当時の実家は中町
商店街(現よいほモール)の阿部小間物店[注釈 1]。12歳年下の弟がいる[4]。祖父の影響で[注釈 2]、小さい頃から正義感が強く自分の意思をはっきりと持つタイプだった[4]。幼い頃から少女歌手として、両親に連れられて慰問先でよく歌を歌っていた。また、小学生になると自分で子役になることを決めて活動を始めた。
中学卒業後は「社会勉強になる」という祖父の薦めで定時制工業高校に進学し、学校は楽しかったが生活パターンや同級生の学ぶ姿勢に感化された[注釈 3]ことから、8ヶ月で高田高校に編入学した[6][4]。
高田高校では、校内弁論大会で生徒の覇気のなさを訴えたのをきっかけに弁論部に誘われ、その活動に熱中した[6]。他校に出向いた弁論大会では、ヤジに応酬して制限時間を過ぎても話し続けたために、力づくで演壇からおろされたこともあったという[6]。4年制大学志望だったが、父親に反対されて東海学園女子短期大学へ進学[16]。 短大1年生の頃に将来芸能界で活動することを考えて、名古屋のテレビタレントセンター(通称・TTC)の試験に合格。TTCで1年間話し方、パントマイム、狂言[注釈 4]などを一流の講師陣から学んだ。本人は「この1年間は私の財産になりました」としている[4]。短大在学中に東海ラジオとエフエム愛知の2社でDJを務めた[4]。人気DJとなり、仕事の楽しさを知ったことから短大2年生の夏に大学を中退[4]。 当時の東海ラジオの制作部長が父親のミュージシャン仲間で、歌手もしていたあべの少女時代を知っていたこともあって歌手デビューの話が持ち上がる[16]。当時担当した番組『ヤングランド』のディレクターが、あべのためにバンド「欲求不満フォークソング・ボーイズ」[注釈 5]に曲作りを依頼[4]。 1972年の年末の番組で同バンドの生演奏をバックにあべの歌が放送され、後日その歌唱テープが業界人たちにも知られることとなった[4]。あべ自身、その時は歌手活動に興味が無かったということだったが、「東海ラジオでの2年間の契約が終わったら辞めていい」と説得されたことで、その後デビューを決めることになる[16]。 デビューと同時に上京し、白金(港区)のマンションで一人暮らしを始めた。ただし、その後も名古屋のラジオ番組に出演するため東京と名古屋を往復し、歌番組にも出演して忙しく、一人暮らしを満喫できなかった[4]。 当時所属したシンコーミュージックには、チューリップや甲斐バンドなどがいた。同事務所では、一年に一度所属タレントやスタッフ皆で海外への慰安旅行が恒例だった。慰安旅行で特に印象的だったのは、20代半ばで訪れたエジプトでピラミッドを見学したこと[4]。また若い頃、チューリップのリーダー・財津和夫との交際が噂されたが、これは慰安旅行時の様子を彼の女性ファンたちが誤解したのが原因[注釈 6]。 #発売日A/B面タイトル作詞作曲編曲規格品番
歌手デビューまで
デビュー時
ディスコグラフィ
シングル
キャニオン・レコード
11973年
5月25日A面コーヒーショップで阿久悠三木たかし馬飼野俊一A-166
B面ひまわり
21973年
9月25日A面みずいろの手紙三木たかしA-184
B面恋人たちがいる舗道
31974年
1月25日A面突然の愛A-199
B面もの想い馬飼野俊一
41974年
5月10日A面透きとおった哀しみ山上路夫A-216
B面愛の記念日
51974年
8月25日A面秋日和阿久悠三木たかしボブ佐久間A-229
B面公園の昼下り
61974年
12月10日A面生まれたままの姿で及川恒平大野克夫瀬尾一三A-242
B面モジリアニの少女喜多条忠すぎやまこういち
71975年
6月10日A面雨をみていた人さいとう大三森田公一あかのたちおA-261
B面朝もやの駅
81975年
9月25日A面私は小鳥財津和夫A-282
B面さようなら二人の昨日
こんにちは私の明日財津和夫玉木宏樹
91976年
3月25日A面心の音林哲司A-300
B面白い雪 そんな雪が私は好き
101976年
7月25日A面いたずら書き財津和夫C-10
B面TOO HAPPY野走英美長谷川きよし乾裕樹
111977年
2月25日A面ゆらめき中里綴杉田二郎青木望C-39
B面まぶしすぎる春
121977年
7月25日A面長距離電話藤公之介佐藤健林哲司C-58
B面別れしな
CBS・ソニー
131978年
10月21日A面椿姫ちあき哲也川口真06SH-407
B面さよならの交差点竜真知子
141979年
5月21日A面再会の雨千家和也06SH-525
B面扉
151979年
7月21日A面ヘイ! セニョリータ島エリナGerd Thumser川口真06SH-574
B面ロンドンへの想い竜真知子川口真船山基紀
キングレコード
161993年
11月26日01危険なクラス会荒木とよひさ杉本真人桜庭伸幸KIDS-166
02夜明けはまだ
自民党
172010年
10月13日01いちばん、好きだからecoyuri鍵一大PPVA-8178
アルバム
オリジナル・アルバム1. 「みずいろの手紙/コーヒーショップで」(1973年9月25日/C-3029)[21]
SIDE A
みずいろの手紙作詞:阿久悠/作曲・編曲:三木たかし
バラのささやき作詞:林春生/作曲・編曲:馬飼野俊一
恋人たちがいる舗道作詞:阿久悠/作曲・編曲:三木たかし
あの人が帰る朝作詞:林春生/作曲・編曲:馬飼野俊一
ひまわり作詞:阿久悠/作曲:三木たかし/編曲:馬飼野俊一
さよならを風に乗せて作詞・作曲:奥山圭三/編曲:馬飼野俊一
SIDE B
コーヒーショップで作詞:阿久悠/作曲:三木たかし/編曲:馬飼野俊一
恋人たちの季節作詞・作曲:フォーメン/編曲:森下登喜彦
倖せの順番作詞:門間裕/作曲:ボブ佐久間/編曲:馬飼野俊一
恋はみずいろ訳詞:漣健児/作曲:Andre Popp/編曲:三木たかし※原曲歌唱:ヴィッキー・レアンドロス
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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