鹿島建設株式会社
KAJIMA CORPORATION
鹿島建設本社
種類株式会社
機関設計監査役会設置会社
市場情報東証プライム 1812
鹿島建設株式会社(かじま[1]けんせつ)は、東京都港区に本社を置く、日本の大手総合建設会社(スーパーゼネコン)である。対外的には鹿島と称する。日経平均株価の構成銘柄の一つ[2]。 「スーパーゼネコン」とも称される、ゼネコン大手五社(鹿島建設、大林組、清水建設、大成建設、竹中工務店)の一つである。 江戸末期の大名屋敷のお出入り大工店に始まり、明治初期の外国商館や毛利家高輪本邸など西洋館の建築業(洋館の鹿島)、東北本線や山手線など全国の鉄道工事事業(鉄道の鹿島)、軽井沢の別荘地開発事業(鹿島の森)等を通じて名を揚げ、繁栄を築いていった。 超高層ビル事業を得意とし、蓄積された高度な技術とノウハウ、業界随一の技術研究所を有している。東京駅の八重洲口再開発や丸の内駅舎保存・復原工事(2012年10月1日完成)、秋葉原地区などの開発事業や海外でのプロジェクトにも実績が豊富である。一方で社員があっせん利得処罰法違反で逮捕されるなど、数々の談合事件にも関与しており、その後の建設業者に少なからず影響を与えている。 コーポレートスローガンは「100年をつくる会社」である。
概要
沿革
1840年(天保11年) - 鹿島岩吉、江戸四谷で大工の修行後棟梁株を入手し江戸中橋正木町に店を構える。屋号は「大岩」。
1880年(明治13年) - 鹿島組創立。東京京橋木挽町九丁目に本店を構え、鹿島岩蔵が初代組長となる。
1918年(大正7年) - 丹那トンネル西口着工。1934年(昭和9年)完成まで17年の歳月を要した難工事。
1929年(昭和4年) - 本店を木挽町より八重洲へ移転。
1930年(昭和5年) - 株式会社鹿島組設立(資本金300万円)。鹿島精一が社長となる。
1938年(昭和13年) - 鹿島守之助社長就任。
1945年(昭和20年) - 花岡事件。
1947年(昭和22年) - 商号を鹿島建設株式会社に変更。
1965年(昭和40年) - 日本で最初の超高層ビル、三井不動産霞が関ビル(地上36階)着工。