龍角散
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株式会社龍角散
Ryukakusan Company, Limited

龍角散本社(龍角散ビル
種類株式会社
市場情報非上場
本社所在地 日本
101-0031
東京都千代田区東神田二丁目5番12号
設立1928年(創業は1871年
業種医薬品
法人番号2010001031982
事業内容医薬品などの製造販売
代表者代表取締役社長 藤井隆太
資本金6,000万円
純利益6億2407万2000円
(2023年3月期)[1]
純資産111億1048万1000円
(2023年3月期)[1]
総資産191億8101万8000円
(2023年3月期)[1]
外部リンクhttps://www.ryukakusan.co.jp/
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龍角散(りゅうかくさん)は、日本の製薬会社の株式会社龍角散であり、また同社が製造・販売する薬のブランド名であり登録商標である。
概説

株式会社龍角散は東京都千代田区にある製薬会社であり、「龍角散」は同社が製造・販売するのど薬(鎮咳去痰薬)のブランド名であり、「龍角散」は同社の登録商標である(登録商標第795587号ほか)。

千葉県香取郡多古町に千葉工場があり「龍角散」というブランド名で、粉末状のものだけでなく、のど飴、トローチ、タブレット、ゼリーなど、鎮咳去痰薬を中心に製造している。

社長は、初代藤井得三郎、2代目得三郎(米次郎)、3代目得三郎(勝之助)、4代目康男と続き、現社長の隆太は株式会社の5代目である[2](秋田の玄淵から数えると8代目[3])。
沿革

龍角散の創業家である藤井家は、秋田に転封された佐竹義宣に従い水戸から大曲に移り、代々久保田藩(秋田藩)の御典医を務めた。

龍角散の原型は秋田初代の藤井玄淵が考案した[4]。秋田二代目の玄信は、蘭学を学び西洋の生薬を取り入れ改良した。正亭治は幕末の藩主・佐竹義堯に仕え、御典医となり[5]、義堯の持病である喘息を治すためにこの薬を改良した。「龍角散」と命名されたのもこの頃とされている。「龍角散」の名は龍骨龍脳鹿角霜といった生薬に由来するが、これらの生薬は後の処方見直しの際に外された。

明治維新によって藩薬であった龍角散は藤井家に下賜された。1871年、正亭治は秋田藩の江戸屋敷に近い神田豊島町で藤井薬種店[6]を営み始め、龍角散は一般に発売されることとなった[2][注釈 1]

1893年、得三郎が龍角散の微粉末状の処方を完成させ、藤井得三郎商店を開業[4]。8月に正亭治が死去し、10月には得三郎が家督を継ぎ[5]、「龍角散」の名前で一般向け薬として売り出した[8]関東大震災後に大阪へ工場を移し、事業を復興するにあたり、遠縁の森垣亀一郎船会社との交渉などで協力して、製品や救援物資の輸送が可能になったという[9]

株式会社としては1928年に設立。第二次世界大戦後の1964年には社名を主力商品名の「龍角散」と改称し[4]錠剤や散剤、トローチなど龍角散を冠した数多くの商品を開発した。

医療用分野では1990年からジェネリック医薬品分野にも進出している。1990年代には、売上高に匹敵する40億円の負債を抱え経営危機に陥るも、知名度のある「龍角散」ブランドを生かしたのど飴や水なしで飲める新製品を軸とした市場展開(マーケティング)が奏功し、立て直しに成功した。その後に服薬補助ゼリーがヒットした。
事業所千葉工場
本社


東京都千代田区東神田二丁目5番12号

千葉工場


千葉県香取郡多古町水戸1460-3

1991年、多古工業団地の一角に完成。


製品
龍角散(鎮咳去痰薬)

株式会社龍角散が製造販売する鎮咳去痰薬(パッケージ上の表記は鎮咳去痰剤)。(たん)を切って、を抑えるための薬である。散剤だけでなくトローチや錠剤、のど飴なども販売され、「ゴホン!といえば龍角散」のキャッチコピーが使われている。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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