龍驤_(空母)
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龍驤
復原性能改善工事後の龍驤
1934年9月6日、佐田岬(伊予灘)標柱間
基本情報
建造所進水まで:横浜船渠[1]
艤装:横須賀海軍工廠[1]
運用者 大日本帝国海軍
艦種航空母艦[2]
前級加賀
次級蒼龍
母港呉[3]
艦歴
計画昭和2年度(1927年[4]
発注1929年5月29日製造訓令[5]
起工1929年11月26日[6]
進水1931年4月2日[6]
竣工1933年5月9日[6]
最期1942年8月24日沈没
除籍1942年11月10日[3]
要目(竣工時)
基準排水量計画 8,000英トン[1]
公試排水量計画 10,150トン[1][7] 実際 11,733トン[8]
満載排水量実際 12,829トン[8]
全長180.0m[1]
水線長175.39m[1]
垂線間長167.2m[9]
水線幅20.32m[1]
深さ10.5m[7](上甲板まで)
20.60m(飛行甲板まで)[1]
飛行甲板158.6m x 23.0m エレベーター2基[1]
吃水計画 5.56m[1][7]
ボイラーロ号艦本式重油専焼水管缶6基[1]
主機艦本式ギヤード・タービン(高低圧2組)2基[1]
推進2軸 x 275rpm[1]
直径4.300m、ピッチ4.130m[10]
出力65,000馬力[1]
速力29.0ノット[1]
燃料重油:2,943トン[1][注釈 1]
航続距離10,000カイリ / 14ノット[1]
乗員竣工時定員 916名[11]
搭載能力飛行機用ガソリン 185トン[1]
兵装40口径八九式12.7cm高角砲 連装6基12門[1]
九三式 13mm連装機銃4連装6基24挺[12]
装甲舷側:46mmNVNC鋼[13]
搭載艇竣工時:10隻[9]
改装後:11m内火艇1隻、10m内火艇1隻、11m内火ランチ3隻、9mカッター2隻、9m通船1隻、6m通船1隻[14]
搭載機計画(常用+補用)[9]
九〇式艦上戦闘機 12+3機
八九式艦上攻撃機 24+9機
計 36機、補用12機
#搭載機も参照
その他式転輪安定儀 1基[9]
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龍驤(りゅうじょう/りうじやう)は、大日本帝国海軍航空母艦。一部の資料では、軽空母とも。
特徴

当初の計画では格納庫1段で航空機約24機を搭載[15]、基準排水量7,400英トン[16]公試排水量9,800トン[15]、速力30ノットを計画していた[15][16]。要目値は「軍艦基本計画資料」で(公試)排水量9576.65トン、水線長175 m、水線幅18.5 m、吃水5.5 mの値もある[7]

しかし、建造中に格納庫を2段にして搭載機を36機に増し、復原性確保のために小型のバルジを装着した[15]。竣工時には当初の計画よりだいぶ排水量を増し、公試状態で11,733トンになっていた[13]。さらに公試中の転舵の際には船体が大きく傾き、救命艇が波に叩かれて破損した[13]。安定性が問題にされたが直ちに改装されることはなく、重油の使用制限をするなどして一応就役した[13]

龍驤という名称は、瑞祥神獣の「龍」とアガルまたは疾行のとき勢い強く首の揚る貌を意味する「驤」を組み合わせて「龍の空に上ぼるが如く威勢がよい」を意味する漢語である[17]。「龍驤虎視、苞括四海」や「龍驤麟振、前無堅敵」等の句に使われ、龍驤将軍の官位(南宋)もあった[17]。日本海軍の軍艦としては、明治時代の装甲コルベット龍驤に続く2隻目[18]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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