その後 活動をラジオ、テレビ、ステージに移し、エフエム北海道出演を皮切りにSTVラジオ、HBCラジオに大きくかかわり、UHBやHBCのテレビ番組にも多く出演している。
また、1988年から札幌大通で行われている「さっぽろ夏まつり」と「さっぽろ雪まつり」のステージディレクター[1]を2011年まで続けていた。
その他 1993年10月から現在まで HBCラジオにてプロレス専門番組『ラジプロ!』の制作と出演をこなしている。
その一方で大東流合気柔術の道場を開き、「大東流合気実践あらい道場」[1]の師範として日本だけにはとどまらず広く世界で活動している。
エピソード
学生時代
早稲田大学時代、五木寛之の著書 「青年は荒野を目指す」 にあこがれてヨーロッパを放浪。学費を旅の費用にあてたため大学に授業料を払わず抹籍処分となる。 ちなみに千葉商科大学を卒業しているのにも関わらず、通りがいいので早稲田中退を名乗っている。海外旅行をしたのがきっかけで現在まで約90か国近く海外に旅行している。
東京の劇団時代
劇団 夢戯人ろまんびと を設立した際にいつか有名になって、「この名前をみんなが読めるように」との願いを込めて命名したが、一般にまでは浸透しなかった。1978年に六本木自由劇場で上演された『ミッドナイト・ブルース』が評判を呼び、一躍注目されるようになった。1980年7月から8月にかけて大塚ジェルスホールに於いてプロデュース公演『PLAY4』を上演。自身の劇団以外に参加劇団は、三宅裕司率いる劇団スーパー・エキセントリック・シアター、塚本晋也主催の表現団夢丸、劇団創元などのメンバーが参加した。
脚注[脚注の使い方]^ a b c d e f g ⇒ラジプロ! あらい けい - 北海道放送