この項目では、人種としての黒人(こくじん)について説明しています。戸籍がない中国人としての黒人(ヘイレン)については「黒孩子」を、歯磨き粉については「K人」をご覧ください。
1920年の人種区分。.mw-parser-output .legend{page-break-inside:avoid;break-inside:avoid-column}.mw-parser-output .legend-color{display:inline-block;min-width:1.5em;height:1.5em;margin:1px 0;text-align:center;border:1px solid black;background-color:transparent;color:black}.mw-parser-output .legend-text{} 黒人。ネグロイドのほか、カポイド、パプア人、メラネシア人が含められている。戦国時代、日本に到来したイエズス会員などの南蛮人たち。白人の他、黒人も描かれている。アフリカ内における黒人分布の地図、大陸内の国の大規模な国は一概に「黒人」と分類されているが、この地域のすべての人々が同じ特性を持っているとは限らない。
黒人(こくじん)は、通俗的人種概念の一つで、肌の色が濃色で黒に近い人種の総称。黒色人種(こくしょくじんしゅ)。日焼けなどではなく、遺伝で肌の色が黒に近い。
過去の形質人類学でいうネグロイドと同義に用いられる。 日本で、黒人の記録が見えるようになったのは、戦国時代のことである。当時、南蛮人と呼ばれたヨーロッパ人は、従者として東南アジアやアフリカの者を日本に連れてきていた。その数は決して少ないものではなかったとされる。天正遣欧少年使節がアフリカに赴いた時、一行は「今迄にもあの黒い者らが我々の方へ渡つて来るのを沢山に見た事はあるが」との感想を残している。当時、東南アジア人やアフリカ人は、肌が黒い人として、まとめて「黒坊」などと呼ばれていた[1]。 戦国時代にイエズス会巡察師アレッサンドロ・ヴァリニャーノが連れて来たモザンビーク出身の黒人奴隷は弥助の名で織田信長が家臣に取り立てた。 アメリカ合衆国では、「黒人」の同義語(あるいは政治的に正しい言い換え)として「アフリカ系 (African)」が使われる。この語は通常、「アフリカに出自を持つ」という文字どおりの意味では使われない。たとえば、北アフリカのアラブ人やベルベル人を祖先とする者はアフリカ系から除外される。 アメリカ合衆国では、「黒人」も「アフリカ系」も、単に人種的特徴を表すにとどまらず、奴隷の子孫という歴史と文化を共有した民族集団としての側面も持つ。デブラ・ディッカーソン
各地の黒人
日本
アメリカ合衆国詳細は「アフリカ系アメリカ人」を参照
1967年まで、いくつかの州では、先祖に一人でも黒人がいる者は黒人であるとする「ワンドロップ・ルール」があった[5]。黒人と白人のハーフであるバラク・オバマやハル・ベリー、黒人のクォーターにすぎないタイガー・ウッズなどが黒人とみなされるのもこの影響があるとされる[6]。 オーストラリアにはネグロイドはほとんどいないが、先住民(アボリジニとトレス海峡諸島民)が黒人と呼ばれることがある[7]。
オーストラリア
脚注[脚注の使い方]
出典^ “アフリカの日本、日本のアフリカ 第2章 日本に渡ったアフリカ人
^ a b Debra J. Dickerson (January 22, 2007). ⇒Colorblind ? Barack Obama would be the great black hope in the next presidential race ? if he were actually black. salon.com. ⇒オリジナルの24 September 2010時点におけるアーカイブ。. ⇒http://www.salon.com/news/opinion/feature/2007/01/22/obama/ 2010年10月7日閲覧。.
^ ⇒Debra Dickerson - The Colbert Report - 2/8/07 - Video Clip 。Comedy Central
^ Debra Dickerson (2007年2月8日). “ ⇒The Colbert Report”. colbertnation.com. 2010年10月7日閲覧。