龍樹
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日本の脚本家については「龍樹 (脚本家)」をご覧ください。
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龍樹(竜樹) (N?g?rjuna)
150 ? 250 年頃
頭上にナーガをいだく龍樹
尊称龍樹菩薩・龍樹大士
生地インドヴィダルバ
没地インド
宗派中観派
師大龍菩薩(マハーナーガ)
著作中論
大智度論
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龍樹(りゅうじゅ、: ?????????、N?g?rjuna、テルグ語: ????????????、チベット語: ?????????、klu sgrub、タイ語: ?????????)は、2世紀に生まれたインド仏教である。龍樹とは、サンスクリットのナーガールジュナ[注釈 1]の漢訳名で、日本では漢訳名を用いることが多い。中観派の祖であり、蓮如以後の浄土真宗では八宗祖師と称される。龍猛(りゅうみょう)とも呼ばれる。

真言宗では、龍猛が「付法の八祖」の第三祖とされた[1][2]。龍樹が密教を説いたかどうかや、第五祖金剛智との時代の隔たりから、龍樹と龍猛の同一性を疑問視する意見もある[3][注釈 2]

浄土真宗では、七高僧の第一祖とされ[4][5]龍樹菩薩、龍樹大士と尊称[6]される[7][8]

概要

鳩摩羅什訳『龍樹菩薩伝』[9][10][11]によれば南インドのバラモンの家に生まれ、幼くしてヴェーダを諷んじてその意味を了得した[12]プトゥンの『仏教史』の伝えるところでは、南方のヴィダルバ[注釈 3]のバラモンの出身で、(中インドの)ナーランダ僧院でバラモンの学問を修めたのち出家したという[14]サータヴァーハナ朝の保護の下でセイロンカシミールガンダーラ中国などからの僧侶のために院を設けた。この地(古都ハイデラバードの東 70 km)は後にナーガールジュナ・コーンダ(丘)と呼ばれる。

哲学者梅原猛は、龍樹は釈迦の仏教を否定し、大乗仏教を創始したとしている[15]。一方、中村元は、大乗仏教は諸法の実相を説くことを標識とし、小乗仏教三法印に対して大乗仏教は「実相印」を第四のとして挙げるとしているが[16]、中村によれば龍樹は小乗の三法印のほかに別の法印をたてなかったという[18]
生涯

インド原典で伝わるナーガールジュナ伝が存在しないため史学的に厳密な生涯は不詳。鳩摩羅什訳と伝えられる『龍樹菩薩伝』の伝説は以下のとおりである。

天性の才能に恵まれていた龍樹はその学識をもって有名となった。龍樹は才能豊かな3人の友人を持っていたが、ある日互いに相談し学問の誉れは既に得たからこれからは快楽に尽くそうと決めた。彼らは術師から隠身の秘術を得、それを用い後宮にしばしば入り込んだ。100 日あまりの間に宮廷の美人は全て犯され、妊娠する者さえ出てきた。この事態に驚愕した王臣たちは対策を練り砂を門に撒き、その足跡を頼りに彼らを追った衛士により3人の友人は切り殺されてしまった。しかし、王の影に身を潜めた龍樹だけは惨殺を免れ、その時、愛欲が苦悩と不幸の原因であることを悟り、もし宮廷から逃走することができたならば出家しようと決心した。

事実、逃走に成功した龍樹は山上の塔を訪ね受戒出家した。小乗の仏典をわずか 90 日で読破した龍樹は、更なる経典を求めヒマラヤ山中の老比丘からいくらかの大乗仏典を授けられた。これを学んだ後、彼はインド中を遍歴し、仏教・非仏教の者達と対論しこれを打ち破った。龍樹はそこで慢心を起こし、仏教は論理的に完全でないところがあるから仏典の表現の不備な点を推理し、一学派を創立しようと考えた。

しかしマハーナーガ(大龍菩薩)が龍樹の慢心を哀れみ、龍樹を海底の龍宮に連れて行って諸々の大乗仏典を授けた。龍樹は 90 日かけてこれを読破し、深い意味を悟った。

龍樹は龍によって南インドへと返され、国王を教化するため自ら応募して将軍となり、瞬く間に軍隊を整備した。王は喜び「一体お前は何者なのか」と尋ねると、龍樹は「自分は全知者である」と答え、王はそれを証明させるため「今、神々は何をしているのか」と尋ねたところ、龍樹は神通力を以って神々と悪魔阿修羅)の戦闘の様子を王に見せた。これにより王をはじめとして宮廷のバラモン達は仏教に帰依した。

そのころ1人のバラモンがいて、王の反対を押し切り龍樹と討論を開始した。バラモンは術により宮廷に大池を化作し、千葉の蓮華の上に座り、岸にいる龍樹を畜生のようだと罵った。それに対し龍樹は六牙の白象を化作し池に入り、鼻でバラモンを地上に投げ出し彼を屈服させた。

またその時、小乗の仏教者がいて、常に龍樹を憎んでいた。龍樹は彼に「お前は私が長生きするのはうれしくないだろう」と尋ねると、彼は「そのとおりだ」と答えた。龍樹はその後、静かな部屋に閉じこもり、何日たっても出てこないため、弟子が扉を破り部屋に入ると、彼はすでに息絶えていた。

龍樹の死後 100 年、南インドの人たちは廟を建て、龍樹を仏陀と同じように崇めていたという。
龍樹の空理論中央の大きな人物が龍樹龍樹の黄金像

この「空」の理論の大成は、龍樹の『中論』などの著作によって果たされた。なお、伝統的に龍樹の著作とされるもののうち、『中論(頌)』以外に近代仏教学において龍樹の真作であるとの見解の一致が得られている作品はない。

龍樹は、存在という現象も含めて、あらゆる現象はそれぞれの因果関係の上に成り立っていることを論証している。この因果関係を釈迦は「縁起」として説明している。(龍樹は、釈迦が縁起を説いたことを『中論』の最初の帰敬偈において、賛嘆している。)

さらに、因果関係によって現象が現れているのであるから、それ自身で存在するという「独立した不変の実体」(=自性)はないことを明かしている。これによって、すべての存在は無自性であり、「」であると論証している。このことから、龍樹の「空」は「無自性空」とも呼ばれる。

この空の思想は、真理を
概念を離れた真実の世界(第一義諦、param?rtha satya)と、

言語や概念によって認識された仮定の世界(世俗諦 、sa?v?ti-satya)

という二つの真理に分ける。言葉では表現できないこの世のありのままの姿は、第一義諦であり、概念でとらえられた世界や、言葉で表現された釈迦の教えなどは、世俗諦であるとするため、この説は二諦説と呼ばれる。
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