おくのほそ道
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^ 芭蕉がここで「松島やああ松島や松島や」と詠んだというのは全くの俗説。没後百年ほどして、仙台藩の儒者である桜田欽齊『松島図誌』に収載された江戸後期の狂歌師・田原坊の「松嶋やさてまつしまや松嶋や」に由来するものであり、正岡子規も「箸にも棒にもかからぬ駄句なり、芭蕉の句であるわけが無し」と酷評している。「おくのほそ道総合データベース」参照[8]。.mw-parser-output .templatequote{overflow:hidden;margin:1em 0;padding:0 40px}.mw-parser-output .templatequote .templatequotecite{line-height:1.5em;text-align:left;padding-left:1.6em;margin-top:0}底本について—「俳聖 松尾芭蕉・みちのくの足跡」に掲載している「おくのほそ道」は、 素龍清書の「西村本」を底本としています。日本古典文学刊行会複製・素龍清書『おくのほそ道』(昭和47年刊行)—[8][9][10]。。平泉は、おくのほそ道の折り返し地点にあたり、藤原三代の栄華をしのび、「夏草や兵どもが夢のあと」の句を詠んだ[6]
^ 柿衞本が1960年に発見される以前は、西村本のみがそう呼ばれていた。
^ 実際には「嶋々や 千々にくだけて夏の海」の句がある[21]
^ 本文では「一笑(いつせう)と云うものは、此道にすける名のほのぼの聞こえて、世に知人も侍りしに、去年(こぞ)の冬、早世したりとて、」
^ おくのほそ道の風景地 - 文化遺産オンライン文化庁

出典^ 巻菱湖 188, 李青蓮 春夜宴桃李園序.
^ 宮田 & キーン 1986, pp. (コマ番号0052.jp2-0055.jp2).
^ 森 1984, pp. 20-21(11コマ目).
^ 藤原 2001a, pp. 1?12.
^ 藤原 2001b, p. 10コマ目loc=「第I部 『おくのほそ道』の本文研究」.
^ a b c d e f g h i 浅井建爾 2001, pp. 136?137.
^ a b 浅井建爾 2015, pp. 128?129.
^ a b “芭蕉について:松島へのあこがれ”. www.bashouan.com. 俳聖 松尾芭蕉・みちのくの足跡:第2集 芭蕉と松島 (2018年11月11日). 2018年11月11日時点の ⇒オリジナルよりアーカイブ。2023年12月8日閲覧。
^ 日本古典文学刊行会 編 1972, 素竜清書本の複製.
^ 弥吉 等 1971, pp. 31, 1 西村.
^ a b 岡本勝雲英末雄『新版近世文学研究事典』おうふう、2006年2月、319頁。 
^ 中尾堅一郎氏死去/中尾松泉堂書店会長四国新聞社、2009/07/12
^ a b c『奥の細道』の緒本芭蕉DB, 伊藤洋、山梨県立大学
^ a b c 講演記録 「目で見る江戸俳諧の真髄展」記念講演会 芭蕉と蕪村の「奥の細道」藤田真一 (関西大学図書館, 2009-06-30) 掲載雑誌名:関西大学図書館フォーラム. (14)

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