ああ無情
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タイトル

※括弧内は原題、なお日本語訳のタイトルは井上究一郎訳版より引用
ファンティーヌ (Fantine)
正しい人 (Un juste)

失墜 (La chute)

一八一七年のこと (En l'annee 1817)

委託は時として譲渡となる (Confier, c'est quelquefois livrer)

転落 (La descente)

ジャヴェール (Javert)

シャンマティユー事件 (L'affaire Champmathieu)

反撃 (Contre-coup)


コゼット (Cosette)
ワーテルロー (Waterloo)

軍艦「オリオン号」 (Le vaisseau L'orion)

死んだ女への約束を果たす (Accomplissement de la promesse faite a la morte)

ゴルボー屋敷 (La masure Gorbeau)

闇の狩りには無言の猟犬を使う (A chasse noire, meute muette)

ル・プティ・ピクピュス (Le Petit-Picpus)

余談 (Parenthese)

墓地は死人を選り好みしない (Les cimetieres prennent ce qu'on leur donne)


マリユス (Marius)
パリの微粒子の研究 (Paris etudie dans son atome)

大ブルジョワ (Le grand bourgeois)

お祖父さんと孫 (Le grand-pere et le petit-fils)

「ABCの友」(Les amis de l'A B C)

不幸にあがる軍配 (Excellence du malheur)

ふたつの星の会合 (La conjonction de deux etoiles)

パトロン=ミネット (Patron-minette)

心がけの悪い貧乏人 (Le mauvais pauvre)


プリュメ通りの牧歌とサン・ドゥニ通りの叙事詩 (L'idylle rue Plumet et l'epopee rue Saint-Denis)
歴史の数ページ (Quelques pages d'histoire)

エポニーヌ (Eponine)

プリュメ通りの家 (La maison de la rue Plumet)

低いところからの救いは高いところからの救いとなりうる (Secours d'en bas peut etre secours d'en haut)

その結末がはじまりとは似ても似つかぬこと (Dont la fin ne ressemble pas au commencement)

プティ・ガヴローシュ (Le petit Gavroche)

隠語 (L'argot)

歓喜と悲嘆 (Les enchantements et les desolations)

彼らはどこへ行く? (Ou vont-ils?)

一八三二年六月五日 (Le 5 juin 1832)

原子は大旋風に協力する (L'atome fraternise avec l'ouragan)

コラント (Corinthe)

マリユス闇のなかへはいる (Marius entre dans l'ombre)

絶望のけだかさ (Les grandeurs du desespoir)

ロマルメ通り (La rue de l'Homme-Arme)


ジャン・ヴァルジャン (Jean Valjean)
壁にかこまれたなかの戦争 (La guerre entre quatre murs)

巨獣のはらわた (L'intestin de Leviathan)

泥であるとともに魂 (La boue, mais l'ame)

脱線したジャヴェール (Javert deraille)

孫と祖父 (Le petit-fils et le grand-pere)

眠られぬ夜 (La nuit blanche)

苦杯の最後の一口 (La derniere gorgee du calice)

たそがれの微光 (La decroissance crepusculaire)

最後の闇、最後のあけぼの (Supreme ombre, supreme aurore)


登場人物
主要人物
ジャン・ヴァルジャン (Jean Valjean)
1879年 - 1882年出版のユーグ版 (Edition Hugues) 、ギュスターヴ・ブリオン画。木版画。本作の主人公。1769年にブリーのファヴロール (Faverolles) の貧しい農家の子供として生まれた。父親はジャン・ヴァルジャン、母親はジャンヌ・マティユー (Jeanne Mathieu) という。情の深い、考え込むタイプの男。両親を幼い時に亡くし、年の離れた姉に育てられるが、25歳の時に姉の夫が死去。1795年の終わり頃、姉の7人の子供達のために1本のパンを盗んで逮捕されてしまう。1796年に器物損壊と密猟の罪を併せて5年の刑を言い渡され、トゥーロン徒刑場へ送られるが4度も脱獄を図ったため、19年間もの歳月を監獄で過ごすことになる。監獄内でも並外れた怪力で有名であり、「起重機のジャン(ジャッキのジャン Jean-Le-Cric)」と綽名される。1815年10月に出獄した時、すでに46歳となったヴァルジャンは長い監獄生活のなかで人間社会に対する憎悪の塊となってしまっていたが、ミリエル司教の情愛により改心する。悩み、苦しみ、時には哀しみと絶望を味わいながらも、常にミリエル司教の説く「正しい人」であろうと努め、日々を過ごす。1815年12月、モントルイユ=シュル=メールにやって来た彼は、「マドレーヌ」(M. Madeleine) と名乗る。産業で成功し、人望を集めた結果、1819年に国王ルイ18世の命で市長の座に就く。フォーシュルヴァン爺さんが、馬車の下敷きとなっているのを馬車を持ち上げることにより救助し、ジャヴェールにその正体がヴァルジャンではないかと疑われるようになる。1823年1月にファンティーヌを救い、コゼットを連れ帰ることを約束するが、その約束が果たされるまでに1年近くを要することとなる。1823年3月に身元がばれ(厳密には自分でばらし)ジャヴェールにより逮捕され、無期徒刑囚となるが同年11月17日に脱獄、モンフェルメイユに向かう。1823年のクリスマスにテナルディエ夫妻からコゼットを奪還した後、パリへ向かう。ゴルボー屋敷での生活を経て、プティ・ピクピュス修道院[4]に逃げ込み、フォーシュルヴァン爺さんに匿われて庭師として暮らす。以降、フォーシュルヴァン爺さんの弟の名を借り、「ユルティーム・フォーシュルヴァン」(Ultime Fauchelevent) として生きていくこととなる。1829年10月、60歳になったヴァルジャンは、フォーシュルヴァン爺さんの死をきっかけにプティ・ピクピュス修道院を出、コゼットとともにプリュメ通りの庭園つきの邸宅に引っ越す。母屋にコゼットと老女中トゥーサン (Toussaint) を住まわせ、自身は小さな門番小屋で質素な生活を送る。恋愛を知らないヴァルジャンにとってコゼットとは、娘・母・姉妹……と女性が持つすべての立場を兼ね備えた絶対的な存在だったが、コゼットはマリユスと結ばれてしまい、さらには自らの素性を知り軽蔑するようになったマリユスによって、引き離されてしまうことになる。コゼットを保護してからは、常に警察に怯えながら暮らしていた。ゴルボー屋敷、プティ・ピクピュス修道院での生活を経て、プリュメ通りの邸宅以外にも2軒の家を借り、国民兵としてパリの市門を守っていた。合計3軒の邸宅を借りた理由は、ゴルボー屋敷に住んでいることがジャヴェールにばれてしまい、コゼットを連れて逃亡せざるをえなかった経験からくるもので、プリュメ通りの邸宅にいることが分かっても別に借りた邸宅にすぐに移ることができるからだといえる。国民兵として市門を守ったのは、徴兵検査を逃れることができなかったためであったが、市民としての使命を果たせるという喜びと、国民兵なら警察も怪しまないという利点があったからだった。彼が名乗った偽名は、マドレーヌ、ユルティーム・フォーシュールヴァンのほかに、「ユルバン・ファーブル」(Urbain Fabre) がある。ゴルボー屋敷待ち伏せ事件でテナルディエ一家とパトロン=ミネットに監禁されたときに使った。1832年6月4日、彼は謎の人物が投げ込んだ一通の手紙に驚愕し、プリュメ通りの邸宅を引き払ってロマルメ通り(現在のサント・クロワ・デュ・ブルヌドリ通りとブラン・マントー通り付近)7番地のアパルトマンへ引っ越してしまう。コゼットの心を奪ったマリユスに嫉妬した彼は悩み苦しんだ挙げ句、コゼットの恋人を救うため、このアパルトメンからル・シャンヴルリー通りのバリケードに向かう。国民兵の軍服を脱いで妻子もちの男を逃がした彼は、銃は持っていても決して敵を殺さない“奇妙な存在”として注目される。さらに彼は、瀕死の重傷を負ったマリユスを背負い、バリケードのそばに見つけた鉄格子を開け、下水道へと降りて行った。コゼットとマリユスの結婚式の翌日、マリユスに自身の正体を明らかにする。ポンメルシー夫人となったコゼットから同居するよう強く求められても彼はロマルメ通りのアパルトメンに独りで住み、自分から距離を置いたことと、マリユスが彼を敬遠したこともあり、コゼットとは疎遠になっていく。徐々にコゼットのいるフィーユ・ドゥ・カルヴェール通り (Rue des Filles-du-Calvaire) 6番地にある娘夫婦の邸宅へ行くことが難しくなり、肉体的にも精神的にも衰弱していく。そんな彼の心を支えていたのは、コゼットが《腰巾着》と呼んでいた荷物の中身―8歳のときのコゼットが着ていた喪服―であった。1833年の晩夏の夜。遺言を残し、コゼットと二度と逢えないことを嘆いていたちょうどその時、真実を知ったマリユスがコゼットを連れて彼を迎えに来る。彼はふたりに様々なことを話す。模造宝石のこと、自分が託した60万フランを使って男爵にふさわしい生活をすること、テナルディエ一家をゆるすこと、銀の燭台をコゼットに託すこと、コゼットの母の名前はファンティーヌであること、自分の幸せと引き換えにコゼットを幸せにしたファンティーヌに心から感謝すること……それだけ言い残すと、天国から立ち会っているミリエル司教、ポンメルシー夫妻に看取られながら、幸福な気持ちに浸りながら天国へ旅立った。


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