黄震
[Wikipedia|▼Menu]

黄 震(こう しん、嘉定6年5月12日1213年6月2日)- 至元18年1月13日1281年2月3日))は、中国南宋末期の儒学者。字は東発。
生涯

慶元府慈渓県出身。宝祐4年(1256年)に進士となる。呉県県尉より咸淳3年(1267年)に史館検閲に昇進、寧宗理宗の実録編修に携わる。百姓の困窮と兵力の弱体化、財政悪化の現状を上奏した際には度宗の逆鱗に触れ、広徳軍通判に左遷され、撫州知州となって善政を施した。提挙常平倉史・定点刑獄になった後も貧民救済のための政策を行うが、富人の怨みを買ったことからその地を去る。

宋朝が滅亡すると隠居をし著作と教育に専心する。朱子学を宗として門人に教え、没後に門人達が文潔先生と諡している。
著書

『古今紀要』

『黄氏日鈔』

『戊辰修史伝』

『礼記集解』

『春秋集解』

参考文献

明史』列伝第197 儒林8

宋元学案』巻86

張偉『黄震与東発学派』(北京:人民出版社、2001年)

典拠管理データベース
全般

FAST

ISNI

VIAF

WorldCat

国立図書館

フランス

BnF data

アメリカ

オランダ

その他

IdRef


記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:3023 Bytes
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef