黒い絵(くろいえ、(スペイン語: Pinturas negras)とは、スペインの画家フランシスコ・デ・ゴヤが、晩年に自身の住居の部屋の壁に描いた一連の絵画の総称。現在はプラド美術館に全点が所蔵されている。
1819年、ゴヤはマドリード郊外に「聾者の家」(Quinta del Sordo)と通称される別荘を購入し、1820年から1823年にかけて、この家のサロンや食堂を飾るために14枚の壁画を描いた。黒をモチーフとした暗い絵が多いため、上記の名で呼ばれている。特に『我が子を食らうサトゥルヌス』が有名。ゴヤは亡命(1824年)に至るまでの数年間を過ごした。「聾者の家」は、以前の所有者が難聴だったためにそう呼ばれたという。1909年に別荘が取り壊され、壁画が取り外された。
X線写真で見ると『大雄山羊(魔女の集会)』を除く13点には元々、風景画が描かれており、ゴヤ自身が上描きしたことが分かっているが、理由については諸説あり、はっきりとしたことは判っていない。
ギャラリー
『我が子を食らうサトゥルヌス』
『運命の女神たち(英語版)
『魔女の夜宴』
『棍棒での決闘(英語版)』
『食事をする二老人(英語版)』
『アスモデウス(英語版)』
『サン・イシードロの巡礼(英語版)』
『砂に埋もれる犬』
『二人の老人(英語版)』
『読書(英語版)』
『ユディトとホロフェルネス(英語版)』
『自慰する男を嘲る二人の女(英語版)』
『異端審問(英語版)』
『レオカディア(英語版)』
.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}ウィキメディア・コモンズには、黒い絵に関連するカテゴリがあります。
表
話
編
歴
フランシスコ・デ・ゴヤ
絵画
絵画
『日傘』(1777年)
『アンダルシアの散歩道』(1777年)
『果実を採る少年たち』(1778年)
『大天使ラファエルとトビアス』(1787年頃)
『オスーナ公爵夫妻とその子供たち』(1787年?1788年)
『マヌエル・オソーリオ・マンリーケ・デ・スニガの肖像』(1787年?1788年)
『カルロス4世の肖像』(1789年)
『ドーニャ・タデア・アリアス・デ・エンリケスの肖像』(1789年頃)
『白衣のアルバ女公爵』(1795年)
『魔女たちの飛翔』(1798年)
『魔女の夜宴(ラサロ・ガルディアーノ美術館)』(1798年)
『魔法をかけられた男』(1798年)
『ガスパール・メルチョール・デ・ホベリャーノスの肖像』(1798年)
『裸のマハ』(1797年?1800年頃)
『真理、時間、歴史』(1797年?1800年頃)
『チンチョン女伯爵の肖像』(1800年)
『カルロス4世の家族』(1800年?1801年)
『ビリャフランカ侯爵夫人マリア・トマサ・デ・パラフォクスの肖像』(1804年)
『着衣のマハ』(1800年?1805年)
『サンタ・クルス侯爵夫人の肖像』(1805年)