麻生美代子
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あそう みよこ
麻生 美代子
麻生美代子(1962年)
プロフィール
本名左近允 美代(さこんじょう みよ)[1][2]
性別女性
出生地 日本東京府北豊島郡滝野川町田端
(現在の東京都北区田端[1][2][3]
出身地 日本・東京府東京市下谷区御徒町
(現在の東京都台東区徒町)[1][2][3]
生年月日 (1926-04-07) 1926年4月7日
没年月日 (2018-08-25) 2018年8月25日(92歳没)
血液型A型[4]
職業声優女優
事務所東京俳優生活協同組合(最終所属)[5]
配偶者左近允洋[1][2][6]( - 2008年)
公称サイズ(時期不明)[4]
身長 / 体重150 cm / 40 kg
スリーサイズ85 - 70 - 86 cm
靴のサイズ22.5 cm

活動
活動期間1949年 - 2018年
ジャンルアニメゲーム吹き替えテレビドラマ映画舞台
デビュー作ウルトラ婆さん
魔法使いサリー』アニメのデビュー作
声優テンプレート | プロジェクト | カテゴリ

麻生 美代子(あそう みよこ、1926年大正15年〉4月7日[4][6] - 2018年平成30年〉8月25日[7][5])は、日本声優女優東京俳優生活協同組合最終所属[5]
生涯[ソースを編集]
生い立ち[ソースを編集]

東京府北豊島郡滝野川町田端(現在の東京都北区田端)生まれ[8]東京市下谷区御徒町(現在の東京都台東区徒町)育ち[1][2][3]。旧海軍にて艦船・航空機の位置確認のための天体観測に従事[6]1945年東京大空襲で被災[3]。母の実家のある千葉県に疎開し、肺病を患って2年くらい療養に専念[3][9]
キャリア[ソースを編集]

その後、文化学院[10]に入学し、友人から新児童劇団に誘われて学生時代から演劇を志す[9]。1947年、新児童劇団入団[11]小堀誠に師事していた時期もあった[11]。大人向けの演劇に興味がわいて、1956年7月、劇団葦に入団し[12]、芝居を続けながら、収入を得るためにラジオドラマなどに出演し[9]、主に舞台女優や声優として活動。1963年4月に劇団葦を退団し、同年8月に劇団新劇場に入団[12]。その後、江崎プロダクション[13]を経て、最後は東京俳優生活協同組合に所属していた[14]

一時は新聞社に勤めており、新聞記者として取材をしていた[3][9]。民間放送が始まった頃にTBSのアナウンサー1期生の入社試験を受けて合格したが、身体検査で以前の肺の病を理由に落選した[3][9]

アニメ『サザエさん』では磯野フネ役を1969年10月5日の放送開始から2015年9月27日まで演じており、母性を感じさせる優しく落ち着いた声で、長年「日本のお母さん」として多くのファンに親しまれた[15]

2006年には市川準監督の実写映画『あおげば尊し』にて、加藤武の妻にしてテリー伊藤の母親役を演じた[16]

2009年6月、急病(のちに腸閉塞と発表)のため短期間休業。そのため、『サザエさん』のフネ役は1週分(6月14日放送分)を谷育子、『和風総本家』のナレーションは1か月ほどを池田昌子が代役を担当した。『サザエさん』では、本編冒頭に麻生の休業と谷による代役を伝えるテロップが流された[16]
晩年・死去[ソースを編集]

2012年、第6回声優アワード「功労賞」を受賞[17]

2015年、約46年間演じた『サザエさん』のフネ役を同年9月27日放送分をもって卒業。麻生の年齢を考慮しての交代で、後任は寺内よりえとなった[18][19]

ナレーションを務めている『和風総本家』はフネ役降板後も続投していたが[20]、2017年8月24日放送分からは島本須美と分担して担当となり、2018年3月22日の放送回をもって卒業。同年3月20日に行われたこの番組のナレーション収録が、生前最後の仕事となった[15]

2018年8月25日午前7時23分、老衰のため死去[5][7]。満92歳没(享年93)。訃報は翌月3日に発表された[5]。所属事務所の理事長・朝田孝二によれば、死去する前日の夜に睡眠時間が長くなったことから、朝田や親族などが集まり付き添う中で静かに息を引き取ったといい、「最期はまるで笑っているかのようだった」と語っている[21]

麻生の死去を受けて、2018年9月6日放送の『和風総本家』では番組の最後に追悼VTRが流れ、麻生の生前の写真と「ニッポンっていいな?和風総本家のお時間です」というナレーション共に、「麻生さん ありがとうございました ご冥福をお祈りします」という追悼メッセージが流れた[22]。フネ役を演じた『サザエさん』でも、9月9日の放送で追悼のテロップが流れた[23]
人物・エピソード[ソースを編集]

声種アルトからメゾソプラノ[14]

アニメ、洋画に多数出演していた[24]

日本女性らしい穏やかな声質[16]であることから、演じる役柄は高齢の女性かつ威厳のある役、中年以上の女性役を数多く演じていた[24][25]

多趣味でシャンソン油絵などをたしなみ、とくにスキューバダイビングは47歳から80歳まで続けたという[6][15][16][21]

ヘビースモーカーを自認していたが、死去の2年前からは禁酒・禁煙していた[26]。また、関係者によれば病気知らずで、最後の仕事を終えた2018年4月以降も元気に過ごしていたという[15]

父は師匠の元で表具師の修業をしていた時期もあった[3]。夫は音響監督左近允洋[1][2][6]2008年3月10日に死去し、同月14日放送の『徹子の部屋』ゲスト出演は夫の喪を秘しての出演だった。

鈴置洋孝プロデュースの舞台には常連として出演していた[3]。鈴置はみずからがプロデュースする舞台へ上がってもらうために、『煙が目にしみる』の台本を渡して出演を懇願したが、麻生が台本を最初に読んだ時の印象は「これのどこが面白いの?」だったという。また、2006年に死去した鈴置に過去の火葬場を舞台にした作品と重ねて「『煙が目にしみる』が現実になるなんて!! 冗談きつ過ぎるよ。何度つぶやいた事か。」と語っている。鈴置の死後は、鈴置と関係のあった人物の集まりから結成された演劇集団『鈴舟』にて「船頭」であった[27][28]

サザエさん』ではレギュラー声優陣のなかで最年長であったため、収録現場を取り仕切る役目を担っていた[29]。フネはおしとやかな性格だったが、麻生自身は朝田孝二が語るところの「明るく朗らかでチャーミングなおばあちゃん」で、サザエ役の加藤みどりは「何かあれば麻生さんに相談できて、頼りになる先輩」と語り、80歳を超えても声は健在で滑舌も良く、先輩として皆の目標になっていたという[15][21]

最晩年は、若い役者との交流が「元気の源」であり、月に2回ほど自宅に招いては手料理と酒を振る舞っていたという。このことを麻生は「役者じゃ食っていけない。それは私が一番知っている。だからご飯を食わせてやるんですよ。私はお母さんでしょうか。若い男たちと一緒にいると、若さを分けてもらえるようなかんじ。これが今の生き甲斐ですね」と語っていた[26]
後任[ソースを編集]

麻生の高齢に伴う降板および死後、持ち役・ナレーションを引き継いだ人物は以下の通り。

後任役名概要作品後任の初担当作品
谷育子[注 1]チーズフォンデュさんそれいけ!アンパンマン』2014年10月24日放送分のみ
寺内よりえ磯野フネサザエさん』2015年10月4日放送分


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