黄之鋒
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黄之鋒

プロフィール
出生: (1996-10-13) 1996年10月13日(23歳)
出身地:イギリス領香港
職業:香港公開大学学生
各種表記
正体字:?之鋒
英語名:Joshua Wong
各種表記(本名)
和名表記:こう しほう
発音転記:ウォン・ジーフン
英語名:ジョシュア・ウォン
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黄 之鋒(こう しほう、英語名:Joshua Wong、1996年10月13日 - )は香港公開大学社会科学の学生。民主化団体「学民思潮」のリーダー、香港衆志事務局長などを歴任した。目次

1 来歴

2 反国民教育運動

3 中環占拠

4 香港衆志

5 入国拒否

6 逮捕

7 脚注

8 外部リンク

来歴

1996年10月13日、香港で生まれた。幼少期はディスレクシアであったが、父母の教育の下で、読み書き能力を改善した[1]。また、両親の影響を受け幼少の頃から教会の社会活動に参加した[2]

匯基書院(東九竜)(英語版)に入学後、2011年5月29日から林朗彦が主催する学民思潮に参加した。
反国民教育運動 2012年7月1日、国民教育反対を訴える黄之鋒(中央)。

2010年10月、香港教育局は道徳・国民教育の新たなカリキュラム(「徳育及び国民教育」)を2012年から翌2013年にかけて小中学校に導入する案を発表、そのための政治協議を2011年に行った。これに対し学民思潮は、同カリキュラムの教材が中国共産党と中国政府のナショナリズムを称賛する一方で、共和主義と民主主義を批判する内容となっており、これを「洗脳」であるとして反対(「国民教育反対運動」)。2012年7月29日に教員・学生・保護者ら3万2,000人を動員した抗議デモを開催し「道徳・国民教育科」の撤回を要求した[3]。8月22日、香港政府は正式に推進委員会を発足し、学民思潮にも参加を要請したが、黄はこれを拒否している[4]

9月7日、黄は香港政府庁舎前で再び抗議集会とハンガー・ストライキを開催し3万6,000人を動員[5]。翌8日、梁振英行政長官は「道徳・国民教育科」の導入を学校毎の裁量に委ねると譲歩したため、黄は抗議集会を中止した[6]。9月27日には教育指導ガイドラインを廃止し、香港政府は導入を事実上撤回するが、黄は「方針を撤回するまで抗議を続ける」として、9月30日から10月1日にかけて、梁行政長官の自宅前と湾仔で抗議デモを実施した[7]
中環占拠詳細は「2014年香港反政府デモ」を参照 2014年9月26日、学生ストライキを起こす黄之鋒(右)。隣は周庭

2014年8月31日、中国全人代常務委員会2017年の行政長官選挙で民主派の立候補を制限する方針を決定した。これに反対する戴耀廷は10月1日を目途に中環を占拠し抗議デモを行うと宣言し、同調した黄ら学民思潮は9月1日に、全人代常務委員会副秘書長の李飛が宿泊する湾仔のホテルまでデモ行進した[8]。9月26日、黄は周永康ら香港学生連盟と共に香港政府庁舎前で抗議デモを実施。これに対し警官隊が催涙弾を発射するなど衝突が激化したため、戴は計画を前倒しして9月28日に中環占拠デモを実施した[9]

11月25日、警官隊は黄らが占拠を続ける旺角のバリケードの強制撤去を開始した。黄は翌26日に他の学民思潮メンバーと共に逮捕され、裁判所から旺角への立ち入り禁止を言い渡され27日に釈放された[10]。11月30日、周永康ら香港学生連盟と共同で再び香港政府庁舎の占拠を試みるが、警官隊に阻止され多数のメンバーが逮捕された[11]

占拠に失敗した12月1日、黄は学民思潮メンバーの女子学生2人と共に無期限のハンストを決行し、香港政府に対話を要求した[12]。しかし、香港政府は要求を拒否し、黄らはドクターストップがかかったため12月6日までにハンストを中止した[13]。黄は体力の回復後、金鐘で周永康らと合流し引き続き香港政府に対話を要求するが、12月11日に警官隊により強制排除された[14]。これを受けて香港政府は15日にデモの終結を宣言し、中環占拠デモは失敗に終わった。

2015年1月16日、中環占拠に関連し違法集会を組織した容疑で香港警察に逮捕されるが、同日釈放された[15]
香港衆志

2016年、黄之鋒は羅冠聡周庭と共に、香港の自決権を掲げる香港衆志(デモシスト)という政党を創設して初代事務局長を務めた。主席の羅冠聡を擁立して、立法会選挙への立候補を目指した[16]
入国拒否

2015年5月26日、黄は中国民主化についての講演のためマレーシアに訪れたが、入国拒否を受け香港へと強制送還された[17][18]。これについてマレーシア移民局は、入国禁止リストに黄が登録されているため通常の処置として入国の拒否をしたと説明したが、リストに登録された経緯については説明されなかった[19]

2016年に黄がタイに訪れた際にも、タイ当局より入国拒否を受けている[20]。これについてタイの新聞社であるネーションは、中国の要請によりブラックリストに登録されていたと報じた。また、タイの学生活動家であるネティウィト・チョティパトパイサルは、黄の訪タイについて、中国政府から移民局へと書簡により通知されていたと説明した[17]
逮捕

2017年8月17日、香港の裁判所は、雨傘革命を非合法集会とする香港当局側の要求による控訴審で、黄之鋒、羅冠聡、周永康の3名に禁錮刑を言い渡した。3人は一審では執行猶予付き禁錮刑や社会奉仕活動であったが、それぞれ禁錮6ヵ月、8ヵ月、7ヵ月の判決に変更されていた。3人は即日収監された[21]

基本法(香港の憲法)に従えば、3ヵ月以上の禁固刑を受けた個人は、5年間、立法議会、地方議会選挙に出馬する権利を剥奪される。

黄之鋒は、刑が言い渡された直後(収監される前)に以下のようにツイートした。

You can lock up our bodies, but not our minds! We want democracy in Hong Kong. And we will not give up.[22]
「我々の体を閉じ込められても、我々の精神は閉じ込めることはできない! 我々は香港に民主主義を求める。我々は諦めない」[23][24]

2017年8月17日、ニューヨーク・タイムズのバリ・ワイス(en:Bari Weiss)は、黄之鋒、羅冠聡、周永康ら香港の民主活動家たちはノーベル平和賞に値すると Nobel Peace Prize Committee(en:Norwegian Nobel Committee(ノルウェー・ノーベル委員会))および読者に訴えた[25]

2017年8月20日、香港当局に対して「彼らは無実の政治犯である」と抗議する大規模デモが発生した[26]

2020年6月30日に全人民代表大会常務委員会で香港国家安全維持法が可決され成立したことを受け、香港衆志から脱退することを表明[27]。香港衆志自体も同日中に解散を宣言した[28]

2020年9月24日、香港警察は黄之鋒を逮捕。2019年10月に違法集会に参加した容疑、およびデモ参加者のマスク(覆面)着用を禁止した法律に違反した容疑によるもの[29]
脚注^“?之鋒?好學生重新定義”. sina新浪香港新聞. ⇒http://news.sina.com.hk/news/20120930/-1-2785007/1.html 2015年1月21日閲覧。 
^“踏上社運路 ? 個人經?與理念分享 - ?之鋒”. 添多一個世界. (2011年3月23日). ⇒http://timisnice.blogspot.hk/2011/04/blog-post_4370.html 2015年1月21日閲覧。


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