麻丘めぐみ
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あさおか めぐみ
麻丘 めぐみ
本名藤井 佳代子(ふじい かよこ)
生年月日 (1955-10-11)
1955年10月11日(68歳)
出生地 日本 大分県
身長162 cm [1]
血液型O [1]
職業女優歌手演出家
ジャンル舞台テレビドラマ映画
活動期間1950年代末期 - 1977年
1983年 - 現在
活動内容3歳頃:子役デビュー
1960年代末期:『週刊セブンティーン』等、モデルとして活躍
1972年:「芽ばえ」で歌手デビュー
1977年:結婚のため一時引退
1983年:離婚、芸能界復帰
配偶者

渡邉光男(1977年 - 1983年)なし(1983年以降)
著名な家族長女(ひとみ/水彩画家)
公式サイト麻丘めぐみオフィシャルサイト

 受賞
第14回日本レコード大賞最優秀新人賞(「芽ばえ」にて)
第15回日本レコード大賞大衆賞(「わたしの彼は左きき」にて)
第4回日本歌謡大賞放送音楽賞(「わたしの彼は左きき」にて)

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麻丘 めぐみ(あさおか めぐみ、1955年昭和30年〉10月11日 - )は、日本女優歌手演出家。本名は藤井 佳代子(一時、田島 佳代子が本名だった時代もある)[2]大分県出身で、大阪府育ち[3]1970年代を代表するアイドルの一人で、清楚なルックスと優しい歌声で一時代を築いた[4]

2020年代現在は女優の活動を中心に置きながら歌手活動も続けている。キリスト教 カトリック教会の信徒である[5]。シアタードリームズカンパニー所属。 ⇒芸文株式会社と業務提携をしている。堀越高等学校明治大学付属中野高校定時制課程卒業。
経歴
生誕 - 子役・モデル時代

大分県速見郡日出町生まれ、生後半年から大阪市住吉区で育った[3]。父方の先祖は日出藩家老で、大阪に移るまでは祖父母とともに日出城址内の武家屋敷に住んでいた[6]。「私の実家は、日出城の二の丸です」と麻丘はインタビューで語っている[6]。子供の頃から活発だった4歳上の姉に付き添う形で劇団に入り[7]、1歳8か月でCMに出演[3]、3歳で子役として芸能界デビューする。初舞台は梅田コマ劇場で、花菱アチャコ森光子らとの共演だった[3]

小学5年の時に母に連れられ上京。その3か月前に遠藤実の内弟子として単身上京していた姉の生活を支えるためだった。杉並区久我山に母娘3人で暮らすが家計は苦しく、日々の献立はジャガイモばかりだったという[8]

中学時代には、当時創刊間もない少女雑誌『週刊セブンティーン』等でモデルとして活動。当時の芸名は本名の藤井佳代子(途中から本名・芸名共に田島佳代子に改名)。

モデル業の合間に、歌手となった姉の仕事現場に雑用係として度々顔を出していたところ、その場にいたレコード会社のスタッフから幾度となく歌手デビューを持ちかけられる[9]。しかし、頑張りつつもヒットに恵まれない姉の姿を間近に見ていたことから自分に歌手は無理だと、しばらくは誘いを断り続けていた[7]。最終的に説得を受け入れた理由は、このままヒットが出ないと姉がレコード会社から契約を切られるのではないかと危惧し、そうならないためには自分が会社の言うことを聞けばいいのではないかと考えた上でのことだった[9]。姉をサポートしたいがための、不本意な決断であった[8]

芸名は、所属レコード会社のビクターが「丘めぐみ」という名を用意したが、本人は「何か一つ足りない」と思い、国語辞典を開いて「あ」の頁に「朝」「浅」「麻」のそれぞれの文字を見てピンと来たという。朝だと朝丘雪路、浅だと浅丘ルリ子と名字が同じになるので、麻の字を足して自らの芸名とした[10]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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