まろ あかじ
麿 赤兒
本名大森 宏
生年月日 (1943-02-23) 1943年2月23日(80歳)
出生地 日本・石川県金沢市
身長170 cm
職業俳優、舞踏家、演出家
ジャンル映画・テレビドラマ・舞台
活動期間1964年 -
活動内容1964年 - 1970年:状況劇場に在籍
1972年:大駱駝艦結成
配偶者あり
著名な家族大森立嗣(長男)
大森南朋(次男)
小野ゆり子(義娘)
所属劇団大駱駝艦
事務所キャメルアーツ
公式サイト ⇒大駱駝艦
受賞
TAMA映画祭
最優秀作品賞
2011年『一枚のハガキ』
2016年『団地』文化庁長官賞(2006年)
舞踊評論家協会賞(2008年)
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麿 赤兒(まろ あかじ、本名:大森 宏[1]、1943年2月23日 - )は、日本の俳優、舞踏家、演出家。暗黒舞踏集団・大駱駝艦主宰。所属事務所は同傘下の芸能事務所・キャメルアーツ。
父は海軍大佐の大森潤一
(海兵54期卒)。長男は映画監督の大森立嗣、次男は俳優の大森南朋。石川県金沢市生まれ[1][2]。父親の潤一は大日本帝国海軍の軍人(中佐)で、第一航空艦隊参謀としてテニアン島に赴任。1944年(昭和19年)7月から始まるテニアンの戦いに参加して、翌8月2日、角田覚治司令長官らと塹壕に設えた司令部にて手榴弾で自決した(死後特進して大佐)。また母親の裕子が夫の戦死をきっかけに精神を病んだため小学5年生の時に奈良県桜井市三輪山麓に住むおじ夫婦に預けられる。この頃、肺結核を患い入院する。その際同室の入院患者から影響を受け、文学や演劇に興味を持つ。
奈良県立畝傍高等学校卒業、早稲田大学第一文学部哲学科中退。中高時代は演劇部に所属、木下順二やチェーホフの短編などを公演した[3]。山本安英に共感して劇団『ぶどうの会』に参加するが、劇団上部の政治的な議論に嫌気がさして劇団を離れる[4]。その後舞踏家の土方巽に師事した[1]。
1964年(昭和39年)6月、唐十郎の劇団・状況劇場に参加し、唐が提唱する「特権的肉体論」を体現する役者として活動した[5]。1970年(昭和45年)、劇団を退団[4][6]。1972年(昭和47年)には独自で舞踏集団・大駱駝艦を旗揚げ、主宰する[4][7]。海外公演も積極的に行い、舞踏を「BUTOH」として広めている。
1974年(昭和49年)、1987年(昭和62年)、1996年(平成8年)、1999年(平成11年)、2008年(平成20年)に舞踊評論家協会賞を、2006年(平成18年)に文化庁長官表彰を受賞、2016年(平成28年)に第64回舞踊芸術賞を受賞、2018年(平成30年)に第1回種田山頭火賞を受賞[8]、2021年(令和3年)に文化庁芸術祭賞大賞受賞[9]。2022年(令和4年)10月11日、第40回ニムラ舞踊賞受賞[10]。
2006年に日本アウトドアジャーナリスト協会顧問[11]、安藤百福記念 自然体験活動指導者養成センター客員教授[12]も務める。
舞台や舞踏での活躍のほか、映画やテレビドラマにも多数出演。クセのある役やアクの強い役もこなし、怪優としても活躍。
状況劇団時代から映画に出演しており、大和屋竺監督の『毛の生えた拳銃』では、僚友の大久保鷹とともに出演して殺し屋を演じ[2]、若松孝二監督の『金瓶梅』では花和尚魯智深役で助演。中平康監督の『闇の中の魑魅魍魎』では主役の絵師金蔵を演じた。以後も脇役で活躍し、鈴木清順監督の「大正浪漫三部作」(『ツィゴイネルワイゼン』『陽炎座』『夢二』)には全作に出演しており、クエンティン・タランティーノ監督の『キル・ビル Vol.1』ではやくざの親分役で出演した。