麻雀放浪記
[Wikipedia|▼Menu]

麻雀放浪記
小説:麻雀放浪記
著者
阿佐田哲也
出版社双葉社

その他の出版社
角川書店文藝春秋

掲載誌週刊大衆
刊行期間1969年 - 1972年
漫画:麻雀放浪記
作者阿佐田哲也
出版社竹書房
掲載誌近代麻雀ゴールド
レーベル近代麻雀コミックス
発表号1993年10月号 -
巻数全5巻
話数全42話(章で現わされ、表題は無い)
映画:麻雀放浪記
監督和田誠
脚本和田誠、澤井信一郎
制作角川春樹事務所
製作角川春樹
配給東映
封切日1984年10月10日
上映時間109分
テンプレート - ノート
ポータル文学漫画

『麻雀放浪記』(マージャンほうろうき)は、阿佐田哲也作の小説。また、この原作をもとに作られた、双葉社竹書房講談社の漫画、東映の映画。
概要

賭博としての麻雀を題材としており、文中に牌活字がしばしば登場する娯楽小説である。戦後復興期のドヤ街を舞台として、主人公「坊や哲」をはじめ、「ドサ健」、「上州虎」といった個性的な登場人物達が生き生きと描かれ、彼らが生き残りをかけて激闘を繰り広げるピカレスクロマン(悪漢小説)として評価が高い。

1969年(昭和44年)、『週刊大衆』に最初のシリーズ(のちに「青春編」と呼ばれる)が連載され、昭和40年代の麻雀ブームの火付け役になった。以後、1972年(昭和47年)までに計4シリーズが連載された。

小説は角川文庫版のみで4巻すべてが50刷以上を重ね、累計で約200万部を発行(2015年9月時点)したほか、文春文庫でも発行されている[1]

続編的な作品として『新麻雀放浪記』『外伝・麻雀放浪記』、ドサ健を主人公にしたスピンオフ作品『ドサ健ばくち地獄』がある。

1984年和田誠監督作品として映画化されたほか、漫画化もされている。
あらすじ
青春編
チンチロ部落での「ドサ健」との出会いをきっかけに賭博の世界に足を踏み入れた「坊や哲」は「ママ」や「出目徳」らによって麻雀に深くのめりこんでいく。そして、「ドサ健」、「出目徳」、「女衒の達」らとの果てしない青天井麻雀は意外な結末を迎える。1969年1月から6月まで『週刊大衆』に連載。
風雲編
ヒロポン中毒のため、代打ち麻雀で失態を演じた「坊や哲」は東京を去る。新天地、大阪での「達磨」「タンクロウ」らとの激闘。慣れないブウ麻雀に初めは戸惑うが…。1970年1月から6月まで『週刊大衆』に連載。
激闘編
麻雀の打ち過ぎか、肘が上がらず、「芸」が使えなくなった「坊や哲」。TS会から「カラス金」を借りて麻雀を打つが、時は戦後の復興真っ最中であり、自分の生き方と世間のギャップに戸惑う…。1971年1月から6月まで『週刊大衆』に連載。
番外編
「親指トム」のあだ名を持つ「李億春」を主人公に据えた完結編。一方「坊や哲」は麻雀から足を洗い、勤め人になっていたが、「ドサ健」との再会により再び麻雀の世界に身を投じる。1972年1月から6月まで『週刊大衆』に連載。
登場人物

本作の魅力のひとつに「坊や哲」と、彼を取巻く個性豊かなバイニン(商売人。ばくち打ちを指す)達が挙げられる。
主要人物
坊や哲(ぼうやてつ)
本作の主人公で
語り部。初登場時16歳。一人称は「僕」、『風雲編』からは「俺」、著者自身の語りでは「私」、オックスクラブのママとの会話では「僕」になる。紅星中学卒業直後、上州虎との再会やドサ健との出会いをきっかけに賭博の世界に足を踏み入れる。このとき、まだ子供だったことと一張羅として中学時代の学生服を着ていたことから「坊や」と呼ばれるようになり、やがてバイニンとしての通り名となった。戦時中は学徒動員によって工場で働いており、そこで上州虎と出会い博打を覚えた。この頃から博打の筋は良かったらしい。中学卒業直後に終戦を迎え、家族には「仕事に行く」と偽って当てのないまま時間を潰しているとき、偶然上州虎と再会、上野の賭場に案内されてドサ健と出会い、彼のいいカモにされながら、やがて勝負師としての才能が開花していく。イカサマなしの平で勝負をしたがるという傾向があり、コンビを組む主に対して遣る瀬無い行動に出てしまうこともしばしばある。また、この時点では情にもろい傾向があり、出目徳と打ち負かした学生から巻き上げた金を一部返上したり、チン六がドサ健に騙されたときの愚痴を聞いて金を恵んだりしていた。ただし、後者の方は「小さな恩を売っておき、いずれこき使う」という心算があった。本人いわく「ドサ健とは対照的に、捨てるようなところを何とか生かし、種を撒いて育てて食う」[2] という持論を持つ。上州虎から実家の空き巣に入られた際、親が家を留守にするきっかけを作ったのが哲であったため、親に疑われ始めたことで実家に帰りづらくなり、やがて麻雀放浪を生きる道と決定付けることになる。オックスクラブでの初入店時には戦中以来の麻雀だったことも相まって、雀力が乏しかった[注 1]。そのことでジョニイから制裁をうけ、オックスクラブのママから介抱されたことをきっかけにママのオヒキとなってゲンロクなどの博打修行に励む。ママとの同棲に近い暮らしのなかで彼女に惹かれていくものの、同時に彼女の教えの影響から超えるべき目標としても見ている。だがしかし、コンビとの関係は長くは続かず、単独で雀荘を回り稼ぎに出てしまうことが災いしたこともあって、オックスクラブがガサ入れに遭ったのを機に結果的に自然解消となった。ガン牌使いの清水との出会いがきっかけで、バイニンの世界には様々な技を使う麻雀打ちが存在することを意識する。その折に株屋を名乗っていた出目徳と出会い、自身の打ち筋を見出されてコンビを組み、「大四喜字一色十枚爆弾」や「2の2天和」「通し(サイン)」を仕込まれる(当初はサイコロの出目は7が一番出しやすかった、と語っている)。これらの技を持って後にドサ健に挑み勝利する。しかし、いずれもやがて自身も出目徳を敵に廻してしまうであろうと予知し、出目徳に対抗するための技を考えるようになる。その折、ドサ健との勝負を偶然見ていた女衒の達と馴れ合い、師事された折に出目徳に対抗する技「大四喜切り返し爆弾」を持ちかけられ、それに乗り、不覚にも出目徳から仕込まれた技をばらしてしまい、後にドサ健と組んだ女衒の達が技の一部を披露したことで出目徳の怒りを買い、土壇場で自然解消となる。激闘の末に出目徳は急死したが、そのときの自身の気持ちを言葉に表せなかった。
風雲編
昭和26年、20歳を過ぎた現在でも「坊や」と呼ばれており、「金があるときは麻雀を打たず、無いときに打つ」ことを心がけていたが、同時にヒロポン中毒に陥っており、本来一匹狼であるはずのバイニンが「誰かのために働く犬」、つまりヒロポンのために誰かに縋って生きる犬に成り下がっていた。それを前後してS組のヤクザの若い衆や小菅から西大久保の丸木旅館での土建Y組との麻雀の代打ちを頼まれてそれに渋るが、小菅からヒロポンを貰い「麻雀がお前の商売だろうが」と叱咤激励される形で代打ちにを引き受ける。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:69 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef