麻布
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この項目では、東京都港区の地区について説明しています。

麻の布(あさぬの)については「麻織物」をご覧ください。

江戸時代の地本問屋については「麻布 (地本問屋)」をご覧ください。

札幌市内の地名については「麻生町 (札幌市)」をご覧ください。

東京タワーからの麻布の景色

麻布(あざぶ)は、東京都港区北東部の通称町丁では東麻布麻布狸穴町麻布永坂町麻布十番南麻布元麻布西麻布麻布台六本木。旧麻布区全域にあたる。
概要

麻布は山の手台地と谷地で起伏に富んだ土地である。麻布という字が当てられるようになったのは江戸時代元禄期からといわれる。

青山から三田地域周辺まで広く包含する"麻布地域"一帯は、かねてより商店街から住宅地まで包含する地域であるが、なかでも高台に当たる地域は地価が高く高級住宅街とされている。低地側の幹線道路沿いには高層マンションが目立つ。麻布十番に居住するまたは働くきれいでかっこいい女性を指す「十番E女(ジュヴァーナ)」という造語が2006年頃に流行った[1]

地理的には麻布地域の縁を沿うように古川が流れており、この川によって山と谷、高台と低地が形成され起伏に富んだ坂道の多い地形である。

元々、麻布地域内の鉄道駅は六本木駅広尾駅があるだけで、隣町に神谷町駅はあるものの鉄道でのアクセスは芳しくなかった。

2000年平成12年)に、南北線大江戸線が相次いで開業したことで、この一帯の交通アクセスは飛躍的に向上した。

なお、現在は高級住宅街である麻布と繁華街である六本木は区別されることもあるが、元来六本木のほとんどは麻布地区の一部であり麻布材木町や麻布龍土町といった町があった。そのため現在でも麻布と六本木は行政区分などの点で一体となっており、例えば六本木地区にある麻布警察署や麻布図書館などはその名残である。また、東麻布、西麻布、南麻布は存在するが北麻布は存在しない[2]
歴史1853年の青山通り宮益坂上(左) - 青山2丁目(右)、麻布長谷寺(中央下)近辺。根岸信輔蔵。

麻布周辺には貝塚などが見られ縄文時代から人間が住んでいた。弥生時代には農業も行われていた。

712年には竹千代稲荷(現在の十番稲荷)が創建、824年には空海により麻布山善福寺が開基、939年には氷川神社源経基により勧請される(1659年に現在の位置に移転)。

江戸時代初期までは農村や寺社の門前町であった。武家屋敷が建ち並ぶようになり、江戸の人口増加・拡大につれ都市化し代官支配から町方支配にうつる。馬場が1729年に芝から麻布に移転、十番馬場と呼ばれた。馬場移転に伴い馬市が立ち麻布十番は栄える。

1859年アメリカ公使館が善福寺に置かれる。明治時代には古川が埋め立てられ鉄道馬車が通り工業化が進む。次第に台地の上は高級住宅街、低地には零細商工業といった分化がすすむ。大正時代には麻布十番を中心に花街や演芸場、映画館デパートなどが造られ東京でも有数の盛り場となる。第二次世界大戦では空襲で大きな被害を受けるが、戦後に復興する。

1949年昭和24年)に麻布十番温泉が開湯する。

1960年代に入り地下鉄日比谷線が開業し、六本木駅が設けられるものの、一方で麻布十番から新橋駅渋谷駅などを結んでいた都電が廃止された。


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