この項目では、名士の?徳公について説明しています。武将については「?徳」をご覧ください。
? 徳公
『晩笑堂竹荘畫傳』より
後漢
名士 人物鑑定家
出生163年?
南郡襄陽県
字子魚(尚長)
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? 徳公(ほう とくこう、163年? - 没年不詳)は、中国後漢末期の人物。南郡襄陽県の名士であり、人物鑑定の大家[1]。中国襄陽の民間伝承では字を子魚としている。一方で『宋書』や『四庫全書』「巵林」においては尚長となっている。子は?山民。孫は?渙[2]。従子は?統・?林。なお、西涼の?徳とは名前が似ているが、全くの別人である。
荊州の襄陽に住み、親交があった司馬徽を「水鏡」、諸葛亮を「臥龍」、そして?統を「鳳雛」と名付けたという[3]。正史『三国志』では、劉備が劉表の客将だった頃に司馬徽を訪ねた際、その弟子の牧童が劉備に話した言葉の中に、?統の従父としてその名が言及されている。また、子は諸葛亮の姉と結婚しており、諸葛亮とは縁戚関係にあたる[2]。
参考文献
『宋書』
『四庫全書』
『三国志』
『後漢書』
『襄陽記』
注釈[脚注の使い方]^ 後漢書 卷八十三・逸民列傳第七十三 (中国語), 後漢書/卷83#?公, ウィキソースより閲覧。 - ?公者,南郡襄陽人也。居?山之南
^ a b 後漢書 卷八十三・逸民列傳第七十三 (中国語), 後漢書/卷83#?公, ウィキソースより閲覧。 - 〈《襄陽記》曰:「コ公子字山人,亦有令名,娶諸葛孔明?,爲魏?門吏部郎。子渙,晉太康中爲?柯太守。」
^ 三國志 蜀書七 ?統法正傳 (中国語), 三國志/卷37#?統, ウィキソースより閲覧。 -《襄陽記》曰:諸葛孔明為臥龍,?士元為鳳雛,司馬コ操為水鏡,皆?コ公語也。コ公,襄陽人。