黒崎地区_(倉敷市)
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黒崎地区
くろさき
日本
地方中国地方山陽地方
都道府県岡山県
自治体倉敷市
旧自治体浅口郡黒崎町
面積9.4km²
世帯数2,071世帯
総人口5,226人( ⇒住民基本台帳、2012年3月30日現在)
人口密度555.96人/km²
隣接地区倉敷市玉島浅口市
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黒崎地区(くろさきちく)は、岡山県倉敷市玉島地域にある地区である。地区南部にある沙美海岸が知られる。

かつての浅口郡黒崎町(くろさきちょう)および黒崎村(くろさきそん)に相当する。現在、同市玉島黒崎・玉島黒崎新町からなる。

なお、倉敷市内の他地域にも黒崎という大字があるが、それについては中庄のページを参照のこと。
概要

倉敷市の最西南端に位置する、丘陵と海浜地からなる地区である。南浦(なんぽ)、岩谷(いわたに)、沙美(さみ)、小原(こばら)、岩屋(いわや)、屋守(やもり)、三軒屋(さんげんや)、西元浜(にしもとはま)、本村(ほんそん)の各地からなる[1][2]

かなり古くから人が住み着いていたようで、屋守集落には縄文時代貝塚が発見されている(中津貝塚)[1]

江戸時代は、黒崎村として江戸幕府領であり倉敷支配所の管轄下にあった。明治になっても黒崎村として存続。昭和26年(1951年)には町制を施工し、黒崎町(くろさきちょう)となった。同29年(1953年)に玉島市に編入を経て、同42年(1967年)に新しい倉敷市となり、現在に至っている[2]

元々は、吉備の穴海の西部にあたる甕の海や玉の浦などと呼ばれた海域に地区西部・南部・北部が面していたが、江戸時代の干拓により南部のみが海に面する状態となった[1]

海浜地である南部の沙美集落にある沙美海岸には大規模な海水浴場があり、毎夏、大勢の海水浴客で賑わう。なお、この沙美海岸は、日本最初の海水浴場が開かれた場所でもある[1]
地域
内陸・丘陵部(本村など)

西部を丘陵地となっており、東部は南北に長い平地となっている。丘陵の谷地や平地部に集落が集中している[2]。周辺市道沿いに家屋が存在している以外は大半が平坦で低湿な農地である[3]

産業では、終戦後までは丘陵部を中心にキャンベルデラウェアなどのブドウ栽培が盛んであった[4]

同様に葉タバコや除虫菊も多く栽培された。

近年では、ブドウは栽培種がマスカット中心に移行、葉タバコ・除虫菊は廃れ、代わりにモモ電照菊の栽培がみられる[2]

また、東南部の平地の一部は、倉敷市西部の準工業地域ともなっている[3]

近年、人口の増加により市街化のスプロール化が懸念されるため、公共施設の整備により住環境の改善を目的とする土地区画整理事業が計画されている[3]
海浜部(沙美・南浦など)
沙美

海浜地域であるため、海岸に沿うように町並みが存在する。古くから漁業も発達している。沙美や南浦には漁港があり、黒崎漁協では、モガイ、クルマエビノリなどの養殖漁業も行われている。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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