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黛まどか(まゆずみ まどか、1962年(昭和37年)7月31日[1] - )は、日本の俳人。
杉田久女に感銘を受け句作を始め、第一句集『B面の夏』(1994年)が話題になる。現代を鮮やかに切り取り、新しいスタイルの俳句を生む。句集に『花ごろも』(1997年)、『忘れ貝』(2006年)、『てっぺんの星』(2012年)など。 神奈川県湯河原市出身[3]。1983年(昭和58年)フェリス女学院短期大学卒業。富士銀行勤務時代に杉田久女を知り俳句の世界に魅了される[3]。1988年(昭和63年)「東京きものの女王」を受賞する。1990年(平成2年)俳句結社「河」に入会し、吉田鴻司に師事する。 1994年(平成6年)「B面の夏」50句で第40回角川俳句賞奨励賞を受賞[4]、初の句集『B面の夏』を出版する[4]。同年、女性のみの俳句結社「東京ヘップバーン」を立ち上げる。1996年(平成8年)女性会員による俳誌『月刊ヘップバーン』を創刊[4]、代表となる。 1999年(平成11年)サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路約900kmを徒歩で踏破[3][4]。2001年(平成13年)から翌年にかけて韓国釜山からソウルまでを徒歩で踏破する。2002年(平成14年)句集『京都の恋』で第2回山本健吉文学賞を受賞する[3][4]。2006年(平成18年)『月刊ヘップバーン』を通算100号で終刊[4]。2010年より1年間、文化庁文化交流使としてフランスにて俳句を指導する。 2022年12月時点で、日本再発見塾呼びかけ人代表[4]、公益財団法人東日本鉄道文化財団評議員[4]、国立新美術館評議員、文化庁文化審議会臨時委員、公益社団法人日本ユネスコ協会連盟未来遺産運動賛同人、NPO法人日本カミーノ・デ・サンティアゴ友の会理事、岐阜県大垣市「奥の細道むすびの地記念館名誉館長[4]、福島県飯舘村までい大使、株式会社ワコールホールディングス顧問、京都橘大学客員教授[4]、北里大学客員教授[4]、昭和女子大学客員教授[4]を務める。 現代俳句を代表する女流俳人の一人であり、おしゃれ吟行会など数多くのイベントの選者を務めている。坂東三津五郎、辰巳琢郎、藤原正彦、わたせせいぞう、増田明美など著名人が名を連ねた会員制句会「百夜句会」(全99回で終了)の主宰でもあり、新藤晴一(ポルノグラフィティ)と長谷川京子はこの句会がきっかけとなって結婚に至った[5][疑問点 – ノート]。
人物・来歴