会計学者の「黒澤清」とは別人です。
くろさわ きよし
黒沢 清
2008年、トロント国際映画祭にて
生年月日 (1955-07-19) 1955年7月19日(68歳)
出生地 日本・兵庫県神戸市
職業映画監督
大学教員
脚本家
映画批評家
小説家
ジャンル映画
オリジナルビデオ
テレビドラマ
活動期間1983年 -
主な作品
『CURE』
『カリスマ』
『回路』
『アカルイミライ』
『トウキョウソナタ』
『クリーピー 偽りの隣人』
『散歩する侵略者』シリーズ
『スパイの妻〈劇場版〉』
受賞
カンヌ国際映画祭
「ある視点」部門 監督賞
2015年『岸辺の旅』
「ある視点」部門 審査員賞
2008年『トウキョウソナタ』
国際映画批評家連盟賞
2001年『回路』
ヴェネツィア国際映画祭
銀獅子賞(監督賞)
2020年『スパイの妻〈劇場版〉』
東京国際映画祭
特別賞
2016年
その他の賞
芸術選奨文部科学大臣賞
2017年『散歩する侵略者』紫綬褒章
2021年
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黒沢 清(くろさわ きよし、1955年〈昭和30年〉7月19日[1] - )は、日本の映画監督、脚本家、映画批評家、小説家。東京芸術大学大学院映像研究科映画専攻教授[2]。黒澤明とは血縁関係にない[3]。 1955年、兵庫県神戸市に生まれる[4]。六甲学院高等学校卒業[5]。大学在学中より8ミリ映画の制作をはじめる[2]。1980年、立教大学社会学部産業関係学科卒業[2]。 立教大学では、自主映画製作集団「パロディアス・ユニティ」に所属した[6]。同サークルには森達也や塩田明彦らがいた[7]。蓮實重彦の「映画表現論」を受講し強い影響を受ける[8]。1981年、8ミリ映画『しがらみ学園』が第4回ぴあフィルムフェスティバルに入選した[9]。 大学4年生の時に雑誌『GORO』の対談で出会い知遇を得た長谷川和彦から声をかけられ、『太陽を盗んだ男』に制作助手として参加。1981年には相米慎二監督の『セーラー服と機関銃』に助監督として参加して映画製作を学ぶ。その流れから、ディレクターズ・カンパニーの設立に参加し、同社制作のピンク映画『神田川淫乱戦争』で1983年に映画デビュー[10]。 1984年、にっかつロマンポルノ『女子大生・恥ずかしゼミナール』を撮影するが、にっかつ側が納品を拒否したため、追加撮影を行い、『ドレミファ娘の血は騒ぐ』と改題して1985年一般映画として公開した。 1989年、初のメジャー作品となる『スウィートホーム』が東宝系で公開。 1990年代には、主にテレビドラマとVシネマを中心に活動する。 1997年、『CURE』が第10回東京国際映画祭のコンペティション部門に出品され、主演の役所広司が男優賞を受賞。同作はフランスの日本映画特集やオランダのロッテルダム映画祭など海外でも紹介され[11]、国際的なブレイクを果たす[12]。その2年後の1999年にはサンダンス・インスティテュート
略歴
2001年、『回路』が第54回カンヌ国際映画祭のある視点部門に出品され、国際映画批評家連盟賞を受賞[13]。その2年後の2003年には『アカルイミライ』[14]で同映画祭のコンペティション部門出品を果たす。その後、『ドッペルゲンガー』(2003年)[15]、『LOFT ロフト』(2006年)[16]、『叫』(2007年)などの作品をコンスタントに監督する[17]。
2005年、上記の国際的な活躍が評価されて東京芸術大学が大学院映像研究科を新設するに伴い北野武など共に映像研究科の教授に就任し、監督業と並行して大学の映像教育にも携り[18]、濱口竜介らを輩出する[19]。
2008年、『トウキョウソナタ』が第61回カンヌ国際映画祭「ある視点部門」審査員賞[20]、第3回アジア・フィルム・アワード作品賞を受賞した[21]。
2012年、初の連続テレビドラマ『贖罪』を監督した[22]。2013年、劇場用映画としては5年ぶりとなる監督作品『リアル?完全なる首長竜の日?』が公開される[23]。