あべのハルカス
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その後、2023年開業の麻布台ヒルズ森JPタワー(高さ 325m、東京都港区)に抜かれ、日本2位の高さとなった。

旧本館の老朽化に伴う建替計画は、2006年の秋頃から具体的な検討作業が始まった。計画当初は航空法による高さ制限が約295mの制限区域に入っていたために、270m前後の高さを予定していたが[15]、2007年春の航空法の改正により制限がなくなったことを受け、日本一の高さとなるビルを建設する計画へ変更し[9]、同年8月8日に総事業費約1,300億円をかけ高さ300 mの超高層ビルに建て替える計画を発表した[16]

ビル名称の「ハルカス」は古語の「晴るかす」に由来しており、平安時代に書かれた『伊勢物語』の第九十五段では、「いかで物ごしに対面して、おぼつかなく思ひつめたること、すこしはるかさん」という一節が記されている[17]。この言葉には「人の心を晴れ晴れとさせる」という意味があり、ビルの上層階から晴れやかな景色を見渡して爽快感を味わえることや、多彩で充実した施設で来訪者に心地よさを感じてもらいたい、という思いが込められている[18]。なお、地名は「あべの」であるが、これに関しては「大阪」「天王寺」「上方」などの案もあった。しかし、日本一の超高層ビルになることで、知名度を上げていけるのなら「あべの」を全国区にしたいという意図により「あべの」が採用された[19]

外観デザインに関しては、ペリ・クラーク・ペリ・アーキテクツ代表のシーザー・ペリが監修を務めた。ペリは、台湾台北101が建設されるまでは世界最高層ビルであったマレーシアペトロナスツインタワーなど、数々の超高層建築物の設計を務めていた。大阪では過去に国立国際美術館大阪歴史博物館などを設計している。建物は全面がガラス(旭硝子(現:AGC)製)[20][21]で覆われたカーテンウォールLIXIL製品)[22]であり、三段階にセットバックする立体構造となっている。各段階の屋上空間には緑地空間が設けられ、周辺の公園施設と協調して緑のネットワークを形成するほか、建物内部では吹き抜け空間を利用した「光と風の道」を創出することでエネルギー消費量を低減するなどの環境対策が取られている[9]

あべのハルカスの低層階には近鉄百貨店(あべのハルカス近鉄本店)と美術館あべのハルカス美術館[23][24][25]、中層階にはオフィス[26]、高層階にはホテル大阪マリオット都ホテル)や展望台(ハルカス300)が入居している。

中之島フェスティバルタワーから望むあべのハルカス

あべのハルカスと阿倍野歩道橋

300m地点(58階屋外広場より撮影)

大阪国際空港(伊丹空港)から遠望するあべのハルカス。ハルカスより空港寄りには、航空法による高さ制限が適用されている。

歴史「阿部野橋ターミナルビル#歴史」を参照
施工技術・環境性能

あべのハルカスは、設計全般を竹中工務店、外観デザインを竹中工務店とシーザー・ペリ(ペリ・クラーク・ペリ・アーキテクツ代表)、施工を竹中工務店、奥村組大林組大日本土木銭高組からなる共同企業体が担当した。

施工場所は道路鉄道が複雑に入り混じる交通の結節点であることに加え、百貨店の東館(ターミナルビル新館・現:ウイング館)を営業しながら、立体的に複雑な構造の超高層ビルを敷地一杯に建設するという工事であり、竹中工務店の作業所長に「日本一難しい現場」と言わしめるほどの難所であった。

準備段階として大阪阿部野橋駅のプラットホームを移動させた上、百貨店の仮店舗の設置や増床工事に取り掛かった。2009年3月より旧館の解体工事を開始、同年内にはほぼ完了し、2010年1月よりタワー館の基礎工事を開始した。

耐震性能は、最新の耐震技術と免震技術を組み合わせている。阪神・淡路大震災はもとより、今後発生が想定される上町断層地震や東海・東南海・南海地震に対し、充分なシミュレーションを行い、最高水準の安全性を確保している[19]

地下部分の施工は逆打ち工法を採り入れ、地上部の工事を並行して進めており、PC化やユニット化を徹底することで作業効率の向上や安全の確保を図っている。


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