いじめ
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学校や第三者委員会が「いじめ」を認定する際には、「立場の互換性がない」、あるいは「力関係の差」が存在することを要件とする記述も散見される[13]。つまり、「いじめる」側と「いじめられる」側がしばしば互いに入れ替わったり、「強い」立場の者が「弱い」立場の者をいじめるという構図にあてはまらない場合には、じゃれあいやケンカなどとみなされる場合もある。なお、ここでいう「強い」「弱い」という言葉は、腕力や発言力などを指すものではなく、あくまでも集団内での「立場」《スクールカースト》を指し、たとえば発言力の強い者がまさにそれゆえにいじめの対象となることもありうる[14]

中学1年生についての国立教育政策研究所追跡調査(2004-2009)[15][16]によれば、半年後まで続くような週1回以上のいじめ事例は半分以下で、一般的イメージとは異なり、いじめる生徒・いじめられている生徒は短期間で入れ替わっており、固定的ないわゆる「いじめられっ子(いじめられやすい子供)」や「いじめっ子(いじめやすい子供)」も存在しないとされた[16]。また、同じ学校・同じ年度の生徒であっても学年が進むにつれていじめの数が大きく増減しており、「いじめが起こりやすい学校・年度」のようなものはなかった。したがって、「いじめが起きやすい学校とそうでない学校、いじめが起きやすい学年とそうでない学年というものが存在しているわけではない」[16]。そのため、「何か特別な問題や背景があるから、いじめが起きる」わけではなく、「そうした問題の有無とはさほど関係なく、いじめは起きうる」「ちょっとしたきっかけで、いじめは起きてしまう、広がってしまう」のが実態とされた[15]小学校においても同様の傾向が確かめられている[16]

ある行為が「いじめ」であるかどうかの判定は極めて困難であり、むしろその区別にこだわり過ぎているという指摘もある。1994年の愛知県西尾市中学生いじめ自殺事件で自殺した生徒の父は「いじめかどうかは重要ではありません。その行為はいじめではない、と言われたら子供だって安心する。教職員を含めてみんな面倒なことは避けたくて、いじめではないことを心のどこかで望んでいるのかもしれません。でも本来は、仲間はずれにされたり、傷つけられたり、『ウザい』『キモい』『死ね』とけなされたりする行為そのものが問題なはずです。定義が曖昧ないじめという言葉は、教委や学校が責任を逃れるための隠れ蓑になっているのではないでしょうか」と語っている[17]

また、2005年の丸子実業高校バレーボール部員自殺事件では自殺した生徒の母親が裁判をおこすと、事実無根で捏造であるとして加害者とされた側も裁判を起こし、判決では生徒の遺族側の主張は退けられた。新潟県神林村男子中学生自殺事件(2006年)では当時の文部科学省の定義からは認定が難しいとされた。

いじめ事件の難しさは、自尊心を傷つけるなど、客観的に刑事事件として立件することが難しい場合もあるが、被害者へのダメージは確実に存在することである[18]
嗜虐的関与

内藤朝雄によれば、いじめは相手の肉体的・心理的苦痛を快楽的に楽しむことを目的として行われるさまざまな行為であり、学級など簡単には抜けることのできない集団のなかで、群れた「みんな」の勢いや「自分たちなり」の特殊な秩序を背景として、そのような行為がなされることをいう[19]。内藤は「人間関係が濃厚すぎる集団内において生じる欠如を埋めようとする偽りの全能感」としていじめの理論化を行った[20]
内藤は最広義の定義を実効的に遂行された嗜虐的関与とした。つまり、相手が苦しむことを楽しむことを目的として、何らかの行為が行われ、実際にそれが効果を挙げたことをいう。「嗜虐的」攻撃は、「戦略的」攻撃[注釈 1]とは区別され、攻撃を受けて苦しむ様子を見ること自体が目的である。

次に、広義において、いじめとは「社会状況に構造的に埋め込まれたしかたで、実効的に遂行された嗜虐的関与」であるとされる。この定義において、たとえば通り魔や、グループを組まない乱暴者による一対一のいじめは除外される。なんらかの人間関係があったり、学級などに制度的に組み込まれているなどの枠組みの中で、いじめは発生する。

さらに、狭義では「社会状況に構造的に埋め込まれたしかたで、かつ集合性の力を当事者が体験するような仕方で、実効的に遂行された嗜虐的関与」と定義される。集団の中の「ノリ」がエスカレートして暴力が激化したり、客観的には取るに足らない理由でシカトされる者が決定されたりと、集団心理のダイナミクスが働いていることが狭義におけるいじめの要件となっている[21]

日本政府による定義

平成18年以前の日本文部科学省の定義では「(1)自分より弱い者に対して一方的に、(2)身体的・心理的な攻撃を継続的に加え、(3)相手が深刻な苦痛を感じているものであって、学校としてその事実を確認しているもの」とされていた[22]。2006年(平成18年)度文部科学省による調査[23]において、いじめの新定義として「当該児童生徒が、一定の人間関係のある者から、心理的、物理的な攻撃を受けたことにより、精神的な苦痛を感じているもの」とされ、起こった場所は学校の内外を問わない、個々の行為が『いじめ』に当たるか否かの判断は表面的・形式的に行うことなく、いじめられた児童生徒の立場に立って行うものとする、とされた[22]。また、具体的ないじめの種類に「パソコン・携帯電話での中傷」「悪口」などが追加された。いじめの件数についても「発生件数」から「認知件数」に変更された。

2013年に成立、施行されたいじめ防止対策推進法によれば、「いじめ」とは、「児童等に対して、当該児童等が在籍する学校に在籍している等当該児童等と一定の人的関係にある他の児童等が行う心理的又は物理的な影響を与える行為(インターネットを通じて行われるものを含む。)であって、当該行為の対象となった児童等が心身の苦痛を感じているものをいう」(第2条1項)。
分類

教育社会学者の藤田英典も(学校での)いじめを次の4つに分類し、多くのいじめに対する言説がその特性の相違点を考慮していない点を批判している[24]
モラルの低下・混乱によるもの。1980年代中ごろに頻発したタイプで、被害者が偶発的に決定されるところに特徴がある。一種のモラル・パニック集団ヒステリーといえる。

社会的偏見・差別による排除的なもの。1のケースと比較するといじめの対象となった理由(特定の社会的属性を持っていたということ)は明瞭であり、差別意識自体を取り除く指導をすることがこの種のいじめの対策となる。


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