黒夢
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黒夢
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黒??夢

KUROYUME

出身地
日本岐阜県
ジャンル

ヴィジュアル系[1]

J-ROCK[1]

オルタナティヴ・メタル[1]

パンク[1]

ブラックメタル(初期)[1]

活動期間

1991年 - 1999年

2009年

2010年 - 2015年

2025年(予定)

レーベル

東芝EMI(1994年 - 1999年)

avex trax(2011年 - 2014年)

事務所

La†miss(1992年 - 1999年)

FULLFACE(2009年、2010年 - 2015年)


メンバー

清春ボーカル

人時ベース


旧メンバー

ギター

鋭葵(ドラムス

HIRO(ドラムス)

黒夢(くろゆめ)は、1991年に結成された岐阜県出身[2]ロック・バンド

バンド名の黒夢とは結成前から持っていた「黒夢」という曲名から[3]。「夢とか神というものは存在しない」という意味が込められており、「あくまで現実というものを直視して、その上で前向きに演っていく姿勢をとりたくて」名付けたという[3]。インディーズシーンではSilver-Roseと並んで「名古屋2大巨頭」とされていた[4]。インディーズ時代はLaputaROUAGEらとともに名古屋系を作り上げたともいわれる[5]日経エンタテインメント!調べのヴィジュアル系部門の総売上は第5位・CD総売上は約531万枚。
来歴

1991年、前身バンドであるGARNET所属の清春・人時・鋭葵の三名と、GERACEE所属の臣によって結成。GARNETはミュージックシーケンサーによる打ち込み要素なども取り入れた無機質な激しさを持つバンドだったが、清春と人時はさらにハードな音楽性でバンド活動を行いたいという不満を募らせていた[3]。その後、4人は名古屋市名東区小池町にあるライブハウス『名古屋MUSIC FARM』での対バンを機に出会う[3]。臣は「僕がギターを弾いて、君が歌をうたえば日本制覇も夢じゃない」、「早く解散しろー」と清春を電話で説得、これに清春が応じたことで結成の流れとなった[3]。清春は「(黒夢は)臣君が作ったと言ってもいい」と述懐している[3]。当時は、バンド・メンバー名にアルファベットを用いることが主流だったが、あえて漢字表記とし時流に逆らうスタイルをとった。インディーズ時代は中京圏中心に活動し、渋谷公会堂でのワンマンライブを成功させている。また、首吊りをはじめとする過激なパフォーマンスで人気を博し、インディーズシーンでは絶大な支持を得た。ちなみに、首吊り中に意識を失ない、そのままライブが終了したことがある[2]。インディーズ時代にはデモテープ2本、ミニ・アルバム2枚、アルバム1枚をリリースした。

1992年6月でドラムの鋭葵が脱退。

1993年7月、HIRO(元THE STAR CLUB)が加入するも3ヶ月後脱退。その後、松山一志がサポートとして参加。

YOSHIKIX JAPAN)主宰のインディーズ・レーベル「EXTASY RECORDS」から勧誘され、一度はこれを受諾する。しかし同じ週にソニー東芝EMIからメジャー・デビューの打診があり[6]1994年2月9日、シングル「for dear」で東芝EMIからデビューを果たした。

1995年2月15日、ギタリストの臣がアルバム『feminism』レコーディング途中に失踪。のちに脱退となるがメンバーは補充せず2人で活動を続ける。2人組になり「音楽ユニット」とカテゴライズされることもあったが、「人数が何人でも自分達はあくまでもバンド」と主張した。同年3月、日本ゴールドディスク大賞ベスト5ニューアーティスト賞を受賞。同年5月に発売したアルバム『feminism』は オリコンチャート初登場1位を記録。同年10月に発売した5枚目のシングル「BEAMS」は、清春自身も出演したCMのタイアップ曲としてオンエアされた。

1996年に「ピストル」がMTV Video Music Awards視聴者賞日本部門を受賞。

1997年から1998年にかけ約230本のライブを敢行。この頃からパンクテイストの楽曲を発表しはじめ男性ファンが増加(男性ファン限定ライブも開催した)。

メジャー・デビュー後、人時が結婚を機に家庭を優先したい旨を清春へ伝えたことにより、活動の方向性に清春が疑問を感じはじめた。さらに、人時がメディア出演などをキャンセルしたことで確執が深まった。結果的にレコーディング・ライブでの楽屋・打ち上げなども別々となり、活動休止までまったく会話がない状況となってしまう。1998年、人時から脱退の意志を伝えられた清春は、ツアー開催前に全日程終了後の無期限活動停止を決定[7]。ツアー終了後の翌年1999年1月29日に無期限活動停止を発表。人時はプロジェクトを開始。清春は新たなバンドとしてSADSを結成し活動、2003年10月からソロ活動に入った。

活動停止後の清春は、黒夢再始動の可能性は「ほぼない」と発言していた。しかし、2009年1月29日「清春 15th Anniversary Presents kuroyume "the end" ?CORKSCREW A GO GO! FINAL?」と題し、一夜限りの復活および解散ライブを日本武道館にて行い、正式に解散となった[8][9]。人時からの再結成に関する打診がきっかけであり、清春は当初難色を示したものの、活動休止に区切りをつけるための措置だった。

2010年1月29日、清春のブログにてSADSの活動再開ならびに黒夢の再結成が発表され、新たに公式ホームページが公開された。同時に、アルバムレコーディングの開始、2月9日にファンクラブ「DARKROOM」がオープンすると発表された。これは音楽雑誌「FOOL’S MATE」の元編集長である東條雅人が2009年に急逝したことを受け[10]、黒夢時代に世話になった掛けがえのない友人のためにと、今度は清春が人時に打診したことがきっかけだった。

2010年は、清春がソロやSADS中心の活動だったため動きがなかったものの、2011年2月9日に約12年半振りとなるシングル「ミザリー」を発売。同年2月26日、国立代々木競技場第一体育館でのライブ「XXXX THE FAKE STAR」の開催を公式サイトでアナウンス。なお上記シングルは、インディーズ時代のアルバム『亡骸を…』収録の「MISERY」とは別の曲である。

2011年1月29日、『黒夢 1/29 X-DAY Supported by VANQUISH』と題して東京・新宿ステーションスクエアでシークレットライブを開催。しかし、1曲目の「少年」演奏中に警察から中止要請が入り、最後まで演奏することなく、わずか1分ほどで中止となる。本来は「少年」「MARIA」「Like@Angel」ほか全7曲の演奏予定だったと清春がのちに語った。同年11月1日、13年半振りとなるオリジナル・アルバムの発売を記念し、大阪市心斎橋アメリカ村三角公園でゲリラライブを敢行。

2013年2月、ニュー・アルバム『黒と影』の今秋リリース、2014年1月29日に行われる日本武道館でのライブを告知。同年7月、9月6日にZepp DiverCity TOKYO、14日にZepp Nambaにて行うライブ「DIVE INTO THE KINGDOM」の開催を発表。ライブ会場限定シングル「KINGDOM」のリリースもあわせて発表された。

2014年7月より、事実上最後のロングツアーになることが公言された「BEFORE THE NEXT SLEEP」を敢行[11]

2016年9月16日、官公庁オークションにて『黒夢』を含む4つの商標権が、東京国税局によってインターネット公売に掛けられていることが明らかとなった[12][13]。差し押さえの理由は、清春が運営する権利管理会社『フルフェイスレコード』が負債を抱え税金を滞納したため[14]。その後、『黒夢』は681,000円で、他の3商標は20万円台で落札された。落札者は不明だが4件いずれも同じだとしている[15]。これを受けた清春のマネージャーは、落札者から買い戻したいとしていた[14]。影響として、黒夢を名乗ること自体は問題ないが、CD発売時に黒夢と表記すること、ライブ時に黒夢と宣伝することは商標権侵害になるのが原則と解説しているサイトもある[16]

2024年2月16日に、ボーカルの清春が黒夢でのメジャーデビューから30周年を迎えたことを記念した全国ツアー「清春 debut 30th anniversary year TOUR 天使ノ詩 『NEVER END EXTRA』」が開催されることが発表され、最終日の2025年2月9日のライブが黒夢として行われることが発表された[17]
音楽性と影響

結成当初は、焦りや衝動などの激情を際立たせつつ、悲哀を伴う音楽性を追求していた[3]。清春は「自分たちが日本人だということも強調したかった」[3]、臣は「感情を優先したもの…ギターがギャン!みたいなのが演りたくて。で自然とコアっぽい物になって」と語っている[3]。インディーズ時代の音楽性については「コア寄りの、限りなく攻撃的な暗い音楽でメタルっぽくないバンド」と清春自身が表現している[3]

80年代の日本のパンク[18]、ハードコア[18]、アンダーグラウンド・ロックをはじめ、AUTO-MOD[19]TRANS RECORDS[18]FOOL'S MATEの創始者である北村昌士の運営していたインディーズレーベル)の所属バンドから影響を受けたと発言していた。清春は、当時のインディーズシーンについて、「ヴィジュアルが衝撃的だった。男なのに化粧してる。こんな世界もあるんだって[20]」と述べ、なかでもTHE WILLARDのボーカルであるJUNからの影響を公言している[21][22][3]

清春は高校時代にTHE STREET SLIDERSのファンとなり、ファッションにも大きな影響を受けた[23]。また、ジャパンデヴィッド・シルヴィアン[3]DEAD ENDMORRIE[3][24][22]、Sadie Sads[22]、G-Schmitt[22]De-LAX宙也[22]からの影響もあるという。自身にとっての名盤として、DEAD END『DEAD LINE』[22]、G-Schmitt『Garnet』[22]ALLERGY『アレルギー作用』[3]Gargoyle『月の棘』[3]を挙げている。GARNET活動時、目指す音楽性として人時に聴かせたバンドにスージー・アンド・ザ・バンシーズASYLUM等がある[25]

(元ギター)は、レコード屋でマイケル・シェンカー・グループを聴いたことがロックに傾倒するきっかけとなった[22]。ギターを始めたばかりの頃は、マイケル・シェンカーレインボーの楽譜を購入し頻繁にコピーしていたという[26]。ギタリストとしては、広瀬さとし44MAGNUM)からの影響を公言している[22][3]。自身にとっての名盤に44MAGNUM『DANGER』[22]ヴァネッサ・パラディ『マリリン&ジョン』[3]ZIGGYZOO & RUBY[3]ジェリーフィッシュこぼれたミルクに泣かないで[3]を選出した。


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