漫画家の「斎藤けん」とは別人です。
日本の政治家齋藤 健さいとう けん
経済産業大臣就任時に内閣広報室より公表された肖像
(2023年)
生年月日 (1959-06-14) 1959年6月14日(64歳)
出生地 日本 東京都新宿区
出身校東京大学経済学部
ハーバード大学ケネディ・スクール
前職国家公務員(通商産業省・経済産業省)
埼玉県副知事
所属政党自由民主党(石破G→無派閥)
称号経済学士
行政学修士
公式サイト ⇒自由民主党 衆議院議員 さいとう健 Official Site
第30代 経済産業大臣
原子力経済被害担当大臣
GX実行推進担当大臣
産業競争力担当大臣
ロシア経済分野協力担当大臣
内閣府特命担当大臣
(原子力損害賠償・廃炉等支援機構)
内閣第2次岸田第2次改造内閣
在任期間2023年12月14日 - 現職
第107代 法務大臣
内閣第2次岸田第1次改造内閣
在任期間2022年11月11日 - 2023年9月13日
第60-61代 農林水産大臣
内閣第3次安倍第3次改造内閣
第4次安倍内閣
在任期間2017年8月3日 - 2018年10月2日
衆議院議員
選挙区(比例南関東ブロック→)
千葉7区
当選回数5回
在任期間2009年8月30日 - 現職
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齋藤 健(さいとう けん、1959年〈昭和34年〉6月14日 - )は、日本の政治家、通産官僚。自由民主党所属の衆議院議員(5期)。経済産業大臣(第30代)、原子力経済被害担当大臣、GX実行推進担当大臣、産業競争力担当大臣、ロシア経済分野協力担当大臣、内閣府特命担当大臣(原子力損害賠償・廃炉等支援機構)。
法務大臣(第107代)、農林水産大臣(第60・61代)、農林水産副大臣(第3次安倍第1次改造内閣・第3次安倍第2次改造内閣)、環境大臣政務官(第2次安倍内閣)、埼玉県副知事を歴任した[1]。 東京都新宿区生まれ(現住所は千葉県流山市南流山1丁目[2])[3]。生家は写真屋[4]。早稲田実業学校中等部、東京教育大学附属駒場高等学校(現:筑波大学附属駒場高等学校)[5]、東京大学経済学部卒業[4]。1983年4月、通商産業省(現経済産業省)に入省。資源エネルギー庁石油部流通課に配属。1991年、ハーバード大学ケネディ・スクールに留学し、修士号を取得した[4][6][7]。1994年、通商政策局米州課で日米間の自動車交渉を担当。大臣官房秘書課人事企画官を経て、1999年に深谷隆司通商産業大臣の秘書官に就任。その後、内閣官房行政改革推進事務局企画官を務めた[8]。2004年、上田清司埼玉県知事の招聘を受け埼玉県副知事に就任した[8]。 2006年、衆議院千葉7区の補欠選挙で自由民主党の公募に応募、221人の中から選ばれ、同党公認で出馬したが、955票の僅差で民主党の太田和美に敗れ、落選した[4]。補選では武部勤らによる「最初はグー!齋藤健!」という応援演説が話題となった。 2009年、第45回衆議院議員総選挙に再び千葉7区から自民党公認で出馬し、福島2区に国替えした太田に代わり出馬した民主党前職の内山晃[9]に約2万票差で敗れたが、重複立候補していた比例南関東ブロックで復活し、初当選した[4]。同党の新人で当選することができたのは齋藤と小泉進次郎、伊東良孝、橘慶一郎の4人のみだったため「自民再生の四天王」と評され4人で「四志の会」を結成、当選後わずか40日で党環境部会長に抜擢された。 2010年4月6日に発足した自民党政権力委員会(ネクスト・ジャパン)で環境・温暖化対策担当に起用された[10](同委員会は2011年、自由民主党シャドウ・キャビネット発足に伴い廃止)。
来歴
生い立ち
政界入り