黄土高原
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黄土高原の広がり(影の部分)

黄土高原(こうどこうげん、.mw-parser-output .pinyin{font-family:system-ui,"Helvetica Neue","Helvetica","Arial","Arial Unicode MS",sans-serif}.mw-parser-output .jyutping{font-family:"Helvetica Neue","Helvetica","Arial","Arial Unicode MS",sans-serif}?音: huangt? g?oyuan、英語: Loess Plateau)は、中華人民共和国を流れる黄河の上流および中流域に広がるおよそ40万平方kmから64万平方kmの広さの高原。日本に飛来する黄砂の主要発生地。

この数千年間に起こった戦乱、森林伐採、過剰な開墾・放牧などにより、黄土高原の植生は破壊され、土壌の流失が加速し、一帯の地形は無数の水流が削ったために溝だらけのような状態(「千溝万壑(せんこうばんがく)」)になっている。
黄土とその堆積範囲黄土高原の風景(山西省渾源県付近)

黄土(Loess、スイスドイツ語のloschに由来する)とはより小さいシルト状の土壌のことで、中央ヨーロッパアメリカ中西部以西で多く見られるが、特に黄河周辺のものが有名である。黄土は非常に固いが、水には簡単に浸食されるほか、一旦崩れると粉状になって飛び散りやすい土壌である。長年にわたり現在の中国北西部の砂漠地帯から風に巻き上げられた砂塵がこの地に降り積もり堆積した結果、分厚い黄土の層ができた。黄土高原上の黄土は厚さ50mから80mに達し、特に隴東(甘粛省慶陽市付近)や陝西省北部では厚さ150mにも達する。最も厚い部分では200mになる。

黄土は太行山脈より西、烏鞘嶺より東、秦嶺山脈より北、万里の長城およびオルドス高原より南の一帯に堆積しており、山西省陝西省寧夏回族自治区甘粛省内モンゴル自治区などの行政区域にわたっている。中国でも土壌流失が最も激しい一帯である。

黄土高原の堆積年代は、二百数十万年前(新第三紀末)から現在まで長期にわたり、黄土が堆積してできた地層の各層厚にはばらつきが多い。これは、黄土の生成はによって運ばれた風成堆積物であることから、気候変動などの著しい環境変化があったことを示すものである。調査では、侵食による不整合や砂礫層の水成堆積物を狭在するほか、化石、植物の胞子、石器遺物秦始皇帝陵及び兵馬俑坑の発見)など、多彩な歴史が存在していた。
地形甘粛省臨夏県北東部の農村地帯。黄河の支流、大夏河の下流が黄土高原を切り刻んで険しい渓谷を作っている

高原は北西から南東に傾斜し、海抜は1,000mから2,000mの間である。岩石の多い山地を除き、大部分は黄土が地表を覆っている。降水による長年の浸食で無数の渓谷に覆われた台地は、ガリ侵食によって平らな地形を刻む特殊な景観が見られる。黄土高原の東端は太行山脈で、呂梁山脈や六盤山脈なども高原上の主要な山地である。黄土高原は間を蛇行する黄河により、東から山西高原、陝甘黄土高原、隴西高原の三つに分かれている。

平らな台地の縁側では、崖状の急斜面を成す地形が形成され、降水時期にはがけ崩れが頻発する。このため、大小さまざまな崩壊跡が随所でみられ、中には斜面の安定性が損なわれた大規模な地すべりをも誘発している。これらの黄土は濁流として黄河に流され、乾季には風に巻き上げられやすい状態にある。また、黄土高原では風成堆積物に特有の陥没が頻繁に発生している。
気候と流水

黄土高原一帯は冷帯モンスーンの及ぶ範囲の辺縁にあたり、大陸性気候と不安定なモンスーン気候の両方の影響が強い。年間降水量は少ないが、その65%が夏季に集中し、往々にして一回の雨で年降水量の30%を占めるような豪雨が降る。この豪雨も土壌流失の一因である。黄土高原は日照はよく、年平均気温は8度から14度で、霜の下りない時期は年120日から200日と温暖である。窰洞(ヤオトン)、陝西省楡林付近、1985年頃

黄土高原の水系の根幹は黄河であり、黄土高原からも200以上の支流が源を発している。比較的大きな川には渭河汾河、?河、祖脂ヘ、清水河、北洛河、黄甫川、窟野河、無定河などがある。これらの川の流量は豊富とはいえず、年流量は185億立方mにすぎない(黄河本流は除く)。流水量の最大期には多くの川は幅も広くなり水量も年間流水量の7%を占めるほど豊富になるが、それ以外の時期は涸れ川同然となる。雨が降ると水は表土の上を滝のように流れ落ち、雨が降らない時期はほとんど水のない状態になる。地下水はほとんどが地表から50m以上の深いところを流れ、浅い部分にはほとんど地下水がない。この地下水の流れによって、地中で細粒な黄土が運搬され空隙となり、陥没が頻繁に発生していると考えられている。[1]

暑い夏と寒い冬を乗り切るため、人々は固い黄土に穴を掘って窰洞(ヤオトン)と呼ばれる頑丈で気温差の小さい横穴式住居を作っている。こうした住居は今でも多数の人々が暮らしている。1556年に起こった華県地震では、黄土が崩れて液状化現象を起こしたことで窰洞が崩れ、80万人以上の死者を出した。また1930年代延安毛沢東が建設した中国共産党の根拠地は窰洞を利用したものだった。アメリカ人記者エドガー・スノーが延安を訪れたとき、毛沢東らの住居は山の穴の中だったという。
土壌と植生、環境問題黄土高原の風景

黄土高原を形成する黄土は炭酸カルシウムリンカリウムホウ素マンガンを豊富に含む。この養分豊富な土が毎年黄河に流れ、下流で洪水を起こして堆積してきたことで農耕文化や黄河文明が育まれた[2]。一方黄土高原の土壌はアルカリ性でしかも黄土が固く、植物が育ちにくい。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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