この項目では、日本の元俳優について説明しています。国際政治学者の黒崎輝については「黒崎輝 (国際政治学者)」をご覧ください。
くろさき ひかる
黒崎 輝
本名黒崎 誠輝(くろさき せいき)
別名義宮沢 風太郎
生年月日 (1962-01-31) 1962年1月31日(62歳)
出生地 日本 大阪府堺市
身長175 cm[1]
血液型A型
職業元俳優
元歌手
実業家
ジャンルテレビドラマ
映画
舞台
活動期間1980年 - 1995年
活動内容1978年:JAC入団
1995年:引退
配偶者飛鳥裕子(2011年12月死別)
事務所鹿賀乃屋( - 1994年)
主な作品
テレビドラマ
『影の軍団』シリーズ
『巨獣特捜ジャスピオン』
『神谷玄次郎捕物控』
『振り返れば奴がいる』映画
『伊賀野カバ丸』
『コータローまかりとおる!』
『瀬戸内少年野球団・青春篇』舞台
『ゆかいな海賊大冒険』
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黒崎 輝(くろさき ひかる、1962年1月31日[1][2][3] - )は、日本の元俳優・元歌手、実業家。本名は、黒崎 誠輝(くろさき せいき)[1][2][3]。
大阪府出身[1][2][3]。ジャパンアクションクラブ(JAC)を経て[3][4]、鹿賀乃屋に所属していた[1]。 子供のころ、TBS『キイハンター』の再放送を見て千葉真一の大ファンになり、1978年にJACに入団[2]。初めての役は『スパイダーマン』(東京12チャンネル)の戦闘員ニンダーだった[5]。 1980年、テレビドラマ『柳生あばれ旅』(テレビ朝日)にて俳優デビュー[2]。1981年からは芸名を「黒崎 輝」とし[2]、1983年にJACオールスター出演の映画『伊賀野カバ丸』(東映)で初主演を果たす。特にコミカルな演技に冴えを見せ、翌年(1984年)には『コータローまかりとおる!』で再び主演を務め、和製ジャッキー・チェン、ポスト真田広之として期待されていた[2]。歌手としても活動しており、主演した映画作品では主題歌を歌うこともあった[2]。そのころに、真田や千葉や志穂美悦子と共演することが多かった。 1985年、特撮テレビドラマ『巨獣特捜ジャスピオン』(テレビ朝日)で主演。ジャスピオンの変身ポーズは、黒崎自身のアイディアが採用されたものだった[6]。ジャスピオンの役作りについて、監督の小笠原猛から「三枚目になりすぎていて、アクションの時と同一人物に見えない」と注意されたことがあり、黒崎自身も「二枚目のようだけど、その条件には少しズレていて、それでいてバカとは違うほどほどさが三枚目にはあると思うんです。その味を出すのは、すごく難しいですね」と語っている[6]。 1992年にJACを退団。それに伴い、「宮沢 風太郎」(みやざわ ふうたろう)の芸名で『振り返れば奴がいる』(フジテレビ)などのテレビドラマに端役で出演していたが、ほどなく旧芸名に戻したのち、1995年末までに俳優を引退[2]。 趣味は、ベルトのバックル収集[3]。特技は、テニス[3]、ジャズダンス[4]、スキー[1]、乗馬[1]。好きな色は、ブラウン、白[3]。 引退後、女優の飛鳥裕子と結婚(交際のきっかけは『超電子バイオマン』での共演)。下北沢でのバー経営を経て1998年、沖縄県本部町でダイビングショップ「マザー・アース」[7]を夫婦で設立、経営していた[8]が、かねてから親交が深い柴原孝典のブログによると、2011年12月に妻と死別[注釈 1]。 2018年8月11日放送の『陸空海 地球征服するなんて』において「ブラジルで一番有名な日本人」として(『巨獣特捜ジャスピオン』の主役の)黒崎が選ばれた[9]。
来歴・人物
出演
テレビドラマ
スパイダーマン(1978年 - 1979年、12ch) - ニンダー
スーパー戦隊シリーズ(ANB)
バトルフィーバーJ(1979年 - 1980年) - カットマン
電子戦隊デンジマン(1980年 - 1981年) - ダストラー
超電子バイオマン 第35話「6番目の男」、第36話「変身ボーイ」(1984年、ANB) - 山守正太
影の軍団シリーズ(KTV)