(新)麒麟麦酒株式会社
Kirin Brewery Company, Limited
麒麟麦酒株式会社本社
種類株式会社
市場情報非上場(注)
略称キリン、麒麟
本社所在地 日本
〒164-0001
東京都中野区中野四丁目10番2号
中野セントラルパークサウス
設立1998年(平成10年)3月2日(注)
業種食料品
法人番号1010001098858
事業内容ビール等酒類の製造
代表者代表取締役社長 堀口英樹
資本金300億円
売上高6480億7400万円
(2023年12月期)[1]
営業利益254億5400万円
(2023年12月期)[1]
経常利益280億8600万円
(2023年12月期)[1]
純利益247億2200万円
(2023年12月期)[1]
純資産730億3600万円
(2023年12月期)[1]
総資産3985億2100万円
(2023年12月期)[1]
従業員数3,585名(2022年12月31日現在)
決算期12月31日
主要株主キリンホールディングス株式会社 100%
主要子会社キリンビールマーケティング株式会社 100%
関係する人物ウィリアム・コープランド
T・グラバー
米井源次郎(創設者)
伊丹二郎(元会長)
磯野長蔵(設立発起人)
三宅占二(元社長)
松沢幸一(元社長)
佐藤安弘(元社長)
外部リンクhttps://www.kirin.co.jp/
特記事項:注:現麒麟麦酒株式会社は2007年7月1日、持株会社「キリンホールディングス株式会社」へ移行した(旧)麒麟麦酒株式会社(1907年設立)より事業を承継(旧麒麟麦酒の持株会社移行の為の準備会社だった(旧)キリンホールディングス株式会社(1998年設立)が、商号を麒麟麦酒株式会社に変更)。
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麒麟麦酒株式会社(きりんビール、Kirin Brewery Company, Limited)は、日本の酒造会社で、キリンホールディングスの連結子会社でもある。一般的な企業名表記として、片仮名のキリンビール株式会社も用いられる[2]。
現会社は、キリンホールディングス株式会社(旧麒麟麦酒の改組により設立)のビールや発泡酒を製造する事業子会社である。企業グループは三菱グループに属する。
概要麒麟のマーク
1870年(明治3年)にノルウェー系アメリカ人ウィリアム・コープランドが、日本で初めて大衆向けにビールを醸造・販売した企業「スプリング・バレー・ブルワリー(SPRING VALLEY BREWERY、コープランドビール)」を起源とする、日本のビール事業の草分け的企業である。
幾多の変遷を経て、1907年(明治40年)に三菱財閥傘下の日本国籍会社「麒麟麦酒」として新発足。第二次世界大戦後は徐々に生産量を増やし、1954年(昭和29年)には、年間庫出量でトップシェアを獲得し、国内ビール企業の地位を確固たるものにする。アサヒビールの「アサヒスーパードライ」の台頭までは、継続的に首位を守った。2009年(平成21年)はアサヒビールがビール類(ビール・発泡酒・第三のビール)「販売数量」首位となっており、新商品の投入合戦で熾烈なシェア争奪戦を繰り広げているが、発泡酒と第三のビールでは、キリンがトップシェアを獲得していることもあって、2009年(平成21年)のビール類「出荷量」市場シェアは、キリンビールが37.7%とアサヒビールの37.5%をわずかながらも抑え9年ぶりに首位に返り咲いた[3]。
ビールの商品構成は多品種で品揃えは業界一、2010年(平成22年)2月時点で定番ビール11銘柄(ライセンス品含む)を製造・発売している。
2007年(平成19年)7月1日、従来の事業持株会社の「麒麟麦酒(旧)」は「キリンホールディングス」と商号変更し、純粋持株会社となった。ビールなどのアルコール飲料の製造・販売事業については、1998年(平成10年)に設立されグループの共通業務を担当し、純粋持株会社制の準備に当たってきた「旧・キリンホールディングス」を改称した事業子会社「麒麟麦酒(新)」に移管された。2007年(平成19年)7月1日以降、この項目では事業会社の「麒麟麦酒(新)」について説明する。
2012年(平成24年)の到来とともに、さらなるグループ再編の一環として「製販分離」を実施。本社に残っていた営業部門を分割し、これにグループでマーチャンダイズ事業を行っていた会社を統合させ、新会社として切り離した[4]。これを一時統合検討相手とされたサントリーグループに当てはめると、この会社が製造を担う「サントリー酒類(初代)」に、分離された新会社が販売を担う「サントリービア&スピリッツ」に、それぞれ相当する[注釈 1][注釈 2]。
2013年(平成25年)には、グループ会社のキリンビバレッジ株式会社・メルシャン株式会社とともに、国内綜合飲料事業会社として、キリングループオフィス株式会社から商号変更したキリン株式会社の傘下へ異動。
2019年(令和元年)7月1日、親会社のキリン株式会社がキリンホールディングスに吸収合併され、同社の直接子会社となった[5]。
沿革
初代・麒麟麦酒
1870年 - スプリング・バレー・ブルワリー開設。
1888年 - 「キリンビール」発売。
1907年 - 麒麟麦酒株式会社設立。
1918年 - 神崎工場完成(後の尼崎工場→1996年閉鎖)。
1919年 - 「キリン黒ビール」発売。
1923年 - 東洋醸造株式会社を合併し、仙台工場とする。
1926年 - 横浜工場完成。
1928年3月16日 - 炭酸飲料「キリンレモン」発売。
1932年 - 「キリンスタウト」発売。
1933年 - 販売協定を結ぶため「麦酒共同販売会社」を設立。
1938年
富田製壜工場完成。
広島工場完成(1998年閉鎖)。
1943年 - ビールメーカー各社の商標が廃止され、各社ともラベルは「麦酒(家庭用・業務用)」に統一される。
1949年 - ビールの配給制度が廃止され、直接販売が復活。出荷制限も解除され、本格的自由販売が再開、「キリンビール」の商標が復活する。
1954年 - 「キリンジュース」発売。
1957年 - 東京工場完成(1998年閉鎖)。
1960年 - 「キリン缶ビール」発売。
1965年 - 本店を東京都中央区京橋に移転。
1966年 - 福岡工場完成。
1972年 - キリン・シーグラム株式会社(現:キリンディスティラリー)設立。
1976年 - 「キリントマトジュース」発売。
1977年 - 本店を東京都渋谷区神宮前に移転。