麻布中学校・高等学校
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麻布中学校・高等学校

.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度39分15.8秒 東経139度43分38.4秒 / 北緯35.654389度 東経139.727333度 / 35.654389; 139.727333座標: 北緯35度39分15.8秒 東経139度43分38.4秒 / 北緯35.654389度 東経139.727333度 / 35.654389; 139.727333
過去の名称東洋英和学校内尋常中学部
私立麻布尋常中学校
麻布中学校(旧制)
国公私立の別私立学校
設置者学校法人麻布学園
設立年月日1895年
創立記念日5月16日
創立者江原素六
共学・別学男子校
中高一貫教育完全一貫制
課程全日制課程
単位制・学年制学年制
設置学科普通科
学期3学期制
学校コードC113310300017 (中学校)
D113310300015 (高等学校)
高校コード13522E
所在地106-0046
東京都港区元麻布二丁目3番29号
外部リンク公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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麻布中学校・高等学校(あざぶちゅうがっこう・こうとうがっこう、: Azabu Junior and Senior High School)は、東京都港区元麻布二丁目に所在し、高等学校においては生徒を募集しない中高一貫教育を提供する私立男子中学校高等学校
概要

東洋英和学校普通科学校長江原素六が、同東洋英和から尋常中学校として分離独立させて創立したのが麻布の始まりで、同校創立以来、江原に形影相伴う存在だった清水由松がこの時に参集した。1900年(明治33年)9月、現在の元麻布の地に移転した[1]

学校存続のため、当時の明治政府の制度に倣い尋常中学校として分離独立して創られた経緯から、当初から男子に中等普通教育を施し、旧制一高など旧制高等学校への進学に力を入れる中等教育校を標榜していた[2]

創立者の江原、2代目学校長として麻布の基盤を築いた清水共々キリスト教徒だった。彼らは生徒に対して寛大な姿勢を貫いた人物として語られており、学校運営も当時の国の制度に頼らず、自由な校風を旨とした。

その後現在に至るまで自由な校風として知られ、政財界から芸能の世界に至るまで幅広く人材・異才を送り出してきた[3]

また、灘中学校?高等学校と生徒交換を行なっている。
校風・特徴

校風は自由闊達。校則はなく、自主・自立の校風の下、入学試験を除く学園生活の大部分で生徒が「自分で考えさせる」ことが重視されている[4]。そのため、服装だけでなく頭髪や装飾品に関しても全て生徒自身に裁量が委ねられている。クラブ活動の運営なども生徒の手で自主的に行われている。麻布では、生徒による問題行動が起こった場合は、担任をはじめとする教員間で話し合いをし、家庭にも連絡を取りながら、本人の反省が自他ともに認められれば、通常の授業への参加を認める、という方法をとっている[5]。校則がないこともあり、問題行動だからといって停学・退学処分にすることはない。1960年代までは制服着用や成績による序列化など、管理がそれなりに厳格だったが[6]1970年代の学園紛争を通して校則や制服は撤廃された。

かつての制服であった標準服が用意されており、希望する生徒は購入できる。詰め襟・黒ボタンで、現在はほぼ全員が私服である。1990年代初めくらいまでは8割くらいの生徒が標準服を着ていたという[7]

編成は、男子校で、1学年約300名・7学級[8]。高校からの募集をしない完全中高一貫教育である。学園関係者は、中学1・2・3年生を英語で中学を意味する middle school より M1・2・3、高校1・2・3年生を high school より H1・2・3 と呼ぶこともある。
沿革

全て月日が付属しない年表示は年度である。1995年までは『麻布学園の一〇〇年』による。
戦前

1895年 -
江原素六により東洋英和学校内に東洋英和学校内尋常中学部を創立し、同年私立麻布尋常中学校と改称。

1899年 - 麻布中学校と改称。

1900年 - 現在の立地に新校舎が落成し、移転。

1901年 - 集成館を創立。当時の旧制中学校第一学年を主に収容し進学時に麻布中学校に編入させ、麻布中学校の定員超過を名目上解消することを目的とした。

1903年 - 債権整理のため組織を麻布中学校財団法人として財団法人化する。

1912年 - 人数超過の解消と法の改正に伴い集成館を廃止。

1922年 - 江原素六死去。2代校長に清水由松が就任。

1924年 - 麻布中等夜間学校開校。

1926年 - 山中湖畔の土地を学校用地として買収。翌年洗心寮建設。

1930年から1931年頃 - 校歌制定。現在のものと併せて3番まで。

1931年 - 現在の普通教室が入っている"ロ"の字型の校舎のうち、学園のホームページに掲載されている画に写る塔を中心とした2辺が完成。古橋柳太郎設計。

1932年 - 麻布中等夜間学校が麻布夜間中学へ変更。5か年制。

1935年

創立40周年を記念してプール落成。

現在の多摩川運動場に農場と運動場を開設。


1937年 - 校舎増築。現在のロの字校舎の中学1年1組がある辺が増築。現在の講堂がある場所に江原先生記念成毛講堂が落成。

1941年 - 校友会を改編して麻布中学校報国団結団。

1942年 - 清水由松が名誉校長になり、法大教授の細川潤一郎が校長に就任。

1944年 - 学級名をアルファベットから数字へ変更。

戦後 - 1960年代

1945年 - 校友会組織。第1回運動会開催。

1946年 - 自治委員会組織。

1947年

新学制によって麻布中学校発足。

5月23日から5月25日 - 第1回文化祭


1948年

麻布高等学校が発足し旧制中学4・5年を切り離す。麻布夜間中学も麻布定時制高等学校として発足。

麻布民主化同盟が檄文を教室に貼り付ける事件が発生。


1949年

1月 - 日本共産党麻布学園細胞が結成宣言。機関紙『民主学園』[9]を発行するといった活動を行った。

法改正に伴い麻布中学校財団法人学校法人麻布学園に変更。


1950年

清水名誉校長死去。清水由松の誕生日の5月16日を創立記念日とし、江原記念日を5月20日とする。

校友会・自治会(自治委員会)を改編して生徒協議会結成。

職員の反対を生徒協議会の要望が覆して文化祭開催。しかし、以後3年開催せず。


1951年 - 生徒協議会と教師との折衝の後9月に文化祭開催。しかし、以後2年間は開催せず。

1954年

5月15日から5月16日 - 文化祭。


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