黒沢良
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くろさわ りょう
黒沢 良
プロフィール
本名池田 弘典(いけだ ひろのり)
[1]
性別男性
出身地 日本和歌山県和歌山市[1]
死没地 日本東京都港区
生年月日 (1930-10-21) 1930年10月21日
没年月日 (2011-11-09) 2011年11月9日(81歳没)
職業声優俳優ナレーター歌手
事務所黒沢良事務所(代表)
配偶者武藤礼子1959年-1967年
公称サイズ(時期不明)[2]
身長 / 体重170 cm / 75 kg
活動
活動期間1952年[3] - 2011年
デビュー作『笛吹童子』[3]
声優テンプレート | プロジェクト | カテゴリ

黒沢 良(くろさわ りょう、本名:池田 弘典〈いけだ ひろのり〉、1930年10月21日[2] - 2011年11月9日[1])は、日本声優俳優ナレーター歌手。生前は黒沢良事務所を設立代表を務めていた。
来歴

和歌山県和歌山市出身[1]。旧制和歌山中学(現:和歌山県立桐蔭高等学校)卒業後、法政大学関西大学和歌山大学に通うも中退[4]。宝塚新芸座演出部、新東宝ニューフェイス(高島忠夫と同期)、俳優座養成所(3期生・愛川欽也小山田宗徳らと同期)などを経て、NHK東京放送劇団(4期生・来宮良子山内雅人らと同期)に入る[4]

NHKのラジオドラマ『笛吹童子』(デビュー作)[3]、『紅孔雀』などに主演したあとフリーとなり、声優として活動。短い間ではあるがグループりんどうに所属していた事も有る[5]

全日本シーエム放送連盟(ACC)CMフェスティバルコンクール賞(技術賞2回タレント賞1回)、クリオ賞内閣総理大臣賞など受賞歴も多い。

かつてアテレコ教室を主宰していたことがあり、若本規夫村山明幹本雄之一龍斎春水(旧芸名:麻上洋子)らを輩出した。

晩年は体調不良もあってナレーションの仕事に専念[要出典]。BS日テレの長寿番組「BS日本・こころの歌」や民音公演などでナレーターを務めるとともに、朗読会や朗読教室などで後進の指導・育成にも力を注いでいたが、2011年11月9日、心不全のため死去。81歳没[1][6]
人物

声種フランク永井と同じく声質は高いのによく響く声で太く低音に感じるバリトン声質だった[7]

1960年代から70年代にかけて、『サンセット77』『FBIアメリカ連邦警察』のエフレム・ジンバリスト・ジュニアをはじめ当時民放各局のゴールデンタイムで人気を集めていた海外テレビドラマシリーズの主役たちを数多く吹き替えた。洋画ではゲイリー・クーパーの声を、ほぼ全作品で吹き替えている。世界36か国で放送され一世を風靡したカナダの料理バラエティー番組『世界の料理ショー』では、ホスト役の料理研究家グラハム・カーを軽妙なアドリブやジョークを交えて吹き替え、人気を博した。

大江戸捜査網』『長七郎江戸日記』などの連続テレビ時代劇やテレビCMのナレーターとしても活躍。

また一時はNHK『お笑いオンステージ』のコメディーコーナー「てんぷく笑劇場」にレギュラー出演したり、TBSなどの生放送番組、東海テレビの競馬関連番組でMCを務めたり、歌手としてサントリー・デリカワインなどのCMソングを歌ったり、レコードを出したりと、マルチタレントとして活動していた。後輩声優の中田浩二が主宰する劇団「櫂」の演出部に協力、同劇団の公演に出演したこともある。
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出典検索?: "黒沢良" ? ニュース ・ 書籍 ・ スカラー ・ CiNii ・ J-STAGE ・ NDL ・ dlib.jp ・ ジャパンサーチ ・ TWL(2011年3月)


太平洋戦争の真っ只中、数え年14歳の黒沢は年を多く誤魔化して自ら志願し(特攻)海軍予科特別飛行練習生となり、「震洋」の特別攻撃隊に入隊する。上官にハワイアン歌手の三島敏夫がいた。配属先に向かう途中の沖縄沖で搬送船が襲撃され、燃え上がる海に投げ出されたが、幸運にも救出され九死に一生を得た。その後、配属先に辿り着いた時には部隊はすでに全滅した後で、結局そのまま本土へ帰還し、二度と戦地に赴くことなく終戦を迎えたという[4]。元々自らの意思で捧げるつもりだった命を、不測の事態で失いかけ、結果的には無事生還して新たな人生を歩み出す。

1945年7月9日の和歌山大空襲で被災した経験があり、テレビ和歌山で制作・放送されたドキュメンタリー番組『語り継ぐ 我が心の和歌山大空襲』(放送:2002年7月9日)に出演し、ナレーターを務めると共に、自らの空襲体験を語った。

正式に芸能界入りするまでには、目まぐるしく波乱万丈な青年時代を送っている。旧制和歌山中学卒業後、東京大学受験のため上京したが、SKD(松竹歌劇団)観劇に夢中になっていたため受験時間を逃し、仕方なくその時点でまだ間に合った法政大学を受験して合格。しかし、学制改革により名称も変わり男女共学となった母校・桐蔭高校に復学するため法政大を中退。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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