しかたそん
鹿田村
廃止日1921年3月1日
廃止理由編入合併
石井村、伊島村、鹿田村 、御野村 → 岡山市
現在の自治体岡山市
廃止時点のデータ
国 日本
地方中国地方(山陽地方)
都道府県岡山県
郡御津郡
市町村コードなし(導入前に廃止)
総人口2,737人
(国勢調査、1920年)
隣接自治体福浜村、芳田村、今村、大野村、石井村、岡山市
鹿田村役場
所在地岡山県御津郡鹿田村大字大供
鹿田村(しかたそん)は、岡山県御津郡にあった村。1900年3月31日までは御野郡に属していた。 現在の岡山市北区大供・鹿田町・東古松・西古松・岡町・奥田などに相当する。村名は中世の鹿田荘にちなんだ[2]。 大供・内田・岡の各大字は岡山市大供・岡山市内田・岡山市岡に編入され、残りの4大字は岡山市の大字として継承された[2]。その後7大字は以下のように変更された[7]。 大供は1963年から1969年にかけて大供1?3丁目・大供表町・大供本町・厚生町1丁目・鹿田町1?2丁目・鹿田本町・新屋敷町3丁目・西之町・野田1丁目・柳町2丁目となった。 内田は1969年から1970年にかけて岡町・岡南町1丁目・奥田1丁目・春日町・京町・鹿田町1丁目・清輝橋1?4丁目・清輝本町・大学町・大供1?2丁目・南中央町となった。 岡は1969年に岡町・奥田本町・春日町・鹿田町1?2丁目・清輝橋1?2丁目・大学町となった。 東古松は一部が1969年に東古松1?5丁目・東古松南町・大元駅前・岡町・奥田西町・奥田本町・鹿田町2丁目・鹿田本町となった。 西古松は一部が1969年から1982年にかけて西古松1?2丁目・西古松西町・大元1?2丁目・大元駅前・大元上町・東古松3丁目・東古松南町となった。 奥田は1969年から1970年にかけて奥田1?2丁目・奥田西町・奥田本町・奥田南町・岡南町1?2丁目・東古松五丁目となり、残余は1997年に奥田西町となった。 二日市は1970年に旭本町・岡南町1?2丁目・七日市西町となった。 代氏名就任年月日退任年月日備考
概要
沿革
1883年(明治16年)2月15日 - 連合戸長役場制度発足により、御野郡第六部戸長役場を大供村に設置し、同村および内田村・岡村・東古松村・西古松村を管轄[3]。
1889年(明治22年)6月1日 - 町村制の施行により、第六部戸長役場管轄区域5村と岡山区新道の一部が合併して村制施行し、鹿田村が発足。旧村名を継承した5大字を編成し、役場を大供に設置[2]。
この際、内田村のうち字鼠畔の一部は岡山市に編入された[4]。
1899年(明治32年)8月1日 - 大供・内田・岡の各一部を岡山市に編入し、岡山市の大字となる[5][6]。また東隣にあった古鹿田村より奥田・二日市(一部)を編入し7大字となる[2]。
1900年(明治33年)4月1日 - 津高郡と御野郡が合併し御津郡となる。
1921年(大正10年)3月1日 - 岡山市に編入。同日鹿田村廃止。
合併後
行政
歴代村長
1-7西村民次郎1889年(明治22年)7月19日1914年(大正3年)5月4日
8高須光次1914年(大正3年)11月26日1918年(大正7年)11月25日改名:大憲
9西村千賀太1918年(大正7年)12月13日1921年(大正10年)2月28日
参考文献 - 岡山県市町村合併誌 市町村編
教育
鹿田尋常小学校(現・岡山市立鹿田小学校)[8]
交通
宇野線 - 鹿田駅
参考文献
『岡山市史 政治編』岡山市役所、1964年。
脚注[脚注の使い方]^ 1/20000岡山 明治28年測図・明治31.3.30発行
^ a b c d 角川日本地名大辞典 岡山県「鹿田村(近代)」
^ 岡山県市町村合併誌 総編
^ 岡山市史 第63947頁(明治文献、1975年)
^ 大供のうち字中道・字西中道・字中道北・字カモ112?131・字竹田631?634、内田のうち字鼠畔・字折紙・字四方田・字尻面・字八段地・字柳之内・字後口田・字丸田・字長田・字古苗代・字村西高田・字屋敷中・字龍王田61?64、岡のうち字堂1?26の区域 (岡山市史 第6 3950頁)
^ 角川日本地名大辞典 岡山県「大供(近代)」「内田(近代)」「岡(近代)」
^ 住居表示の実施状況(岡山市役所市民生活局市民生活部区政推進課)
^ ⇒鹿田小学校概要
関連項目
岡山県の廃止市町村一覧