鹿瀬ダム
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鹿瀬ダム

左岸所在地新潟県東蒲原郡阿賀町鹿瀬
位置.mw-parser-output .locmap .od{position:absolute}.mw-parser-output .locmap .id{position:absolute;line-height:0}.mw-parser-output .locmap .l0{font-size:0;position:absolute}.mw-parser-output .locmap .pv{line-height:110%;position:absolute;text-align:center}.mw-parser-output .locmap .pl{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:right}.mw-parser-output .locmap .pr{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:left}.mw-parser-output .locmap .pv>div{display:inline;padding:1px}.mw-parser-output .locmap .pl>div{display:inline;padding:1px;float:right}.mw-parser-output .locmap .pr>div{display:inline;padding:1px;float:left}.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯37度42分19秒 東経139度28分11秒 / 北緯37.70528度 東経139.46972度 / 37.70528; 139.46972
河川阿賀野川水系阿賀野川
ダム諸元
ダム型式重力式コンクリートダム
堤高32.6 m
堤頂長304.2 m
堤体積132,000
流域面積6,264.0 km²
湛水面積163.0 ha
総貯水容量16,525,000 m³
有効貯水容量2,270,000 m³
利用目的発電
事業主体東北電力
電気事業者東北電力
発電所名
(認可出力)鹿瀬発電所 (49,500kW)
第二鹿瀬発電所 (55,000kW)
施工業者飛島建設
着手年/竣工年1927年/1928年
出典 ⇒『ダム便覧』鹿瀬ダム[1][2]
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鹿瀬工場周辺[1]

鹿瀬ダム(かのせダム)は、新潟県東蒲原郡阿賀町鹿瀬地先、一級水系 阿賀野川本川中流部に建設されたダムである。地元では大字名を採って「角神ダム」(つのがみ)とも呼ばれる。

東北電力によって管理・運用が行われている発電専用ダムで、型式は重力式コンクリートダム、高さは32.6m。歴史的に価値のある土木建造物として土木学会より日本の近代土木遺産2800選に選定されている。
沿革

阿賀野川水系は豊富な水量と急流であることから水力発電の好適地として、明治時代より開発が始まった。当初は猪苗代発電所など猪苗代湖を中心とした水力発電が実施されていたが、電力事業の競争激化に伴い全国的にダム式発電所の建設ラッシュが始まるに連れて、阿賀野川水系においても本格的なダム式発電所による水力発電が志向されていった。

当時阿賀野川中流部の電力開発を手掛けていた東信電気株式会社は、中流部の阿賀野川ライン付近を有力な開発地点としてダム建設を計画、大正末期より本格的な工事に取り掛かった。ダムサイトとなる阿賀野川は川幅が広く水量が豊富であり、通常のダム建設では工事の困難が予想された。そこで参考にしたのが大同電力木曽川本川に建設した大井ダム岐阜県恵那市中津川市)である。大井ダムも川幅が広く水量が豊富な地点に建設されていた。このためダム建設を手掛けた大同電力は「半川締切工法」と呼ばれる工法で大井ダムを建設した。これはダムを建設する際に左右何れかより半分ずつ建設する工法で、まず川の流れを左右何れかに偏らせ、川の流れが無くなった地点よりダム本体を建設する。堤体の半分が完成したら今度は川の流れを完成した堤体方面へ向け、ダム堤体に仮の排水路を設けて水を流し、流れが無くなった旧河道に今度はダムを建設する。川幅が広く通常の工法では掘削量が多すぎたり、何らかの理由で仮排水路トンネルが造れないような場合などに採用される工法であり、近年では二風谷ダム沙流川)で採用されている。

鹿瀬ダムは日本で二番目に「半川締切工法」で建設されたダムであり、大河川を締め切って建設された本格的なダムであった。1928年(昭和3年)に完成したが、阿賀野川水系で最初に建設されたコンクリートダムでもあった。
ダムの目的

鹿瀬ダムは前述の様に水力発電を目的にして建設されたダムである。ダム左岸部に建設された鹿瀬発電所(かのせはつでんしょ。写真ではダム右手)は1928年12月1日に運転を開始、認可出力49,500kWを発電し、当時としては大規模な発電所であった。国力増強のために阿賀野川流域の工業地域へ電力を供給するのを目的としており、直下流にある昭和電工鹿瀬工場(現・新潟昭和)などに電力を供給した。この鹿瀬工場は石灰石からカーバイドを経て化学肥料石灰窒素)を合成する目的で建設されたが、カーバイドを利用してアセトアルデヒドを経て酢酸やその誘導体を合成するアセチレン系有機合成化学工業の工場も併設され、アセトアルデヒド合成工程において排出されたメチル水銀が阿賀野川を汚染し、新潟水俣病を誘発することにつながった[2]

鹿瀬ダム完成の一年後、1929年(昭和4年)12月1日には直上流に豊実ダム(重力式・34.2m)が建設され発電能力は増強されたが、折から逓信省による「第三次発電水力調査」が1936年(昭和11年)に実施され、阿賀野川と支流の只見川が重点開発地点として注目された。1939年(昭和14年)「電力管理法」施行に伴い戦時経済統制策の一環として日本発送電(日発)が設立されたが、日発は引き続き水力発電開発を進め尾瀬沼・只見川・阿賀野川に20ヶ所のダム・水力発電所を建設する計画を立てた。これに伴って阿賀野川には新郷(1939年)・山郷(1943年)の両ダムが日発によって建設され、戦後東北地方の発送電・配電事業を日発から継承した東北電力がこれを受け継ぎさらに上野尻・揚川(1958年)の両ダムが建設されることで阿賀野川本川のダム式発電所建設計画は一応の完結を見た。


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