いしかわじゅん
[Wikipedia|▼Menu]
漫画評論家として

@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}いしかわは漫画アクション増刊号・アクション・ラボでは責任編集者として、自分が好きな漫画家に自由に漫画を描いてもらい、一冊の本にして読者に紹介し、反応を探るという実験を試みていた。そしてさらに一歩進んで、1995年に、漫画評論集『漫画の時間』を発表する。この作品では、自分のフィールドであるギャグ漫画を中心に、少女漫画、そしてゲイ漫画、風俗ルポ漫画、暴走族の実録漫画などのアンダーグラウンドの分野まで幅広く漫画を扱い紹介した。歯に衣着せぬ論評で、ベストセラーとなるが、一方で現役漫画家が漫画を評論することに、読者そして同業者からも賛否両論が起こることとなる。後にこの作品での成功は、宝島社の『このマンガがすごい!』などの刊行や『BSマンガ夜話』の放送開始などもあり、漫画評論が刊行誌などで連載され読み捨てられるだけのコラムなどではなく、売り物になる出版物のジャンルとして定着するきっかけとなってゆく[要出典]。

いしかわ本人は「子供のころからずっと大量に漫画を読み続けてはいたから、読む力はある」と自負している[7]

『BSマンガ夜話』で共演した作家の岡田斗司夫によれば、いしかわは論理的、分析的に話を進めるタイプではなく、「本当に天然で何も考えず喋っている」タイプの評論家だといい[18]、同番組に出演していた漫画コラムニストの夏目房之介は常々「俺本気の評論家モードで話したらいしかわじゅんと話が合うはずないじゃん」と評していた[18]。そうした危険をはらみながらも同番組の継続が可能となった理由について、岡田は「いしかわじゅんの暴言、断言をいかに引き出して、みんなでそれを面白がるか」に出演者一同が気づき、それぞれの役回りに徹した結果としている[18]

また、漫画の「うまいヘタ」をわかりやすく断定しようとするため物議を醸すことが多い[17]。夏目によれば、いしかわには「マンガがうまいことと、絵がうまいことは、必ずしも一致しない」という前提があり、同じ作家として作品を発表しているのなら作品の巧拙を論じられることは避けられないという矜持があるという[17]。夏目は、いしかわが「うまいヘタ」を断定したところで一面的なものに過ぎず、普遍的なものではない。けれど、一面的として切り崩していくと批評もできなくなり、誰かが断定しなければ話は始まらないのだと擁護[17]。さらに「マンガでしか表現として成り立ち得ない構造」などのいわゆる漫画文法について「いしかわは優れた指摘のできる人物」と評している[17]。その一方で評論家として「いいかたに難がある」「よく言えば率直、悪く言えば人を傷つけやすい」ともしており、当人はプラスに評価するつもりでも「絵は下手だけど」と前置きするために、相手にはマイナスの評価として受け取られる傾向があるとしている[17]
エピソード

この節は検証可能参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方
出典検索?: "いしかわじゅん" ? ニュース ・ 書籍 ・ スカラー ・ CiNii ・ J-STAGE ・ NDL ・ dlib.jp ・ ジャパンサーチ ・ TWL(2018年10月)

吾妻ひでお

1970年代は、吾妻ひでおとファン層が重なっており、作品内で吾妻ひでおと「抗争」があった。吾妻の作品『ななこSOS』には、石川をモデルにした“Dr.石川”というキャラクターが登場している。

いしかわは自作の人物は足がごく小さいことから吾妻作品について「足の大きさは醜いと言ってもいいくらいだ」と書き、吾妻は「月並みでない、臭くないギャグ」と評した。この状況を手塚治虫が自作『七色いんこ』でパロディにしており、いしかわ扮するヒゲを生やしたPTA会長の女性が吾妻扮する校長先生とキスを交わし結婚するというエピソードを描いた。いしかわ曰く、「吾妻との仲は全然悪くなかった」[19]。2019年に吾妻の死去の報を受け、Twitterで哀悼の意を表している。

いしかわと吾妻は高信太郎によって、「リトル・メジャー」(いしかわ)、「ビッグ・マイナー」(吾妻)と評された。

『漫画ノート』に収録されている、『失踪日記』発表後の吾妻ひでおへのインタビューで「自身もデビュー10年目ごろにギャグ漫画を描き続けることに行き詰まり、仕事を整理して香港やロンドンを数カ月訪問してその後、1年半ほど仕事をしなかった」と語っている。
関川夏央と狩撫麻礼

また、漫画原作者の関川夏央狩撫麻礼とも、1970年代から1980年代にかけて交流があり、関川は「セキカワ教授」「山道山」など多数のキャラで、狩撫は坂口安吾の作品のキャラクターを元ネタとする「風博士」として、いしかわの漫画に登場していた。

だが、エッセイ漫画「フロムK」で、狩撫を「漫画業界のパーティでは(自分の漫画の)風博士の真似をする」「パーティでは、かならず途中で機嫌を悪くして帰ってしまう。パーティが嫌いなら最初から来なければいいのに」と描写したのが狩撫の意に沿わず、その返答として狩撫が原作を担当する同じ雑誌掲載の「ボーダー」に、いしかわと関川を揶揄したエピソードが90話で描かれた。これに関川が激高し、正式に漫画アクション編集部に抗議したため、いしかわも態度を鮮明にせざるを得なくなり、関川を支持することとなる。結局、この件に関しては、漫画アクション編集部と狩撫、さらには作画担当であったたなか亜希夫までが同誌に謝罪文を掲載することとなり、こうした事情により単行本には収録されていない。後年、この件に関していしかわは、「狩撫はよくある楽屋落ちの冗談のつもりだったのだろうが、もともとあまりギャグのセンスがなかったこともあって、下劣で醜悪な物になってしまった」、「誰か(編集部、あるいは作画担当だったたなか亜希夫)が止めるべきだったのに誰も止めなかった」「関川が激高したことは理解出来るし、どちらを支持するかと言えば関川を支持することになる」、「とにかく悲しい出来事であり、あまり思い返したくない」と語り、暗に関川を巻き込まなければ、適当なところで手打になったであろうという意味のことも書いている。このことによりいしかわと狩撫との関係は悪化し、予定されていたコンビによる連載が中止になったという。さらに、関川と狩撫は完全に絶縁状態になった。

関川との関係はその後も良好であり、後に撤回されているが『BSマンガ夜話』が局側の意向により一旦終了が決まった際、関川が原作を担当した『事件屋稼業』を取り上げている。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:54 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef