麻雀放浪記
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まあじゃんほうろうき」とは異なります。

麻雀放浪記
小説:麻雀放浪記
著者阿佐田哲也
出版社双葉社

その他の出版社
角川書店文藝春秋

掲載誌週刊大衆
刊行期間1969年 - 1972年
漫画:麻雀放浪記
作者阿佐田哲也
出版社竹書房
掲載誌近代麻雀ゴールド
レーベル近代麻雀コミックス
発表号1993年10月号 -
巻数全5巻
話数全42話(章で現わされ、表題は無い)
映画:麻雀放浪記
監督和田誠
脚本和田誠、澤井信一郎
制作角川春樹事務所
製作角川春樹
配給東映
封切日1984年10月10日
上映時間109分
テンプレート - ノート
ポータル文学漫画

『麻雀放浪記』(マージャンほうろうき)は、阿佐田哲也作の小説。また、この原作をもとに作られた、双葉社竹書房講談社の漫画、東映の映画。
概要

賭博としての麻雀を題材としており、文中に牌活字がしばしば登場する娯楽小説である。戦後復興期のドヤ街を舞台として、主人公「坊や哲」をはじめ、「ドサ健」、「上州虎」といった個性的な登場人物達が生き生きと描かれ、彼らが生き残りをかけて激闘を繰り広げるピカレスクロマン(悪漢小説)として評価が高い。

1969年(昭和44年)、『週刊大衆』に最初のシリーズ(のちに「青春編」と呼ばれる)が連載され、昭和40年代の麻雀ブームの火付け役になった。以後、1972年(昭和47年)までに計4シリーズが連載された。

小説は角川文庫版のみで4巻すべてが50刷以上を重ね、累計で約200万部を発行(2015年9月時点)したほか、文春文庫でも発行されている[1]

続編的な作品として『新麻雀放浪記』『外伝・麻雀放浪記』、ドサ健を主人公にしたスピンオフ作品『ドサ健ばくち地獄』がある。

1984年和田誠監督作品として映画化されたほか、漫画化もされている。

また、本作や各小説をベースとして少年漫画向けの大幅なアレンジを施された『哲也-雀聖と呼ばれた男』があり、人気作品のためゲームアニメなどのメディアミックス化されている。
あらすじ
青春編
チンチロ部落での「ドサ健」との出会いをきっかけに賭博の世界に足を踏み入れた「坊や哲」は「ママ」や「出目徳」らによって麻雀に深くのめりこんでいく。そして、「ドサ健」、「出目徳」、「女衒の達」らとの果てしない青天井麻雀は意外な結末を迎える。1969年1月から6月まで『週刊大衆』に連載。
風雲編
ヒロポン中毒のため、代打ち麻雀で失態を演じた「坊や哲」は東京を去る。新天地、大阪での「達磨」「タンクロウ」らとの激闘。慣れないブウ麻雀に初めは戸惑うが…。1970年1月から6月まで『週刊大衆』に連載。
激闘編
麻雀の打ち過ぎか、肘が上がらず、「芸」が使えなくなった「坊や哲」。TS会から「カラス金」を借りて麻雀を打つが、時は戦後の復興真っ最中であり、自分の生き方と世間のギャップに戸惑う…。1971年1月から6月まで『週刊大衆』に連載。
番外編
「親指トム」のあだ名を持つ「李億春」を主人公に据えた完結編。一方「坊や哲」は麻雀から足を洗い、勤め人になっていたが、「ドサ健」との再会により再び麻雀の世界に身を投じる。1972年1月から6月まで『週刊大衆』に連載。
登場人物

本作の魅力のひとつに「坊や哲」と、彼を取巻く個性豊かなバイニン(商売人。玄人の博打打ちを指す)達が挙げられる。
主要人物
坊や哲(ぼうやてつ)
本作の主人公で
語り部。初登場時16歳。一人称は「僕」、『風雲編』からは「俺」、著者自身の語りでは「私」、オックスクラブのママとの会話では「僕」になる。紅星中学卒業直後、上州虎との再会やドサ健との出会いをきっかけに賭博の世界に足を踏み入れる。このとき、まだ子供だったことと一張羅として中学時代の学生服を着ていたことから「坊や」と呼ばれるようになり、やがてバイニンとしての通り名となった。戦時中は学徒動員によって工場で働いており、そこで上州虎と出会い博打を覚えた。この頃から博打の筋は良かったらしい。中学卒業直後に終戦を迎え、家族には「仕事に行く」と偽って当てのないまま時間を潰しているとき、偶然上州虎と再会、上野の賭場に案内されてドサ健と出会い、彼のいいカモにされながら、やがて勝負師としての才能が開花していく。イカサマなしの平で勝負をしたがるという傾向があり、コンビを組む主に対して遣る瀬無い行動に出てしまうこともしばしばある。また、この時点では情にもろい傾向があり、出目徳と打ち負かした学生から巻き上げた金を一部返上したり、チン六がドサ健に騙されたときの愚痴を聞いて金を恵んだりしていた。ただし、後者の方は「小さな恩を売っておき、いずれこき使う」という心算があった。本人いわく「ドサ健とは対照的に、捨てるようなところを何とか生かし、種を撒いて育てて食う」[2] という持論を持つ。上州虎から実家の空き巣に入られた際、親が家を留守にするきっかけを作ったのが哲であったため、親に疑われ始めたことで実家に帰りづらくなり、やがて麻雀放浪を生きる道と決定付けることになる。オックスクラブでの初入店時には戦中以来の麻雀だったことも相まって、雀力が乏しかった[注 1]。そのことでジョニイから制裁をうけ、オックスクラブのママから介抱されたことをきっかけにママのオヒキ(相棒)となってゲンロクなどの博打修行に励む。ママとの同棲に近い暮らしのなかで彼女に惹かれていくものの、同時に彼女の教えの影響から超えるべき目標としても見ている。だがしかし、コンビとの関係は長くは続かず、単独で雀荘を回り稼ぎに出てしまうことが災いしたこともあって、オックスクラブがガサ入れに遭ったのを機に結果的に自然解消となった。ガン牌使いの清水との出会いがきっかけで、バイニンの世界には様々な技を使う麻雀打ちが存在することを意識する。その折に株屋を名乗っていた出目徳と出会い、自身の打ち筋を見出されてコンビを組み、「大四喜字一色十枚爆弾」や「2の2天和」「通し(サイン)」を仕込まれる(当初はサイコロの出目は7が一番出しやすかった、と語っている)。これらの技を持って後にドサ健に挑み勝利する。しかし、いずれもやがて自身も出目徳を敵に廻してしまうであろうと予知し、出目徳に対抗するための技を考えるようになる。その折、ドサ健との勝負を偶然見ていた女衒の達と馴れ合い、師事された折に出目徳に対抗する技「大四喜切り返し爆弾」を持ちかけられ、それに乗り、不覚にも出目徳から仕込まれた技をばらしてしまい、後にドサ健と組んだ女衒の達が技の一部を披露したことで出目徳の怒りを買い、土壇場で自然解消となる。激闘の末に出目徳は急死したが、そのときの自身の気持ちを言葉に表せなかった。
風雲編
昭和26年、20歳を過ぎた現在でも「坊や」と呼ばれており、「金があるときは麻雀を打たず、無いときに打つ」ことを心がけていたが、同時にヒロポン中毒に陥っており、本来一匹狼であるはずのバイニンが「誰かのために働く犬」、つまりヒロポンのために誰かに縋って生きる犬に成り下がっていた。それを前後してS組のヤクザの若い衆や小菅から西大久保の丸木旅館での土建Y組との麻雀の代打ちを頼まれてそれに渋るが、小菅からヒロポンを貰い「麻雀がお前の商売だろうが」と叱咤激励される形で代打ちにを引き受ける。ヒロポンの禁断症状により幻覚に苛まれ続け、それに比例して度々ヒロポンの要求をしたことで小菅に暴行を受けるが、それにより一皮剥け、得意のイカサマ技を使用するが、ばれて落とし前としてエンコ詰めを自分ですることを強要されるも「好きにしろ」「力に頭は下げない」と言い、焼きを入れられそうになるが、土建Y組のステテコこと岩吉に手形のエンコ詰めをとって坊や哲の名誉を預かられる形で事なきを得る。その後もヒロポンの禁断症状は悪化し、ギャングバーの男女2人と口論になったうえで警察沙汰になる散々な目に遭っていたところ、岩吉に頼まれたボタンヌのママに引き取られ、彼女に説教と叱咤激励と一宿一飯の恩義を受ける。今や「ヒロポン中毒の負け犬」に成り下がり、バイニンを廃業してカタギに戻ろうとしたところを前後して岩吉に持ちかけられたデンスケ博打のサクラ役を引き受け、彼のオヒキ(相棒)になる形で暫く行動を共にする。その折にクソ丸とドテ子との出会いから始まった麻雀にて、ヤクザの代打ち以来久しぶりに牌を握っていくうちに、かつてのバイニンとしての感性を少しずつ取り戻していく。その成り行きで2人に同行し、新天地・大阪の雀荘を放浪する。ブウ麻雀の雀荘「白楼」にて、タンクロウをはじめとするクセ者揃いのバイニン(ケン師)たちに翻弄される。その時、途中で別れたはずのドテ子がコンビを組むことを志望したが、そのふざけた態度から断るも、雀荘「白楼」での意外な活躍から彼女を信頼し、コンビ結成を了承する。大恩寺での激戦を経て、ドテ子、タンクロウが寝ている隙を見て煙をまく形で新宿へと帰路する。
激闘編
敗戦から7年間麻雀を打ち続けて23歳になり、身なりもボロボロになったのを前後して高度経済成長に伴う世間の変わりように違和感を覚え始めたころ、小学校時代の恩師と再会する。彼から就職の世話をされそうになるが、それを断る。だが、自身の右腕が肱関節内軟骨剥離になり麻雀を打つこともままならない状態に陥っていた。TS会から借金をして麻雀に臨む。
ドサ健(ドサけん)
上野を拠点とする生粋のバイニン。カモを見つけるとそれにつけ込んで言葉巧みに上手く相手から財産を毟り取る、筋金入りの「悪党」。坊や哲いわく「真正面からぶつかり、美味なところだけを喰って、後は捨てていく」[2]。坊や哲を自分の思うままに利用する一方で、彼に「運」の概念やバイニンとしての生き方を教え込む。博打を「商売」と捉えており、運のコントロールにも長けている。それ故に、博打の資本は「運」とも語っており、「自分の運の限度を理解した上で、博打で運を限度まで使い切ったらその晩はサッとやめる」ことを自分のルールにしている。坊や哲からチンチロリンの勝率を「健さんは腕がいいから勝てた」と問われた際には「運が良かったから」と否定しており、「博打は結局のところ、理屈ではない」と、坊や哲に「運」の概念を刷り込んだ。チンチロリンでは、参加者のそれぞれのサイコロの出目を覚えているほどの記憶力のほか、「これからの時代は麻雀が流行る」と先を読むなど、先見の明を持っている。だが、前者は「商売だから」覚えているにすぎず、「サイコロ賭博より麻雀や花札など技巧中心の博打が肌に合う」と坊や哲に語っている。チンチロ部落の勝ち頭にして賭場を仕切る用心棒的な存在として登場。そこで坊や哲に目を付け、博打のテクニックを身体で教えた上でチンチロリンの勝ち分から闇市「かに屋」での酒代と授業料を差し引き、坊や哲とオックスクラブの賭場に入店した際に場代を坊や哲に出させて自分は稼ぐだけ稼いだ後、負けが込んでいた坊や哲を置き去りにしていった。その後、麻雀の腕を上野の各雀荘の店主に買われて「博打会社」を経営し、上州虎をはじめとする数人の手下を持ち、自分たちにとって都合のいいカモを量産するために麻雀教室を開き、カタギ(一般人)から授業料を含めて上野界隈の雀荘での賭け金を毟れるように、表向きにはイカサマ防止の旨を伝えた上で、新しい役リーチを流行らせる手段を打った[注 2]


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