鹿島港
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鹿島港
鹿島港中央水路
右手は日本製鉄東日本製鉄所鹿島地区
所在地
日本
所在地茨城県鹿嶋市神栖市
詳細
開港1969年
管理者茨城県
種類重要港湾港湾法
特定港港則法
国際バルク戦略港湾
統計
主要輸出品鉄鋼、石油製品
プラスチック、苛性ソーダ、塩化ビニルモノマー
主要輸入品原油、鉄鉱石、石炭
穀物、天然ガス、木材、珪砂、岩塩
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鹿島港空撮

鹿島港(かしまこう)は、茨城県鹿嶋市神栖市にまたがる北太平洋鹿島灘北浦)に面した港湾である。港湾管理者は茨城県。港湾法上の重要港湾[1]港則法上の特定港に指定されている。
概要

鹿島港は鹿島臨海工業地帯に接する工業港であり、世界から原材料・製品の輸出入量が多い。

鹿島港は、鹿島灘北浦に挟まれた砂丘を掘り込んで建設された堀込式港湾である。Y字型に掘り込まれ、-10m・-7.5mの岸壁がある。8バースがある南公共埠頭に加え、北公共埠頭の開発が進められている。

鹿島灘に突き出した南防波堤は全長3,940m(計画全長4,800m)、中央防波堤は全長675m(計画全長900m)あり、両防波堤に挟まれた外港部は水深22?24mある。ここから幅600m、水深13?19m、長さ2.7kmの中央航路が内陸部に延び、さらにY字型に分かれて幅300m、長さ3.6kmの南航路と、幅300m、長さ2.5kmの北航路が掘り込まれており、岸壁の総延長は17kmにも達し日本国内最大規模を誇る。

鹿島港魚釣園では海釣りができるほか、土日祝日には遊覧船「ユーリカ号」が運航されている。また、ちょうどYの字の左右に分かれる部分の港公園展望塔があり、その上から港内を一望できる。

苫小牧港富山新港田子の浦港などとともに、前述のように、鹿島港は堀込式港湾の一つとして広く知られる。
歴史

鹿島港は、1960年昭和35年)に東京から80km圏内に位置する鹿島灘海岸南部に掘込式港湾を中心とした鹿島臨海工業地帯を造成する計画が策定され、1963年(昭和38年)に重要港湾に指定され起工された。旧・運輸省によって建設された鹿島港は砂浜海岸に大型港湾を建設した画期的なプロジェクトで、砂浜海岸にY字型に世界有数の掘込港を建設し、掘り込み際に発生した土砂の一部は海岸線の埋立に使われた。

1965年(昭和40年)に中央水路の掘り込み工事が開始された。中央水路は、江戸時代末期から明治時代初期にかけて造られた掘割川を中心に内陸に向けて掘削され、土砂は南防波堤南側の南浜海浜地区や鹿島港北側の北浜地区、あるいは神之池の埋め立てに利用された[2]。しかし、中央水路掘削により浜道路の県道波崎鹿島線が閉鎖断絶されたことで、それまでの交通に著しい支障をきたした。そこで堀込港湾の南岸(深芝浜)と北岸(居切浜)を連絡する県営の無料の渡し船「息栖丸」が1966年(昭和41年)就航し、更に翌々年には「第2息栖丸」も就航するようになり、1969年(昭和44年)に廃止されるまで運行回数21,506回を数え、鹿島港開発期の交通手段として重要な役割を果たす[3]

1969年(昭和44年)に三笠宮夫、 総理大臣・佐藤栄作を迎えて鹿島港開港式典が行われ、その翌年の1970年(昭和45年)に5万トン級タンカー「大栄丸」が初入港した。その後、港湾施設の整備が重点的に進められ、これに伴い鉄鋼や石油化学関連の取扱いが始まった。1987年(昭和62年)に東関東自動車道潮来ICが開通した。現在は鹿島港の堀込航路を中心に鉄鋼、石油化学、飼料のコンビナート群が形成されている。
年表

1960年昭和35年)4月 - 茨城県「鹿島灘沿岸地域総合開発計画(試案)」作成[3]

1961年(昭和36年)2月 - 茨城県「鹿島工業地帯造成計画(試案)」作成

1961年(昭和36年)4月 - 茨城県鹿島港湾調査事務所、神栖村深芝浜に開設[3]

1961年(昭和36年)9月 - 茨城県「鹿島臨海工業地帯造成計画(マスタープラン)」作成[3]

1962年(昭和37年)4月 - 鹿島臨海工業地帯開発組合設立、同月16日鹿島事務所開設

1962年(昭和37年)5月 - 鹿島港、地方港湾に指定

1962年(昭和37年)5月 - 鹿島港試験堤修祓式(総工費7,000万円)

1963年(昭和38年)4月 - 鹿島港、重要港湾に指定

1963年(昭和38年)4月 - 港湾審議会で鹿島港の港湾計画決定 (港湾審議会第1回計画部会)

1963年(昭和38年)11月 - 鹿島港起工式[3]

1964年(昭和39年)6月 - 神栖村議会で南水路にかかる神之池埋め立てを全員一致で可決される[3][2]

1965年(昭和40年)11月 - 鹿島港中央水路掘り込み工事開始[3]

1966年(昭和41年)8月16日 - 堀込工事による海岸陸路遮断の為、「息栖丸」が就航する(1969年廃止)[3]

1967年(昭和42年)4月17日 - 神之池公有水面埋立事業認可[4]


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