全羅南道 麗水市巨文島・西島南端の水越山西麓から眺める首越峠、前水越山、三湖橋と島内海
位置
各種表記
ハングル:???
漢字:麗水市
日本語読み仮名:れいすいし
片仮名転写:ヨスシ
ローマ字転写 (RR):Yeosu-si
統計(2023年)
面積:510.08 km2
総人口:271,696[1] 人
男子人口:138,354 人
女子人口:133,342 人
人口密度:532.65 人/km2
世帯数:128,733 世帯
行政
国: 大韓民国
上位自治体:全羅南道
行政区域分類コード:36020
麗水市の木:ツバキ
麗水市の花:ツバキ
麗水市の鳥:カモメ
自治体公式サイト: ⇒麗水市
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麗水市庁(本庁舎)麗水市庁(突山庁舎)麗水市議会(麗水市庁麗西庁舎)
麗水市(ヨスし)は、大韓民国全羅南道東部にある市。2012年に麗水国際博覧会(万国博覧会)が開催された。市庁舎は本庁舎(旧麗川市庁)、麗西庁舎(旧麗水市庁)(市議会がある)、突山庁舎(旧麗川郡庁)の分庁方式を採用している。 全羅南道東南部の沿海部に位置する。本土から大きく突き出した麗水半島にあり、北部は順天市に接し、海を隔てて東方は慶尚南道南海郡、西方に全羅南道高興郡を望む。南は多島海に面し、市域には300余りの島(有人島47、無人島269)が点在し、海岸線は917Kmになる[2]。 半島東部に旧麗水市、半島中部に旧麗川市が所在した。 百済時代は猿村県および突山県と称され、統一新羅時代の757年に海邑と命名された。高麗時代の940年に初めて麗水の名前が使われている。 1479年(李氏朝鮮成宗10年)には全羅左道水軍節度営(全羅左水営)が設置され造船施設などもあった。文禄・慶長の役が始まる前年に李舜臣が当地の司令官として赴任し、亀船(亀甲船)を建造して戦争に備えた。1599年に三道水軍統制師であった李時彦が建設した鎮南館は韓国最大の木造建築で国宝第304号に指定されている。
地理
歴史
麗水市・麗川市
1949年
8月13日 - 麗水郡麗水邑が麗水府
8月15日 - 麗水府が麗水市に改称。
1986年1月1日 - 麗川郡三日邑・双鳳面を管轄する麗川地区出張所が麗川市に昇格。[4]
1990年4月 - 麗水?博多間の博麗フェリー
1992年 - 博麗フェリーが経営難のため運航休止。
1998年4月1日 - 麗水市・麗川市・麗川郡が合併し、改めて麗水市が発足(三麗統合)。旧・麗川市庁に本庁舎を置き、旧・麗水市庁に第2庁舎を、旧・麗川郡庁に第3庁舎をそれぞれ配置された。(1邑6面)
2012年5月12日 - 麗水世界博覧会が開催。
麗川郡(麗水郡)
1897年 - 順天郡の一部地域(麗水面・召羅面・栗村面・三日面)をもって麗水郡を新設。[5]
1914年4月1日 - 郡面併合により、突山郡の一部(斗南面・南面・華蓋面・三山面および玉井面の大部分・太仁面の猫島)が麗水郡に編入。麗水郡に以下の面が成立。(10面)
麗水面・召羅面・栗村面・三日面・双鳳面・華陽面・斗南面・南面・華井面・三山面
府令第111号
朝鮮総督府令第111号
旧行政区画新行政区画
麗水郡麗水面麗水面
麗水郡華陽面華陽面
麗水郡徳安面の一部、亀山面の一部召羅面
麗水郡栗村面、亀山面の一部栗村面
麗水郡三日面三日面
突山郡太仁面の猫島
麗水郡徳安面の一部、双鳳面双鳳面
突山郡斗南面斗南面
突山郡南面南面
突山郡三山面三山面
突山郡華蓋面、玉井面華井面
1917年 - 斗南面が突山面
総人口は2013年12月現在、294,565人。1990年前後は30万人を超えていたが、ここ数年は横ばい状態である。 行政洞・邑・面法定洞・法定里備考
行政行政区域図中心市街地の行政区域図
行政区域
東門洞