黒島
黒島港
所在地 日本(長崎県佐世保市)
所属諸島なし(九十九島のひとつ)
座標.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯33度8分30.5秒 東経129度32分04.0秒 / 北緯33.141806度 東経129.534444度 / 33.141806; 129.534444
黒島(くろしま)は、北松浦半島の南西沖合にある島。九十九島で最大の島。
なお、この項目では佐世保市の一地域としての黒島(くろしま - 旧北松浦郡黒島村)についても記述する。
地理
概要黒島の空中写真。2016年5月4日撮影の10枚を合成作成。
国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成。
九十九島の一つに数えられるが、他の島からはやや西の方に離れて位置している。なお、九十九島の中では面積が最大である。
2022年10月1日統計によると島民は349人で、うち約80%はカトリック信者である[3]。 黒島の島名には、二つの説があるといわれている。 一つは、黒島を海上から見た際、樹木が密生しており黒く見えるために、「黒島」というのだという説。もう一つは、カトリック教徒が多く住んでいたため、『クルス島』(cruz=ポルトガル語で十字架の意味)といわれ、これがなまって「クロ島」になったという説である。 黒島 1958年(昭和33年)、町名が設置された。 黒島港より時計回りに、本村(ほんむら)、東堂平(とうどうびら)、古里(ふるさと)、日数(ひかず)、根谷(ねや)、名切(なきり)、田代(たしろ)、蕨(わらべ)の8地区からなる。 黒島は室町時代後期から戦国時代初期にかけて、松浦氏が北松浦半島や周辺島嶼の統一を進める過程でその領地となった。その後松浦氏の家臣である西氏が付近に出没していた海賊討伐の褒美として黒島を与えられ、島の直接の統治を行うようになった。西一族はガスパル西と息子のトマスなどのようにキリシタンだったので[4] [5]、戦国時代後期に一度キリスト教が伝わり、古里地区にキリシタンが暮らしていた。 江戸時代になると、黒島は平戸島(現在の平戸市)に居城を置く平戸藩の領地となった。その当時の黒島は、石高(米の収穫量)は少ないものの、農業・漁業に加え、御影石の採石地、軍馬の飼育地(根谷地区)として知られていた。 1803年(享保3年)に牧場が廃止され、大規模な田畑の開墾が始まり、江戸幕府の禁教政策による弾圧から逃れた大村藩のキリシタン達が移住するようになった[6]。1865年(慶応元年)に長崎浦上のキリシタンが大浦天主堂で信仰を明らかにした「信徒発見」から数ヵ月後には、早くも黒島の信徒代表者が大浦天主堂を訪ね、その後明治時代にカトリックに復帰した。1902年(明治35年)には現在のカトリック黒島天主堂が建てられ、いまも島民の約8割がカトリック信者といわれる[3]。 くろしまむら 1958年に実施された町名設置および免字廃止[7] では、黒島(黒島免)内に存在した小字として以下の名称が見える。太字は現在の黒島の地区名として採用または相当する小字名称。 漁業と農業が中心。 農業については、平戸藩の牧場が廃止されてから本格的に始まり、島内の至るところで湧く水を活かし、島の中心では水田が切り拓かれた。田代地区の地名は田圃に由来する。黒島の土は赤土のため、根菜類、イモ、タマネギなどは非常に美味しく市内でも買い求める人も多かったが、高齢化のため農業従事者が減ったことと農協が集荷を廃止したため、黒島からの出荷が極端に減っている。 漁業は磯焼けのため、漁獲高も激減しているが、黒島近辺で取れるウニやアワビ、イセエビなどは現在も人気が高く、買い求めるのも困難となっている。 かつては御影石の生産が盛んで石材店も複数あったが、現在は本村地区に1店のみとなった。黒島天主堂にも島内で切り出された石が使われている。 黒島へ渡航する際は相浦港[8] からの船舶を利用することになる。相浦港へのアクセスは次の通り。 2014年現在、島内には公共交通機関がない。黒島港から島の中心部にある市役所黒島支所までは徒歩約20分。 軽トラックや軽ワゴン車、原付バイクの保有率は比較的高い。また、交通信号機はない。 移動手段として、テーラーと呼ばれる小型特殊自動車や、セニアカー(シルバーカー)で移動する高齢者の光景も見られる。 漁船などの小型船舶も多く、本土への移動手段として用いられることもある。
名前の由来
地域
くろしま
国 日本
地方九州地方
都道府県長崎県
自治体佐世保市
旧自治体北松浦郡黒島村
世帯数196世帯
総人口349人([ 令和2年国勢調査人口等基本集計結果(確定値)を基に、令和2年11月1日現在以降の推計人口を遡及修正。]、2022年10月1日)
隣接地区なし
佐世保市役所黒島支所
所在地〒857-3271
長崎県佐世保市黒島町3175番地
リンク ⇒黒島支所公式ページ
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町名
黒島町(くろしまちょう) - 黒島全域を1町とする。町名設置以前の地名は#近現代の節を参照。
町内の地区
歴史
中世
近世
近現代
黒島村
廃止日1954年4月1日
廃止理由編入合併
柚木村、黒島村 → 佐世保市
現在の自治体佐世保市
廃止時点のデータ
国 日本
地方九州地方
都道府県長崎県
郡北松浦郡
総人口2,158人
(角川日本地名大辞典42 長崎県、1954年)
隣接自治体なし
黒島村役場
所在地長崎県北松浦郡黒島村字名切3175番地の3
座標北緯33度8分30.4秒 東経129度32分4.2秒 / 北緯33.141778度 東経129.534500度 / 33.141778; 129.534500 (黒島村)
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1885年(明治18年) - 平戸島にあった前津吉村(後の北松浦郡津吉村。現・平戸市)より黒島免を分離し、黒島村となる。
1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行により、北松浦郡黒島村が単独村制にて発足。大字なし。免は設置しなかった。
1954年(昭和29年)4月1日 - 柚木村と共に佐世保市に編入し、自治体として消滅。旧黒島村の区域は「佐世保市黒島免」となる。
1958年(昭和33年)4月1日 - 町名設置を実施[7]。黒島免を廃止し、佐世保市黒島町となる。
小字
本免、村中、宮ノ上、渡瀬、白馬、計瀬、赤瀬、白岳、吹之谷、吹之谷浜辺、東堂平、下古里、中古里、上古里、古里原、東堂平原、尻無尾、唐干田、出掛、白木谷、白木、郭公、郭公谷、井手下、長谷、日数谷、折松、長谷頭、小名切頭、小名切、鳥瀬、根谷、根谷原、崎辺、岳、雨池、牧野、根谷平、下名切、小平、東干山、大鹿岳、小田、名切、磯辺、宇津木ノ元、小崎、摺鉢谷、長田、広田、竹藪、田代、鶴田代、鶴田代原、仕尽、辻、松本、小田平、牛牧、川頭、仕切牧、飛松、上ノ辻、杉山、番岳、蕨ノ浜、蕨、蕨ノ原、番岳平、斟入、佐賀利山、悪地、馬込、長崎、串ノ浜、女瀬、女瀬鼻、伊島、又龍、長衛門谷、塩浜、幸ノ小島
産業本村集落より望む黒島港
交通
船舶
バス:西肥バス(させぼバスも含む)ともに「相浦桟橋」行きに乗り、終点下車すぐ。佐世保駅前から約35分。
松浦鉄道:相浦駅下車(佐世保駅から約30分)、駅から徒歩約5分ほどで相浦桟橋へ到着。
2代目フェリーくろしま
黒島旅客船「フェリーくろしま」
運行区間 : 相浦港 - 高島港 - 黒島港(白馬港)
運賃・所要時間
相浦港 - 高島港まで 大人1名580円/約25分
相浦港 - 黒島港まで 大人1名730円/約50分
運航ダイヤ
平常ダイヤ
相浦港発 - 10:00 / 13:00 / 17:00
黒島港発 - 6:40 / 11:10 / 15:30
増便ダイヤ
黒島港発 - 6:40 / 9:40 / 13:10 / 15:40
相浦港発 - 8:30 / 11:00 / 14:30 / 17:00
かつて、睦丸の運航終了に伴う需要増に対応するため、毎週月曜日も増便ダイヤで運航していた。また、一部の便を危険物専用便(毎週第2月曜日と第4月曜日の相浦港11:00発と黒島港13:10発)とし、車両の乗船を不可(旅客は25人まで乗船可能)とする措置もとられていたが、いずれも現在は、二代目フェリーくろしまが就航したため解除されている。
車両の乗船については事前に予約が必要(予約の受付は乗船の1ヵ月前より、黒島旅客船の黒島事務所にて行う)。
繁忙期の増便ダイヤの実施期間は、大型連休…4月29日から5月8日まで、お盆…8月13日から8月16日まで、年末年始…12月29日から翌年1月5日(1月1日を除く)まで。
毎年1月1日は運休。また台風など悪天候の場合は欠航することもある。
かつて運航していた船舶
「睦丸」 - 船舶の老朽化のため、2013年(平成25年)5月31日運航終了。
基本的には貨物船で12名まで搭乗可能であった。
運航区間 : 相浦港 - 黒島港(高島港は経由しない)
所要時間 : 約60分
運航本数 : 1日3往復
運賃 : 大人1名700円
黒島旅客船と同じく、繁忙期には1往復増便され1日4往復運航となっていた。黒島港発・相浦港発それぞれ最終時刻を繰り下げて運航していた。
島内の交通
施設黒島ウエルカムハウス改修工事後の黒島天主堂信仰復活記念碑女瀬(めぜ)地区にある串の浜岩脈日本遺産認定の砲台跡カトリック共同墓地
公共
市民生活部 黒島支所
市民生活部 コミュニティ・協働推進課 黒島地区コミュニティセンター
地方独立行政法人佐世保市総合医療センター 黒島診療所
教育機関
黒島小中学校(義務教育学校) 2018年に新築され、門柱にはEXILEのメンバー、TAKAHIROが毛筆で書いた校名が刻まれている。 住民らが発案。児童生徒も一人一人手紙を書くなどして依頼した。
黒島保育園(社団法人経営)
その他
黒島郵便局
ながさき西海農業協同組合相浦支店黒島事業所(以前は黒島支店)
市相浦漁業協同組合黒島支所
お告げのマリア修道会黒島修道院 - 1880年設立。内部見学不可。
黒島ウエルカムハウス - 世界遺産登録を見据え黒島港に整備された案内所。物産品販売やレンタカー(7人乗り電動カート、電動原付バイク、電動アシスト自転車)の貸し出しを行う。
黒島デイサービスセンター(通所介護事業所)
名所・観光スポット
黒島天主堂 - 国の重要文化財。1902年(明治35年)に当時の主任司祭マルマン神父が島の信徒とともに建造。2007年(平成19年)1月に「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産の一つとして世界遺産暫定リストへの追加記載が決定し、2015年にユネスコの現地調査を受けたところ「江戸時代を中心とする禁教期を強調し、潜伏キリシタンが切り拓いた集落景観を主体にするべき」との指摘があり、翌年「黒島の集落」における景観構成要素という扱いで包括されることとなった。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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