黒羽織党
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黒羽織党(くろばおりとう)は、江戸時代末期(幕末)に、加賀藩藩政改革を主導した長連弘を中心とする党派である。金沢城下で私塾拠遊館を営んだ実学志向の儒学者上田作之丞の教えを信奉した集団で、弘化4年(1847年)末から長一派が罷免された嘉永7年(1854年)6月までを「第一次黒羽織党政権」(嘉永の改革)と称し、長の死後となる文久2年(1862年)から翌年にかけて黒羽織党の面々が復職し、短期間藩政を主導した時期を「第二次黒羽織党政権」と呼ぶ。"黒羽織"党の名の由来は、彼らが仲間内で会合する際、常に黒い羽織を着ていたためとも、「黒羽織」が方言でフグを意味し、その毒のように人々に害をなしたためともいわれる[1][2]
目次

1 概要

2 背景

2.1 寺島蔵人の藩政批判

2.2 奥村栄実の天保改革

2.3 上田作之丞と拠遊館の人脈


3 黒羽織党の主要構成員

4 第一次政権の施策

4.1 海防政策

4.2 新田開発

4.3 産業政策

4.4 流通政策


5 黒羽織党政権と銭屋五兵衛

6 失脚と復活

6.1 黒羽織党の失脚

6.2 横山政権と安政大一揆

6.3 第二次政権


7 黒羽織党の評価と幕末の加賀藩

8 関連項目

9 脚注

9.1 補説

9.2 出典


10 参考文献

11 関連文献

概要

幕末の動乱期に日和見主義的であったと言われることの多い加賀藩であるが、それ以前の化政期天保期、あるいはそれ以前から激しい派閥抗争を伴いながらも、藩政改革の試みが幾度も行われていた[3]。しかし安永天明年間の前田治脩による改革以来、政権交代のたびに商業重視の施策と農業重視の政策が交互に行われるなど安定せず、実績も上がっていなかった。天保年間には門閥譜代の奥村栄実が主導する、重農主義的な藩政改革が行われていた。

奥村の死後主導権を握った黒羽織党は、金沢城下で私塾拠遊館を開いていた学者上田作之丞の薫陶を受けたグループで、総じて奥村の天保改革には批判的な面々であった。上田作之丞は、和算家・経世家として名高い本多利明の流れをくむ経世思想家であり、商品作物の藩営化を初めとする重商主義的政策を標榜していた。時あたかもアメリカ合衆国ロシア帝国イギリスフランスなどの船が日本近海に頻繁に出現するようになった頃であり、対外的な危機意識が高まった弘化末年から嘉永年間に、門閥守旧派である奥村政権の対立者として登場したのが黒羽織政権であった[3]。長ら黒羽織党の面々は、嘉永元年(1848年)から、安政元年(1854年)までの約6年間、加賀藩の藩政改革を行う(嘉永改革)。

その政策は上田の藩営産業論思想を機軸とし、商品経済の進展に伴って勃興してきた在郷商人層を体制側に組み入れ、藩権力の下に統制掌握しようとしたものである。しかし上田の藩営論は藩内産品の流通を藩が管理する以上の経済政策ではなく、儒学者特有の商業への蔑視や保守性ともあいまって、藩財政をわずかに回復させたのみで、改革は中途で終わる。その一方で黒羽織党の党派性の強さに対する藩内の反撥は、天保政権以前から続いていた派閥抗争を呼び起こし、安政元年(1854年)6月の長連弘らの失脚で第一次政権は終了した。

その後政権の座についた横山隆章によって、天保改革への回帰的政策が進められたが、これも実を結ばず、横山死後の文久3年(1863年)から再び黒羽織党が政権を握り、産物会所の設立を中心とする経済改革を実行する(第二次黒羽織党政権)。しかし長連弘死後の黒羽織党は結束力を欠き、産物会所も上田の思想上の限界から効果を上げることができず、第二次改革も短期間で挫折し、加賀藩は結局有効な改革を為し得なかったまま、幕末期の混乱に突入していったのである。
背景 加賀藩邸(現東京大学本郷キャンパス)の赤門

江戸時代後期となると、幕藩体制の矛盾が顕在化し、幕府や各藩で財政が悪化した。特に19世紀に入ってからは、幕府のみならず諸藩でも、藩政改革が行われるようになる。「加賀百万石」と称された全国随一の大藩加賀金沢藩も例外ではなく、財政問題は深刻化していた。早くも前田治脩が天明期から藩内商品作物の育成策をとり、藩財政の好転を狙ったが、在郷商人の擡頭と商品経済の浸透に伴う農民の都市への流入などの結果を招いたのみで、失敗に終わった[4]。さらに、文政10年(1827年)11月に将軍家斉の娘である溶姫前田斉泰に輿入れした際には、赤門建設をはじめ莫大な費用がかかり、さらに翌年3月には本郷藩邸への将軍家斉の御成があるなど出費がかさみ、たびたび経費節減が触れられた[5]


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