黒板(こくばん)は、連絡事項あるいは伝達事項を記入もしくは掲示によって表示する器具[1]。チョークで文字や絵を繰り返し書いたり消したりできる。学校や企業の事務所などで使われる。
黒板という名称は、英語の blackboard の直訳である[2]。日本へは米国から伝えられたが、米国へはフランス人が伝えた。 黒板に文字を書くときにはチョーク(白墨)、消すときには黒板消しを用いる。チョークや黒板消しは、黒板の下部に取り付けられた粉受けやチョークボックスに収納する(ただし、小型で持ち運びできる黒板はフレームのみのものが多い)。木製や鉄製などがあるが[1]、多くは鉄製で磁石が張りつく性質がある。これを利用して紙などを張り付けたりする。 板の表面は以前は文字通り黒っぽいものだったが、緑色のものが多くなっている[1](#歴史を参照)。日程表などで用いられる黒板には最初から日付や予定などを書く欄が白色や黄色の枠が表面に設けられている。 日本では、ポケットベルや携帯電話が普及する以前は、待ち合わせの連絡用として、黒板でできた伝言板を改札口付近に置く鉄道駅もあった。 チョークの粉が周囲に飛び散ったり、手が汚れることが嫌われ、企業やOA教室などではホワイトボードにほぼとって代わられている。 石川實によると黒板が初めて文献に登場するのはヨハネス・アモス・コメニウスの「世界図絵」である[2]。 小倉金之助によると黒板が有効に利用されるようになったきっかけはフランス革命によるとしている[2]。パリにエコール・ポリテクニークという学校が開校し、その教授であったモンジュは築城術の設計のための画法幾何学を教えたが、性質上、口頭だけで教えることはできなかったため黒板が用いられた[2]。 アメリカでは米英戦争後、ウエスト・ポイント士官学校はフランスから若い教授を招聘し、その中にモンジュの弟子のクローゼーがおり画法幾何学を教えるため1820年頃から黒板の使用を始めた[2]。ただし、アメリカの初等学校に普及したのは1860年代である[2]。 日本では黒板が伝わる以前には藩校や寺子屋で塗板が用いられていた[2]。この塗板は朱漆や黄漆を表面に塗った小さな板で字を書いては消して使用されたが、それは掲示板として使用されたもので性格が異なる[2]。 大正初期、それまで黒板は仏壇屋や漆工芸屋などが作っていたが、このころ黒板専業メーカーが出現し、その技術の高さから朝鮮や満州など海外にも多く知られるようになった。 太平洋戦争前後、黒板の命ともいえる輸入品の漆が入手困難となり、黒板メーカーが材料調達に苦労した。 小学校など生徒と教師の身長差が大きい場合や、車椅子での使用を考慮し、教育機関では壁に設置された黒板をハンドル操作により上下に動かすことができる可動黒板が採用されることも多い。
概要
歴史
欧米
日本
1872年、学校制度の開始と同時に、アメリカから「ブラックボード」が大学南校(東京大学の前身)に持ち込まれた[3]。
1874年、新しい授業制度が始まり、それに伴い黒板も1877年頃には全国に広がった。名前も「ブラックボード」から「黒板」に変わった。
1874年 - 1876年、国産初の黒板が製造される。当時の黒板は、簡易的なものとして墨汁を塗った上に柿渋を上塗りしたもの、あるいは硫酸鉄と煎液
1952年、JIS表示工場の許可(資材の調達方法までが含まれる)をめぐって黒板工業連盟
1954年、JIS規定により、塗面が黒から緑に変わった。
1955年ごろ、学校の構造が木造から鉄筋造に移り変わる時期で、黒板が全国的に広がった。同時にマグネットの普及に対応して黒板の表面が木板から鉄板のものが登場した。