かなえまち
鼎町
鼎
廃止日1984年(昭和59年)12月1日
廃止理由編入合併
鼎町 → 飯田市
現在の自治体飯田市
廃止時点のデータ
国 日本
地方中部地方(甲信越地方)
都道府県長野県
郡下伊那郡
市町村コード20401-3
総人口13,175人
(国勢調査、1980年)
隣接自治体飯田市
鼎町役場
所在地長野県下伊那郡鼎町
座標.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度30分14秒 東経137度49分33秒 / 北緯35.50378度 東経137.82592度 / 35.50378; 137.82592
鼎町(かなえまち)は、かつて長野県下伊那郡に存在した町。1984年(昭和59年)、飯田市へ編入合併[1]。以来、同市のほぼ中央に位置している地区の名称となる。
昭和の大合併で周辺町村がすべて飯田市と合併したため、広島県安芸郡府中町や静岡県浜名郡可美村(現浜松市中央区)のように周囲を完全に飯田市が取り囲む形となっていた。
本項では町制前の名称である鼎村(かなえむら)についても述べる。 鼎には以下の10地区がある。
歴史
1875年(明治8年)1月23日 - 筑摩県伊那郡山村・名古熊村・一色村が合併して鼎村となる。3村の合併を古来中国に伝わる3脚の器である鼎にちなみ、飯田市立鼎小学校初代校長が命名。
1876年(明治9年)8月21日 - 鼎村が長野県の所属となる。
1879年(明治12年)1月4日 - 郡区町村編制法の施行により、鼎村が下伊那郡の所属となる。
1881年(明治14年) - 鼎村の一部が分立して稲井村となる。
1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、鼎村・稲井村の区域をもって鼎村が発足。
1954年(昭和29年)4月1日 - 鼎村が町制施行して鼎町となる。
1956年(昭和31年)9月30日 - 隣接する松尾村・竜丘村・伊賀良村が飯田市と合併したことにより、周囲を完全に飯田市から取り囲まれる。
1984年(昭和59年)12月1日 - 飯田市に編入。同日鼎町廃止。
地区
切石(きりいし)
名古熊(なごくま)
一色(いっしき)
上山(かみやま)
下山(しもやま)
上茶屋(かみちゃや)
下茶屋(しもちゃや)
中平(なかだいら)
西鼎(にしかなえ)
東鼎(ひがしかなえ)
交通
JR飯田線
切石駅
鼎駅
下山村駅
国道
国道151号
国道153号
国道256号
教育
幼稚園
鼎幼稚園
保育園
明星保育園
鼎東保育園
鼎みつば保育園
小学校
鼎小学校
中学校
鼎中学校
高等学校
長野県飯田OIDE長姫高等学校(合併後)
長野県下伊那農業高等学校
図書館
町立鼎図書館
脚注^ 日本で市町村が消滅するのは5年ぶり(直前の合併は1979年2月1日に行われた兵庫県加古川市と旧印南郡志方町の合併)で、最長ブランクであった。なお、2014年4月5日の栃木県栃木市と下都賀郡岩舟町の合併以降、8年以上にわたり、市町村合併が行われておらず、最長記録は塗り替えられている。
関連項目
長野県の廃止市町村一覧
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