凡例黒田 長貞
時代江戸時代中期
生誕元禄10年(1697年)
死没宝暦4年9月10日(1754年10月25日)
改名辰三郎、長治、長貞
別名通称:市大夫、修理
戒名耀誉祐歓興願院
墓所福岡県朝倉市の古心寺
東京都渋谷区の祥雲寺
官位従五位下、甲斐守
幕府江戸幕府
主君徳川家継→吉宗→家重
藩筑前国秋月藩
氏族野村氏→黒田氏
父母父:野村祐春、母:黒田一貫娘・鶴子
養父:黒田長軌
妻上杉綱憲娘・豊姫(瑞耀院)
子女子、長邦、春姫(秋月種美室)、長通
黒田 長貞(くろだ ながさだ)は、江戸時代中期の大名。筑前国秋月藩4代藩主。室は上杉綱憲の娘[1]。 元禄10年(1697年)、福岡藩家臣・野村祐春の子として筑前国福岡にて誕生した[1]。母は黒田一貫の娘[1]。 正徳5年(1715年)11月、黒田長軌の病が重くなり養子となり、同年12月25日、遺領を継いだ[1]。 享保元年(1716年)1月15日、8代将軍・徳川吉宗に御目見する[1]。同年7月22日、従五位下甲斐守に叙任[1]。財政窮乏化のため、定免制や蔵米知行制度導入による藩政改革を行なっている。 宝暦4年(1754年)9月10日、秋月にて死去した[1]。58歳[1]。法号は耀誉祐歓興願院[1]。同地の古心寺に葬られた[1]。 家督は長男・長邦が継いだ。 父母 正室 子女
生涯
系譜
野村祐春(実父)
鶴子 - 黒田一貫の娘(実母)
黒田長軌(養父)
豊姫、瑞耀院 - 上杉綱憲の娘
黒田長邦(長男) 生母は瑞耀院
黒田長通
酒井忠聴
(四男) 生母は瑞耀院
(長女) 生母は瑞耀院
春姫(次女) - 秋月種美正室、生母は瑞耀院
娘(三女) - 甘露寺規長正室
娘(四女) - 唐橋在家正室
脚注^ a b c d e f g h i j 寛政譜 1923, p. 216.
^ 酒井忠陸の養子。
参考文献
「巻第四百二十五 佐々木庶流」『寛政重修諸家譜』 第三輯、國民圖書、1923年2月18日。NDLJP:1082714/117。
表
話
編
歴