゲリオン」が大ヒットしたりですね、ものすごい後押しがあったんですね。時代の後押しがあったおかげで、なんだかんだいってもオタクは80年代の暗黒の時代から90年代の後半になるにつれて、かなり楽な状況になってきた。
だから僕たちは、なんかこう「オタク」と言えるようになったんですね、自分のことを。ロフトプラスワンで「オタクのイベントだ」と言って人が来るようになったのそれのおかげなんですよ。それまでは「オタクのイベントだ」と言うと、何よりもオタクが来れなかったんですね。オタクと思われたら困るっていう風に思ってた。それがなんか90年代半ばのオタク状況。(中略)
世の中が急激にそのオタクを認めるようになった。1つは、お前らがやってることって案外面白いんだなってのが、ようやっと評価されてきた。それはエヴァンゲリオンとか色んな作品のヒットのおかげですね。あともう一つ、海外で一流の監督とかが皆オタクだと自分のことを言ったり、よその国ではセーラームーンとかそういうコスプレしてる奴がガンガン出てきて、僕らのヘンテコさがなんとなく相対化されたんですね。僕らが相変わらずヘンテコなのは当たり前なんですけども、海外にもヘンテコな奴がいるからなんだこれ?って。日本の中の変な奴じゃなくて、世界でいえば普遍的な奴なんだ。あいつら面白かもわかんないなみたいな目線で見てもらえるようになったのが僕らがちょっとだけ生きやすくなった理由ですね。 ? 『オタク・イズ・デッド』(新宿ロフトプラスワン, 2006年5月24日)

また、岡田はこのようなおたくへの評価が好転した要因として、「オタクたちの努力だけではなく、日本経済が行き詰まっていたことも挙げられる」と述べている[17]。財界人からもオタク文化に期待する声が寄せられた。日本人は、日本発のものは世界に評価されるはずはないと思っている。桂離宮から浮世絵まで、外国人が評価したものだけを日本文化と称してきたが、それは違うのではないか。


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