患者は、症状が嫌で治そうと意識すればするほど、症状が悪化してしまうという悪循環に苦しめられることになる。症状自体も恥ずかしいものであったり、「症状によって周囲の人に迷惑を掛けているのではないか」という罪悪感、思い込みから周囲の人に悩みを打ち明けられない人が多い。しかし、症状の克服にはその症状を受け止めてしまうこと、開き直ってしまうことが効果的である。治療は、精神療法では認知行動療法が中心である。社交不安障害も参照
また、国内において、森田療法はこの分野の草分けとして知られている。 西洋社会において一般的な他人を傷つけるか、迷惑をかける、怒らせてしまう自分自身に対する自律的な恐怖より、むしろ、自身
メカニズム
対人恐怖症についての理解のしかたはいくつかある。対人恐怖症は「対人場面で不必要なほど強い不安や緊張を生じ、その結果人からいやがられたり、変に思われることを恐れて、対人関係を避けようとする神経症である」ともされる[3][4]。対人恐怖症の中でも、妄想的確信を抱く恐怖症を「重症対人恐怖症」もしくは「思春期妄想症」と呼ぶ人もいる。ただ、このような恐怖症は妄想を伴っているので、対人恐怖症には含めず、別のカテゴリーで扱ったほうがよいと考える人もいる[4]。
対人恐怖症の起きるしくみについて、西園昌久は、恥の心理と関係あるのか、恐れの心理と関係があるのかについて調べている。西園の研究によると、男子の場合は、周囲から圧迫を感じる漠然とした対人恐怖、あるいは視線恐怖がほとんどで、他者と対立する自己への不安がみられるという。それに対して女子の場合は、対人恐怖は視線恐怖、醜貌恐怖、赤面恐怖と関連しており、他人の目にさらされる自己の身体像へのこだわりがあるという[4]。
鍋田恭孝の分析では、自意識過剰を「私的自己意識」と「公的自己意識」という用語によって分けている。私的自己意識とは、内面、感情、気分などの他人から直接観察されない自己側面に注意を向けることである。公的自己意識とは、服装、容姿、言動など、他人に観察される側面にこだわることである。対人過敏性が正常範囲内であれば、周りからの評価や視線への(過剰な)気づかいは、公的自己意識が高まることによって生まれ、年齢が高まるとともに消失してゆく。それに対して、対人恐怖症患者は、自己評価のほうを低めて自己嫌悪感を抱いているにもかかわらず、こうあるべきだという高い自我理想を無理に示そうとして公的自我意識を強めることで、それらの乖離に悩んでいるのだという[5][6]。「人間関係」も参照 対人恐怖の治療には、認知行動療法が有効であるとされる[7]。そこでは、受容的かつ共感的に耳を傾けながら、個々の患者の心理や状況に即した対人恐怖の認知行動モデルが作成され、治療が開始される[8]。患者を責めることなく、具体的かつ詳細な部分にも丁寧に耳を傾けることが大切である[9]。 その後展開される具体的な治療技法として、以下のようなものがある。
治療
心理療法
認知行動療法
ビデオフィードバック他者から見える自己像を修正するため、不安を感じる場面における患者自身を撮影した動画(ビデオ)を見せ、不安に思っていること(手が震えているかもしれないということ等)は、実際には他者からは見えない・気づかれないということを認識できるよう支援する場合がある[10]。
同時に、他者とのやり取りをしている場面を動画撮影することで、自分だけが過剰にやっていると思っていたことを、他者も同程度にやっているということに気づくことができるようサポートする場合もある[11]。
注意シフトトレーニング他者からどう思われるかという点から注意をそらし、会話の内容そのものや色・音などの外的なものに注意を向けることができるよう患者をサポートする[12]。
行動実験「?したら(?のとき)、・・・と思われるだろう」といった、対人恐怖に関する特定の予測の妥当性を、実際に検証できるようサポートする[13]。たとえば、「頭に浮かんだことをそのまま話したら、馬鹿だと思われるだろう」という予測を持った患者が、頭に浮かんだことをそのまま話した際に、他者がその話題に関心を持って楽しそうに会話に参加をしたことを確認し、予測の妥当性を検証した事例が報告されている[14]。