あだち充
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しばしば用いる技法としては、場面転換や時間経過を現すシーンで擬音も何もないサイレント映画のような風景で繋げていく、というものが挙げられる。また作中にはしばしばあだち自身が登場し、平然と作品に対する弁解や宣伝を行なう(メタフィクション)のも作品の特徴の一つである[注 4]

直前まで元気であった登場人物が突然死ぬような「死ネタ」を多用するのも特徴。

設定変更を何事もなかったかのように行うのではなく、連載途中に堂々とそれを明示する形で行う割り切りの良さもあだちの作風であり、作中でメタ表現として設定変更を公表する方針を取っている。『ラフ』のライバルキャラである仲西弘樹の家族構成の変更、『H2』の主要キャラである木根竜太郎の右打ちから両打ちへの変更(作者の作画ミスの辻褄合わせのギャグを契機に設定変更)などが主な例である。

2017年8月15日フジテレビ系列『めざましテレビ』において、絵は生き物ゆえ何十年も同一人物を描いていることで微妙に顔は変わろうとも、作品に登場するキャラクターの絵のデザインの特徴が似ているのにも(そっくりなことにも)こだわりがあり、「あだち劇団」の劇団員がいろいろな役をしている考えがあるという内容が、11年半あだちを担当していた当時の「週刊少年サンデー」編集長・市原武法のコメントとして放送された[17][18]。本人曰く「あだち一座」ともされる。

2017年にweb漫画サービス「サンデーうぇぶり」にて公開された「前代未聞の超難問・あだち充キャラクタークイズ」をあだち本人が挑戦したところ、100点満点中の76点だった。コメントでは、「これは76点満点の問題です。(※本当は100点満点です)それ以上の点数を取ってしまった人は再検査の必要があります。」と語っている[19]

幼少期から大の落語好きで、人間描写やコメディ描写に色濃く影響を受けている。そのため、スポーツ漫画以外では落語風SF時代劇虹色とうがらし』なども描いている。

1975年の『牙戦』までの初期作品で用いていた劇画調の画風は、アシスタントを務めていた石井いさみの『くたばれ!!涙くん』の絵柄に近いが、石井もインタビューで「最後のほうは彼(あだち充)にほとんど描かせたくらい、それくらいキャラクターもそっくりに描いてくれました」と述べていた[20]。また、石井も1975年連載開始の『750ライダー』以降、それまでの劇画調の絵柄からソフトタッチな作風へ変化しており、師匠と弟子が同時期に作風を大きく変えている。
人物
野球との関わり

東京ヤクルトスワローズのファンであり、ファンクラブのポストカードや、球団の宣伝ポスターを執筆している。少年時代は“三原脩信者”であったため、西鉄ライオンズ、つづいて大洋ホエールズのファンとなり、後に好みの選手が多く所属していたため、中日ドラゴンズのファンとなった。そして、広岡達朗監督時代(1976 - 79)のスワローズの連日のサヨナラ勝ちを生で目にしたためにスワローズファンとなり現在に至る[21]。2003年からはスワローズのファンクラブのポストカードのおまけを描いていたが、2007年度からは会員カードにも起用されている。

地元球団である群馬ダイヤモンドペガサスの選手が移動するときに使用するチームバスのイラストを執筆している。また、ダイヤモンドペガサスの後援会会員証のイラストも描いている。

あだちの母校である前橋商業高等学校夏の甲子園に出場したときには応援に駆けつけたり、夏の群馬予選時の選手名鑑の広告欄、『前商健児』にイラストを描いた。2022年に出場した際は青山剛昌と共に観戦した[22]

2013年7月、長らく高校野球を題材に漫画を描いてきた実績を認められ、大会期間中にテレビ朝日系列局で放送される『熱闘甲子園』のキービジュアルイラストを担うことになった[23][24]

その他

デビュー当時を除き、小学館をメインに活動しているが、過去(
1973年 - 1983年)に週刊少年ジャンプで開催されていた愛読者賞に、1982年と1983年の二度読者投票により選ばれている[注 5]

前述の通り、小学生の頃から落語ファンで、中学の時には『落語大全集』を購入していた。好きな落語家は立川談志三遊亭圓生古今亭志ん生。作品にも時折落語のネタが現れる[4]。その影響からか、落語家出身タレントである伊集院光のファンであり、伊集院のラジオ番組『伊集院光 深夜の馬鹿力』(TBSラジオ)のヘビーリスナーでもある[25]。朝から昼にかけては文化放送で『くにまるジャパン』などを愛聴している。

岩崎良美のファンであり(「憧れの人」とも表現)、岩崎がアニメ『タッチ』の主題歌を担当する以前よりアルバムを聴いたり、また岩崎がパーソナリティーを務めるラジオ番組を毎週録音したりしていた[26]

『タッチ』『ラフ』の実写化に関しては、長澤まさみの衣装に期待してオファーを受けたと冗談交じりに語った[27]

作風にはまったく影響していないが、父や兄の影響から、麻雀好きでもあり、腕も立つ。

作品
連載

レインボーマン -
講談社テレビマガジン』(1972年10月号 - 1973年10月号)、『おともだち』(1972年11月号 - 1973年1月号) - 原作:川内康範、同名特撮ドラマのコミカライズ。

リトル・ボーイ - 『少年サンデー増刊号』(1974年春、夏休み増刊号)、『週刊少年サンデー』(1974年28号 - 47号) - 原作:佐々木守

おらあガン太だ - 徳間書店テレビランド』(1974年9月号 - 1975年3月号) - 原作:才賀明、同名ドラマのコミカライズ

牙戦(きばせん) - 『週刊少年サンデー』(1975年2号 - 34号) - 原作:滝沢解

ヒラヒラくん青春仁義 - 学習研究社『中学コース・中一コース』(1975年4月号 - 1976年3月号) - 原作:佐々木守、単行本未収録回あり[28]

ヒラヒラくん青春音頭 - 『中一コース』(1976年4月号 - 1977年3月号) - 原作:佐々木守、単行本未収録[29]

ヒラヒラくん青春太鼓(ヒラヒラくん青春日記) - 『中一コース』(1977年4月号 - 1978年3月号) - 原作:佐々木守。単行本化に伴い『青春日記』に改題、未収録回あり。出版:ECコミックス(こだま出版)[30]


がむしゃら - 『週刊少年サンデー』(1976年5・6合併号 - 18号) - 原作:やまさき十三

甲子園魂 - 双葉社『週刊パワァコミック』(1976年15号 - 1977年6号) - 原作:佐々木守

ああ!青春の甲子園 - 『週刊少女コミック』 - 原作:やまさき十三

初恋甲子園 - (1976年34号 - 51号)

泣き虫甲子園 - (1977年15号 - 46号)


おひけェなすって!野球仁義 - 『中一コース』(1978年4月号 - 1979年3月号) - 原作:佐々木守

ナイン - 『少年サンデー増刊号』(1978年10月号 - 1980年11月号)

夕陽よ昇れ!! - 『週刊少女コミック』(1979年8号 - 19号) - 原作:やまさき十三

おいら放課後若大将 - 『中一コース』(1979年4月号 - 1980年3月号)

陽あたり良好! - 『週刊少女コミック』(1980年2号 - 1981年15号)

みゆき - 『少年ビッグコミック』(1980年17号 - 1984年18号)

タッチ - 『週刊少年サンデー』(1981年36号 - 1986年50号)

スローステップ - 『ちゃお』(1986年9月号 - 1991年3月号)

ラフ - 『週刊少年サンデー』(1987年17号 - 1989年40号)

虹色とうがらし - 『週刊少年サンデー』(1990年4・5合併号 - 1992年19号)

H2 - 『週刊少年サンデー』(1992年32号 - 1999年50号)

じんべえ - 『ビッグコミックオリジナル』(1992年6月20日号 - 1997年3月20日号、不定期連載)


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