エンディングにおいても、あたる達は夢の中にいて、学園祭前日は永遠に繰り返される、という解釈を許容する演出となっている。
作中でテンが夢邪鬼から貰った変なブタ、すなわち獏のマルC(c)マークは、著作権の意匠である。あたるが獏を呼ぶラッパを吹き、このマークが消失し獏が夢を食い荒らす、というのは著作権の暴走を象徴している、とのこと[要出典]。 本作は、監督の嗜好・思想が随所に散りばめられた内容となっている。構図や構成、テーマをいくつかの作品を模倣している。これらは、DVDに収録されたオーディオコメンタリーにより解説されている。 本作は、当時の幅広い分野のクリエイター達に影響を与えた。本作品は、いくつかの作品にて模倣されている。
先行・後続作品とのつながり
先行作品の影響
本作のモチーフは「生きることの全ては夢の世界のできごと」というテーマ(夢オチ)である。「荘子」の一節「胡蝶の夢」からの影響も大きい。喫茶店のシーンで蝶が出て来るのはこれを示唆しているとのこと。作中の夢邪鬼のセリフには、この説話が挿入されている[5]。
フェデリコ・フェリーニや、ジャン=リュック・ゴダールなどの映画作品、マウリッツ・エッシャーの作品「3つの世界」を取り入れている。エッシャーからは、構図と作品構造を取り入れている。押井守は『ルパン三世 ルパンVS複製人間』を例に挙げ、「絵面だけ引用しても成立しない。構造まで引用しないと意味が無い」と語っている[5]。
「ありおり侍りいまそかり」の台詞は、小松左京の小説『明日泥棒』の登場人物「ゴエモン」の口癖から引用している[5]。ただしこの言葉自体は、古文におけるラ行変格活用の形式を取る単語の覚え方として、古くから受験生の間に広まる語呂合わせである。
夢邪鬼がヒトラーやシーザーの人生に関与したとするシーンの描写は、宮崎駿の『ルパン三世 カリオストロの城』でゴート札を説明するシーンを取り入れている[5]。
劇中で上映される映画として、『ゴジラ』(第1作)の場面をアニメ化している[7]。
夢邪鬼があたるに見せた悪夢の一つで、テレビアニメ第1話でのラムとの鬼ごっこの終盤が再び描かれた。テレビ版ではあたるがマジックハンドでラムのブラジャーを掠め取り、その隙にラムの角をつかんだが、本作では原作と同様にあらかじめ奪っていたブラジャーを取り出してラムの気を引きつけた。しかし、角をつかむことを逡巡しているうちに時間切れになってしまう。
1981年版テレビアニメの第101話「みじめ!愛とさすらいの母!?」は、本作の原型ともいえるエピソード。あたるの母親を主人公にした、やはり同様に虚構と現実をテーマに描いた作品である。同シリーズのチーフディレクターを務めていた押井守は、NHK BS2の『アニメギガ』内でこのエピソードについて語っている。「あのお母さんは面白い女だと思った。何かできないかなと思った」「やり過ぎたのかもしれないけど、後で呼び出されて怒られた。二度とやるなと言われた。何をやってもいいけど話のつじつまだけはちゃんと合わせろと」「これをうまくやると今までと全然違うものができるかもしれないと。それはそのまんまビューティフルドリーマーに持ち越された。あの時も表面上は絶対だめと言われていてチェックもされていた。要はマークされていた。テレビシリーズという枠の中ではあの辺が限界だろうとは分かったので、あとは表現それ自体をより緻密にしていく以外にインパクトの持ちようがない。やるとするなら映画だろうとは思っていた」。
後続作品への影響
アニメ監督の細田守とライターの小黒祐一郎は、本作を称賛している[8]。
アニメ監督の神山健治は、本作を称賛している[9]。
キネマ旬報社の『押井守全仕事』で、高橋良輔は一番好きな押井作品として本作を挙げている。
宮崎駿の長男の宮崎吾朗は当時、父の作品『風の谷のナウシカ』よりも本作のほうが好きだったと話している[10]。
星新一は『キネマ旬報』の「No.1000 1989年1月上旬号 戦後復刊1000号特別記念号・日本映画史上ベスト・テン」より本作を選出している。
桜坂洋はハリウッド実写化もされた『All You Need Is Kill』の執筆にあたり、はじめに頭に浮かんだのは本作と公言している[11]。
SF作家の笹本祐一は本作の影響を受けて、小説『妖精作戦』シリーズの第2巻「ハレーション・ゴースト」を執筆しており、その巻末では「ビューティフル・ドリーマー」に対する謝辞が述べられている[12]。